十八話
クラウスが扉を開け放つ。
そこからぬっくりと褐色のドラゴンたちが入って来た。
姿かたちは遺体のドラゴンと全く同じだった。素人のミルカでも、ドミニコ種だと分かる。
きっと同じ一族なのだろうと推測できるのは、彼らが皆胸元に同じメダルのついた首飾りをつけていることと、同じ位置に傷があるためだった。体色の濃淡、体の大きさに差こそあれど、皆似たような背格好をしている。
現われたのは全部で十五頭。
彼らは遺族らしい嘆きも驚きも見せず、花を蹴散らしながら隊列を組んで中央のテーブルまで歩いてくる。その一糸乱れぬ動きは彼らが軍属であることを如実に表してい、ミルカとダンの背筋も自然と伸びた。
十五頭は整然とテーブルを取り囲み、同じ角度で首をもたげた。
中央にはまだ死後硬直が始まったばかりの遺体、周りにはまばゆいほどの蝋燭。
と、足音もなく、けれど素早く別のドラゴンたちが入ってくる。かなり小柄な彼らは皆長い尾を持ち、揃いの首輪を着けていた。短い前足を器用に操りながら、テーブルについたドラゴンたちにボウルを配ってゆく。
ぶしつけと知りつつ、ミルカはそっと背伸びしてボウルの中身を窺う。それはリコリスの浮かべられた透明な液体――恐らくは水であるようだった。
フィンガーボウルみたい。
そう思ったミルカは、辺りの従者の身振りにも違和感を覚える。
テーブルについたドラゴンの数だけ存在する従者は、獲物を狙う狩人の如き目でテーブルの動きを睨み付けている。主の一挙手一投足を見逃すまいとするその動きは、さながら完璧なサーヴィスを目指す食堂係のようで。
もしかしてこれは――宴なのではないだろうか?
ココはぐるりと長い首を巡らし、テーブルが整えられたことを悟る。彼はテーブルで一番大きく、一番傷の多いドラゴンに近づくと、二言三言囁いて後ずさった。
その大きなドラゴンは、後ろ足だけで立ち上がると、ぐうんと首を大きく掲げた。
「我が同胞、エンリケよ! 我らノヴゴロド一族の栄えある戦士、誇り高きぬばたまの尖峰よ、かつて戦いそして今は肉体のくびきを逃れた魂の迷い仔よ! 我らノヴゴロドの誉れ高き戦場にて、聖餐の盆(ヴァルハラ)への願いを聞き届けり! ものみな全て喰らい尽くす我らが蕩尽の咢にて、貴殿の肉体を永遠の流れへと返し、貴殿の魂を永遠の戦場へと送り届けん!」
「我らは永久(とこしえ)にて刹那なり、刹那にして永久(とこしえ)なり!」
「然り! 集いし戦士よ、ノヴゴロドの英雄よ、我らが牙は何のためにありや?」
「それ全て敵もて屍山血河を築くため!」
「然り! 集いし戦士よ、ノヴゴロドの英雄よ、我らが咢は何のためにありや?」
「それ全て同胞を聖餐の盆(ヴァルハラ)へと送るため! 魂を永遠の戦場へと送るため!」
戦士たちの大音声が腹まで響く。ちりちりと発火しそうなほど張りつめた空気の中、巨大なドラゴンが血走った目で叫んだ。
「いざや!」
宴が、始まった。
ドラゴンたちはテーブルの上の死体に喰らいついた。
その大きな牙で死体に噛みつき、鱗をはぎ取り、肉をずるずるとすすり上げては嚥下する。臓物も酸袋も角でさえもが彼らの牙からは逃れ得ず、ただばりばりとおぞましい音と共に噛み砕かれてゆくのみだった。
大きなドラゴンが勇ましく首を振るうと、腕がぶんっと飛んでクラウスの近くの壁に激突した。ぎょっとしたクラウスが、気味悪そうにその腕を見下ろしていると、従者のドラゴンたちが素早くその腕を拾い上げ、テーブルに戻した。
血だの鱗だのが跳ね飛んで白いクロスを汚してゆく。暴かれてゆく死体はもはやパーソナリティを保っておらず、ただの冷たい肉として仲間たちの胃の腑に収められてゆく。
ミルカは思わず口を覆った。
同胞食い(カニバリズム)。それがもたらす本能的な嫌悪感は凄まじかった。
ダンでさえもがその眉をひそめ、口元を覆っている。
「うぇっ……」
「ミルカ、失礼ですよ。彼らの文化なのですから、これは……!」
「いやいやいや。いくら文化だからって、死体を食べちゃ駄目でしょう」
