二十二話
ミルカの表情が凍り付く。ファルケンハイン。それは彼女の忌まわしき記憶であり、逃げても逃げても彼女の人生に影を落とす幽霊(ゴースト)。
魔術を学ぶ者ならば、その名を知らぬはずがない。学校で叩きこまれる名前だ。
それは禁忌の一族。
実践というよりは理論に傾いた学問体系で知られており、この世の真理とも言われている“魔術の深淵”に至るためならば、悪魔にも魂を売ると言われている。神を信じず、己の積み上げる理論に固執する様は、術士の間でもあまり受け入れられるものではなかった。
とは言え、組み上げられた魔術体系の威力には恐ろしいものがあり、特に効率的にマギを魔術に転換する彼らの技術は、時に軍用にも用いられ、ファルケンハインの忌み名を轟かせることとなった。
その最たるものが、輝聖石を体内に埋め込み、自らの体そのものを文様と化す「雪花魔術様式理論(ノリ・メ・タンゲーレ)」の開発だろう。
全身に刻んだ文様をそのまま魔術文様として展開することで、呪文詠唱よりも遥かに早く魔術を展開することができる。しかもそのモーションを敵に悟らせず、ほぼ無音(サイレント)で魔術を展開できるのも、この理論の特徴である。
けれどそれは全て過去の話だ。ファルケンハインの一族は、この魔術様式理論の実験の失敗により滅びたとされた。その血を受け継ぐ者は全て死に絶えたのだ。
唯一の成功例であるミルカと、その姉を残して。
「あ……私、あの、でも」
「なあに、警備隊だの葬儀社だのでは考えられないほどの待遇を約束しよう! それに今まで通りドラゴンと接することのできる仕事だ。……まあ、少しばかり危ない仕事も頼むかもしれねえが、警備隊よりはましだろうよ」
「どうして……どうして、私の苗字を」
「そりゃあ目をつけてたからさ。ファルケンハインの生き残りを放っておくはずがないだろう? その血は値千金、いや値段のつけられねえ貴重なものだ。ウルブスはそういうものを収集し、大事に育てて次の世代へ引き継ぐんだ」
まるで芸術品か何かのように話す。ミルカは全身を駆け巡る血が、急に冷たくなったように感じられた。
でも元からそうだったのかもしれない。
今までが恵まれすぎていただけで、ほんとうは、自分はずっと冷たくて、二人きりだったのだ。
そうして今はたったひとり。
「おっと失敬、女性一人と小瓶一つじゃ割りに合わねえな! それにこれじゃまるで人身売買だ。というわけで、そのクラウスとかいうやつの釈放も条件に加えよう。もっともこれは確約できねえが」
「それはどういう意味ですか」
唸るような声で言ったのは、ダンだった。
彼は拳を握り締め、暁色の瞳を大きく見開いていた。かたくなに感情を見せないでいた彼は、今や全身で怒りを物語っている。
「この私に、ドラゴンとミルカを天秤にかけろと仰るのか」
「そうなっちまうなあ。しかし葬儀屋、お前にとってはそう難しいことじゃねえだろ? 何よりもお前が優先するのはドラゴンの機嫌だ。であれば、まあ、ドラゴンの方をとるんだろうな」
「ふざけるな」
ダンはその言葉をぴしゃりと跳ねのけた。
眦を吊り上げ、存外尖った犬歯を露わにする。
「ミルカは渡しません」
「いいねえ、若者はそうでなくちゃ。だが忘れるなよ、これが破格の条件だということをな。リグの共同掘削は、お前たちが手塩にかけて育てた計画なんだろう? 小娘一人差し出すだけで続けられると思えば、なんて良心的なんだろうな?」
逆に言えば、とワシリーはわざとらしく悲しそうな顔を作って見せる。
「その小娘が我がままを言うから、共同掘削の計画は水泡に帰すことになる。悲劇だな」
ミルカの肩が震えた。その事実だけでダンには十分だった。
「そうですね。考えてみればそれほど難しい話ではありません」
「だろう?」