「同感だね。こいつぁ到底受け入れがたい」
クラウスでさえも嫌悪感を露わにするこの行為はけれど、神聖なものなのだろう。誰もが皆狂気に近い生真面目さで、一心不乱に顎を動かしている。
仲間の死体を貪る彼らは、時折苛立ったように顔をそむける。すると従者のドラゴンがすっ飛んできて、牙の間に挟まった骨だの筋だのを丁寧に取り除くのだった。
こんな野蛮な行為にも、エチケットというものはあるのだろう。何度か噛みついたあとには、ボウルの中の水で鼻の穴をすすいでいた。どうやら鼻づまりは重大なマナー違反らしい。
長い舌が、テーブルの上に落ちた鱗をごそりと掬い上げて飲み込んだかと思うと、隣のドラゴンは骨のかけらを鼻息で浮かせ、器用に口の中に入れた。従者のドラゴンは、自分の主たちの動きに目配りしながら、床に落ちた鱗や肉片を拾い上げてテーブルに戻す。
とにかく死体の全てを胃に収めることが、この宴の目的らしかった。
骨を噛み砕く凄まじい音がパンデモニウムを満たしてゆく。固い骨など美味くないだろうに、ドラゴンたちは厳粛な顔で顎を動かしていた。
ココが丁寧に死体から異物を取り除いていた理由が分かった。人の匂いがついてはいけない、と言っていたことも。全ては死体を「食用」にするためだったのだ。
「如何か?」
テーブルの端のドラゴンがおもむろに尋ねる。するとドラゴンたちは顔を上げ、
「今まで屠った小夜鳴き種の断末魔が聞こえる」
「魂が導かれてゆく様が見えた、エンリケは笑っていた」
「なんて勇ましい戦士だったのか。惜しいドラゴンを失った」
「誇り高きドラゴンだった」
と口々に感想を述べる。
その頃にはもう死体は跡形もなくなっていて、テーブルクロスの上のおぞましい血の染みだけが、聖餐の証を留めていた。
ほんとうに、ひとかけらも残っていなかった。鱗も爪も、角さえも。
エンリケというドラゴンは、仲間たちに喰われてなくなった。
なくなった? 本当に消えてしまったのだろうか。これからドラゴンたちに消化され、排泄されて、そうして本当に消えたことになるのだろうか。
ミルカにはこの葬儀の善悪が分からなかった。自分だったら、死んだ姉の肉なんて絶対に食べられないし、食べることが彼女への哀悼を示すことにはならないと思う。
ただ、彼らのやり方は火葬よりもずっと生々しくて、切実だった。
喰われて死ぬということはもしかしたら、生き物にとって幸せなことなのかもしれない。ミルカには到底理解の及ばない境地だが。
「第三者の目撃者が必要っていうの、何となく分かる気がするね」
「そうだな。喰ってる経緯を見ていないと、死体があったことも分からなくなっちまう。宴にかこつけてまだ生きてるドラゴンを喰い殺す、なんてこともないとは言えねえし」
「そっか。生きてるドラゴンを食べちゃうことだって、できるよね」
「死体が残らない、完全犯罪だろ? 昔聞いたことがある。政敵を殺す為に相手を仮死状態にさせてから葬式を始めて、喰い殺すって話。……ただそれは、結局殺されたドラゴンが犯龍(はんにん)を呪い殺すってオチがついてるんだけどな」
「でも、どうして仲間の死体を食べるんだろう。わかんないや」
「俺も分かんねえよ。だけど、仲間の死体を喰って、その栄養を体に取り込むことで、死んだドラゴンが仲間の中で永遠に生きる……ってのは聞いたことがある」
「ふーん……理解はできるけど、納得はできない」
「人間と同感なのは業腹だが、俺も同じ気持ちだよ」
クラウスが顔をしかめているところを見ると、さすがに同胞喰いはドラゴンの中でも多数派ではないらしい。
前口上を述べたドラゴンがごおうと咆哮を上げる。それは聖餐の終了を告げる合図だったのだろう。従者たちが蜘蛛の子を散らすように退場してゆき、テーブルについたドラゴンたちは鷹揚に出口へと向かう。
と、巨大なドラゴンがダンとミルカの方に振り向いた。
「葬儀屋よ。経緯は聞き及んでおる。我が同胞は、敵の手に落ちるのを忌避し、汝(なれ)らの住居を終の場所と決めたようだな」