「その小瓶とクラウスの釈放が、ミルカでしか贖えないというのなら。その交渉に応ずる意味はありません。……腕づくで奪うまでです」
「――ほおう! そうかそうかそう来たか、ダンケルク・ハッキネン!」
「一番から千番、選抜、装填」
今まで見たことがないほどの夥しい数の鉄矢が、ダンの背後に出現する。それはもはや鉄の矢というよりは、白銀の槍だった。
全ての切っ先がワシリーに向けられている。
突然武器を抜いた葬儀屋に、ウルブス内がざわめき始める。警備隊と思しき男たちが猿の素早さでワシリーの前に立ちはだかる。しかしダンは涼しい顔をしている。
うろたえているのはミルカだ。聞き間違いでなければ、ダンは自分のために危険を冒そうとしているのだから。
「ミルカ、きみは黙って私の後ろについていなさい。いいですね」
反論する間もあればこそ。
ミルカが何か言うより早く、ダンの槍が一斉に放たれた。
それは滝の瀑布のようにワシリーめがけて疾駆する。それのほとんどは警備隊が展開する防壁に弾き返され、撃ち落されたが、ダンは無表情で次の槍を呼ぶ。
「千一番から二千番、選抜、装填」
白銀の軌跡を描いて撃ち込まれる槍たち。多ければいいというものでもないが、こう一度に叩き込まれては敵の防御も遅れる。展開される防壁の隙間を縫って襲い掛かるダンの槍を、ワシリーは腕の一振りで叩き落とした。
彼の腕にはかぎづめの埋め込まれたグローブが装着されている。羆の手と呼ばれる武器だ。あれで殴られれば肉だけではなく骨ごともっていかれてしまう。
ワシリーが微かに舌を鳴らすと、警備隊の男たちが一斉に動き出した。ダンの槍をしのぎながら接近してくる。
「人間相手の荒事は苦手なんですよね」
そう言いながらもダンは一歩踏み出し、槍の先端に何か仕掛けを施し始めた。ぼうっと浮かぶ赤い文様は、かつてミルカがアイアンウルフの女王を砕いた氷の瀑布を想起させる。
その文様の独特な曲線をワシリーは正しく読み取った。
「ファルケンハインの文様だな? 隣の彼女から学んだか」
ダンは黙ってそれを放つ。槍が警備隊員らの肩を掠めた瞬間、氷の巨大な花が咲き、彼らを地面に縫い留めた。咲き誇る静謐な冷気がミルカの頬を撫ぜた。
警備隊の動きが緩んだ隙をついてダンがワシリーに駆け寄る。ワシリーが腕を一振りすると、その先端から緑の火炎が噴き出し、ダンと距離を取った。
「曲芸師のような真似をなさる」
「今日はずいぶんお喋りだな、葬儀屋?」
槍の先端がじりじりと溶け始める。ワシリーが間断なく放つ炎は、狼の女王の攻撃よりも威力が高いようだ。ウルブスを牛耳るだけのことはある。
ダンの額に汗がにじむ。それは炎の熱さのせいだけではない。彼が操る槍は二千本、その全てを操作するだけでも物凄い体力とマギを使う。攻撃は派手だが、その分隙も多い。
百戦錬磨のワシリーはその隙を狙っていた。
再び文様を纏った槍が放たれた次の瞬間、ワシリーはその右腕をダンに向けて構えた。緑に揺らめいていた炎が爪に宿ったかと思うと、凄まじい勢いで放たれる。
大した大きさの刃物ではない。放たれたのもたったの五本で、ダンの操る槍に比べれば圧倒的に見劣りした。
しかし一本の威力が尋常ではない。
氷の花があちこちで花火のように開く。炎をまとった爪はそれを全て切り裂き、銀の槍をたやすく弾いて、一直線にダンの心臓めがけて飛び込んでゆく。
ダンが懐を探る。ターヴィから借り受けた光線銃ならば、と探る指先が致命的に時間を浪費する。彼が再び顔を上げた瞬間、五本の爪はダンの目の前でいやらしく輝いていた。
その爪を、氷で出来た鞭が全て払いのけた。
茨の如き棘を纏った鞭がしなり、床を激しく打つ。その音は毅然として冷たい。
「……ファルケンハイン!」
「お願い。その名で呼ばないで」