「ご理解の通りです」
「箱庭との協約は我らも十分に承知しておる。生きたまま箱庭に落下したのであれば、さぞや汝らの手を煩わせたのであろう」
ダンは返事をしなかった。
いいえと言えば嘘になるし、はいと答えるのは率直すぎる。
「胸襟を開いて申せば、我は同胞を聖餐の盆(ヴァルハラ)へ送ることは不可能と考えていた。生きたまま箱庭に落ちれば、死体回収の名目は使えん。箱庭は遺体の引き渡しを拒むこともできた。だが汝らは、我が同胞の遺言を聞き届け、その通りに計らった」
「それが私たちの仕事ですから」
巨大なドラゴンは鼻から長い息を吐く。
「我らドラゴンは長きに渡り人間どもに裏切られてきた。約束を違えられ、同胞を殺され、そうしてモノのように扱われてきた。ゆえにこそ、汝らの行いの価値がよく分かる。それが保身のためであったとしても」
「ありがとうございます」
「ゆめゆめ職分を外れることのないように。汝らはただ実直に、死者を見送れば良い。我らは空なる高みを舞う木龍として、汝らは地を這う猿として、互いの領域を重んずる慎み深い仲であることを望む」
ダンが微かに眉を上げる。ミルカもその言葉には違和感を覚えた。
それはまるで、ターヴィの依頼を知った上で、釘を刺しているように聞こえた。葬儀社なのだから、リグの運営などに手を貸すなと――そう聞こえなくもない。
「汝、金色の髪を持つ娘よ」
ミルカは急に水を向けられて慌てた。はい、と答える声が上ずっている。
「先程、何故仲間の死体を喰うのか、と話していたな」
「は、はい」
聞こえていたのか。ミルカは青くなる。もしこれで相手の気を害して、殺されて、ついでにデザート代わりに食べられたら、どうしよう。
けれど巨大なドラゴンは、そんなミルカの恐怖を鼻息で一蹴してしまった。
「人間は喰わぬ、戦士ではないからな。我らが喰らうは戦士のみ。戦場にて誉れ高き死を迎えた同胞は、我らが咢の最奥にて眠りにつく。そうして我らは一つになる。戦士という概念に戻り、とこしえを生きるのだ。
我らはノヴゴロドという一つの巨大な織物を成す横糸であり、縦糸である」
「つまり……死んだら個体から集合体に戻るってことですか」
「然り。どのドラゴンも皆誉れ高き死を迎えた立派な戦士だ。死んでもなおその武勲は語り継がれる。ノヴゴロドの名と共に」
死んでもきっと一人きりではない、ということだろうか。たかだか十八年を生きた程度では理解しえない境地だ。ミルカは眩暈を覚える。
世界は広い。
「我が戦名はギプノーザ。ノヴゴロド一族を統べるくろがねの魔眼、千年木龍の誉れ高き。……我が名を明かされること、光栄に思えよ。汝らヒトに告げる言葉なぞ、本来は持ち合わせていないのだから」
言い残してギプノーザは悠然と去って行った。彼の後を追うようにして、テーブルだの蝋燭だのが片付けられ、パンデモニウムはあっという間に元の静寂を取り戻した。
はふう、とため息をついたのはどちらだったか。二人は顔を見合わせて、仕事が終わったことをようやく悟るのだった。
*
それから数日経ってのち、ワイナミョイネン葬儀社に一本の電信通話が飛び込んできた。呼び出し音はクラウス固有のものだ。また新しい仕事だろうか。
時刻は早朝、あくびをかみ殺したダンは電信通話機を取り上げる。
『ダンケルク・ハッキネンね?』
クラウスではない。その声は、花菱だった。
「あなたは……花菱ですか。どうしました」
花菱はどうやら泣きじゃくっているようだった。しゃくりあげる声が鮮明に聞こえ、ダンの意識が一気に覚醒する。彼女は何か言おうとしているが、全く聞き取れない。
ダンは必死に何が起こったのか尋ねる。
「は、花菱。落ち着いてください、何を言っているのか……」
『クラウスが……クラウスが、捕まった。ドミニコ種のやつらに』
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