その弱弱しい声とは裏腹に、ミルカの眼差しは鋭くワシリーを射抜いている。彼女の手には青白く輝く鞭が握られてあった。蛇のように揺らめいている様は、次の獲物を待っているかのよう。
「ダンを傷つけることは許さない」
「そう難しい話じゃねえんだがな? あんたさえ頷けば全ての荒事は過去になる。分かるだろうファルケンハイン。葬儀屋を傷つけてるのは俺じゃない、お前なんだ」
蛇さえ恥じらう狡猾な口ぶり。ミルカの心の柔らかい場所に牙を突き立てるような言葉選びに、ダンは怒り任せに光線銃を抜いた。
射撃の腕は良い方だ。だから自信をもって引き金を引いた。
放たれた虹色の光は、ダンの狙いを僅かに反れて左肩に突き刺さった。チッというダンの舌打ち。ワシリーの顔が初めて驚愕と痛みに歪む。
「うっわ!? お前、今、心臓狙っただろう!」
「外しましたけどね」
ダンはもう一度光線銃の引き金を引く。しかし次弾は避けられてしまった。その拍子に、ワシリーの左手から血が微かに飛び散った。
槍の方が正確に狙えると気づいたダンは光線銃を下ろす。残っていた銀の槍がぞろりと浮かび上がり、その切っ先が全てワシリーの心臓に向けられる。
暁色の瞳は怒りの気配を残したまま、冷徹に輝いている。その美しさにワシリーは力のない笑みをこぼす。人形じみた鉄面皮を崩して暴れる青年が初めて見せる激情は、ひりひりするような熱に満ちていた。
「その小瓶を渡しなさい。そうすれば心臓は避けましょう」
「だから、どうしてこう事を荒げるんだ? ファルケンハインの娘が頷いてこちらに来れば全て済むだけの話だろうに」
「この期に及んでまだそんなことを言いますか? ミルカは渡しません。それと、次彼女をその名で呼んだら全ての槍をあなたの心臓にぶち込みますので」
銀槍が再び唸り出す。スピードを増したその槍は、猛禽類の如くワシリーに襲い掛かった。槍が地面を抉る鈍い音が響く。
ワシリーの体は操り人形のような姿勢で硬直していた。彼を地面に縫い留めているのはダンの槍だ。しかし血は一滴も流れていない。
「見事だな。俺の服だけを貫くとは!」
肌に感じる鉄の冷たさにワシリーの顔が歪む。
ダンが本気だったら、自分はとっくに蜂の巣になっていただろう。毒づいたワシリーがその上体を起こしかけた時だった。
『もうおやめ』
穏やかな声がふわりと降ってくる。
アイノだった。苔に覆われ、もうすぐ千年の寿命を終える大きなドラゴン。目を覚ました様子はないが、ふわふわと漂う蛍に言葉を託しているのだろう。
『私は人が死ぬ様など見たくはありません。それにワシリー、心臓を狙われた時点で潔く負けを認めなさい。見苦しいですよ』
存外手厳しい言葉にワシリーは苦笑する。ウルブスの守り神のような彼女に言われては、手を引くしかない。
『葬儀士のあなたも。どうか槍を下ろして』
ダンは右手を軽く振って、銀の槍を全て消し去った。ぎらぎらと輝く敵意そのもののような槍が退き、解放されたワシリーは短い安堵の息をはいた。
「……アイノ、まさか葬儀屋の味方をしようってんじゃないでしょうね」
『そのまさかですよ。人を物のように取引材料に使っておいて、私があなたの肩を持つとでも?』
「しかし……! ファルケンハインの血は貴重です。禁忌の家々は全て滅んだ。そうしてその知見も失われ、今となっては、残されているのは彼女の――」
『ワシリー』
たしなめるような口調に、ワシリーは唇を噛む。このまま我を通せばアイノの言葉に背くことになる。かつて自分の住まいであったこの洞窟をウルブスに快く譲り、千年の長い生をまっとうしようとしている、偉大なドラゴンの言葉に。
喉の奥で唸り声を上げたワシリーは、苛立ったように懐をまさぐると、小瓶を取り出してダンに放った。慌てて呼んだ鉄の矢でそれを受け止めたダンは、急いで小瓶を開けた。
「……何も入っていないようですが」
「水が入ってんだろが」
「この水のせいで、ドラゴンたちは死んだというのですか」
「おう。ま、自分たちで調べな。そこまで面倒見なきゃいけねえ義理もねえだろ」
ふてくされた子どものようにワシリーが言う。ダンとミルカは不思議そうに小瓶の中を覗き込んでいた。
ウルブスの支配者たるワシリーに刃を向けたにもかかわらず、ダンとミルカはあっさりと帰ることを許された。それはアイノの口添えのおかげだろう。二人は彼女に礼を言った。
「あの、止めてくれてありがとうございました」
『いいのよ。その情報が少しでもクラウスを救うことになれば良いのだけれど』
「クラウスを知ってるんですね」
『ふふ。私の知り合いの、孫の孫の、孫……の孫、だったかしら?』
家系図を気軽に飛び降りてゆくドラゴンは、どこか懐かしそうな声で呟く。
『人間と話していると色々と昔のことを思い出すわね。全部が全部良い思い出ではないけれど、それでも私は、楽しかったと思うのよ』
そう言ったきりアイノは二度と言葉を発さなかった。蛍がちろちろと舞い戻ってゆく。話すのにもマギや体力を使うのだろう。静かに死に向かうドラゴンを見上げ、ダンは小さく頭を下げた。
帰り道、二人は一言も言葉を交わさなかった。ミルカはずっと下を向いたままで、ダンの方を見ようともしない。
ようやく彼女が顔を上げたのは、待ち合わせた装飾屋の前に出てからだった。悲壮な顔で絞り出すように言う。
「ダン。私、葬儀社辞める」
「それはまた急ですね」
「だって、だって私は、ファルケンハイン家の生き残りで、ダンにも迷惑をかけたし」
「迷惑だと私が言いましたか?」
「あ、危ない目にあわせちゃったし」
「葬儀社をやっていればあの程度はよくあることです」
ミルカは途方に暮れた様子で唇を噛んだ。
「……禁忌の家がどんなことをしてきたかなんて、ダンも分かっているでしょう。口には出せないようなことをたくさんしてきた。それは私も、姉さんもよ」
祈るように胸に拳を押し当てる。
「私は姉さんのように強くなれない。姉さんはファルケンハインの名を捨て、新しく生きようとしていた。……最後はあんな結末だったけれど、それでも、過去は過去だと言えるだけの強さがあった。私にはそんなことできない」
顔を歪めて吐露するミルカは、自嘲的に笑った。
「リグの警備隊に勤めていたのは、あそこが危険な職場だから。……自分で命を絶つほどの勇気はないくせに、事故で死んだりしないかなって、期待してた。姉さんだったらきっとこんな臆病な真似はしない」
「きみはそう言うけれど、お姉さんは、あなたが思う程強くなかったと思いますよ。新しく生きようと思えたのは、きっとその婚約者の方がいたからでしょう」
「私もそばにいたのに? ねえ、その役目は、私じゃだめだったのかな、私じゃ、姉さんを強くすることはできなかった……? 私がもっとしっかりしていたら、姉さんは死なずに済んだ?」
「いいえ、その問いかけはそもそもが間違っています。それはきみのお姉さんにしか分からないことだ。つまりもう二度と答えの得られない、不毛な問いなのです」
「あは……そこで、そんなことないよって言わないのが、ダンだよね」
「だってきみはそんな言葉を求めていないでしょう」
残された者の苦しみは、永遠に答えを得られないことにある。
あの日の真実、あの言葉の真意は死の中に注意深く閉ざされ、二度と蘇ることはない。
「私、分からなくなっちゃった。姉さんはひとりで行ってしまった。私の心に姉さんの席はもうないの。姉さんが好きだった私も消えちゃって、ここにいるのは臆病者のミルカ・ファルケンハインだけ。私はどうしたらいいの? どうしたら良かったの?」
翡翠色の瞳が揺れる。泣きそうに歪んだミルカの顔を見、ダンは胸が締め付けられるような気持ちになった。
姉を喪ってから二年のあいだ、彼女はずっとそんなことを考えていたのだろうか。
ねえミルカ、とダンが呟く。
「覚えていますか。一番最初にきみと会った時、アイアンウルフと戦った時のこと」
「……うん。あれは大変だったねえ。私なんか仕事クビになっちゃったし」
「その時きみは私に言いました。『アイアンウルフの女王の足を砕いて、死ぬまま放置しておくのを惨いと思うか』と。もう覚えていないでしょうけど」
「ううん、覚えてるよ」
「そんなことを聞かれたのは初めてだったんです、私」
すみれ色の瞳が寂しげに揺らぐ。街の明かりを受けてぼんやり輝くその目の奥を、ミルカは確かめるように覗き込んだ。
「私は木龍葬儀社の人間です。遺体を扱うという特性からか、どうも周りの人間は私を残酷で冷血な男だと思っていたようで。どんな無残な行為も平気でやってのける人間だろうと思われ、そうして私自身も、そう思い込んでいたのです」
「……」
「でも、きみに聞かれて思い出しました。野生動物の苦しみを長引かせたくないという気持ち。それは誰かを慈しみ、労わることでもある。葬儀士には不要だと思われ、自分もそうだと信じて封じ込めていた感情が戻ってきた」
そうしてダンは微笑んだ。
ぎこちないそれは確かに、ミルカが初めて見るダンの表情だった。
「それを言ってくれたのはミルカ・モナードでした。ファルケンハインの生き残りではなくて、いつも一言多い、おしゃべりなきみだ」
ミルカの口元がわななく。自分の人生に影を落としていたファルケンハインの名が、ほんの少しだけ軽くなる。
「きみは自分がもっとしっかりしていたら、と言うけれど、もう十分強いと思います。お姉さんが亡くなったのは、不運が重なった挙句の、どうしようもない運命だったのでしょう。……お姉さんのものさしできみ自身を測って、まだ足りない、まだ弱いと嘆くのは、とてももったいないことなのではないでしょうか」
どう頑張ったって姉のようには生きられない。強くなれない。割り切れない。
でも、それでもいいのだと、言われた気がした。
「お姉さんがきみの心に帰ってくるまで、もしかしたら少し時間がかかるのかもしれません。それなら焦らないで、ゆっくり待てばよいのです。……私は葬儀士ですから、少しは手伝えるかもしれません」
「ダンが?」
「はい。葬儀士は、生者と死者の時間を繋ぐ仕事ですから」
家の名はきっと生涯ミルカについて回るだろう。彼女の身に流れる血を否定することは誰にもできない。
けれどそのたびに彼女は、今のダンの言葉を思い出すのだろう。
ファルケンハインの名が及ばぬ場所で、生き方を認めてくれた彼の言葉を。
翡翠色の目に浮かんだ涙がこらえきれないようにこぼれ、顎を伝って落ちていった。
にわかにうろたえたダンは懐を探る。確かこういうときは黙ってハンカチを差し出すのがマナーのはずだ。しかしダンが綺麗なハンカチを探り当てる前に、ミルカが自分の服の袖で盛大に顔をこすった。鼻水が糸を引く。
「きたないですよ」
「へへ……ごめん、ってどうして出したハンカチしまっちゃうの!? ここはかっこよく差し出してくれるところでしょ!」
「きみは袖で十分そうだったので」
「ハンカチ貸してくれたら、それで思いっきり鼻かんでやろうと思ったのに。……でも、ありがとね。葬儀社辞めるっていったの、なしで」
目を赤くして、無理やりにっこりと笑って見せるミルカ。その健気な表情をいとおしいと思う。
ダンは安堵の表情を隠さずに、
「良かったです。今きみに辞められると困るんですよ。この水の中身も確認しなければなりませんし」
「そうだった……! 水にしか見えないけど、この水に毒が入ってるとかなのかな」
「そのあたりはターヴィに任せましょう。彼ならきっとうまくやってくれる」
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