それは聖餐黒き顎
十七話
亡くなったドラゴンの、聖餐の盆(ヴァルハラ)への願い。それは既に仲間たちによって受け止められ、しかるべき儀式の準備が進んでいた。
到着したパンデモニウムには既に、困ったような顔をしているクラウスと、一頭の小柄なドラゴンがいた。小柄なドラゴンは、黒く艶々とした鱗に刺青のような模様を入れていて、角に大きな房飾りをつけていた。
そのドラゴンは、二人を見るなり甲高い声でまくしたてた。
「ややっ! もうご遺体がいらしたのですか、早いです早すぎますせっかちにも程がある! 私たちだってねえ準備というものが必要なんですよ準備というものが」
「は……はあ」
「緊急事態です。どうぞご寛恕下さい」
「まあ、そちらさんにとっては緊急事態でしょう、生きたドラゴンが落下してくるなど! 阿鼻叫喚が容易に想像できまするが、しかしながらこちらも緊急事態であることには変わりがありません。何しろ聖戦だ、いつもどこかで誰かがバッタバタ死んでいる! ドミニコ種の皆様方はたくさん死にたくさん生まれるのがもう一つの生業のようでして、そのお陰を被りまして我ら葬儀屋は皆々様の繁栄のおこぼれに預かれるのですが!
ああ申し遅れました、わたくしのことはココと、葬儀取締役のココとお呼び下さいまし」
そうまくしたてながらココは、二人が連れてきたドラゴンの遺体をつぶさに観察し始めた。
「致命傷は首への一撃でありましょうかねえ。ああこんなところにカエシのついた礫まで。ったく小夜鳴き種の連中は実に残酷だ、礫なんぞあろうもんならまともに葬儀が出来んことを熟知していやがる。とは言えそういった障害を薙ぎ払うのが葬儀取締役の仕事なんですがね!」
「あの。何かお手伝いできることはありますか」
「んん? 人の手は結構、匂いが移りますからな。しかし葬儀には立ち会って貰いますぞ。何と言っても目撃者というものが肝心要のお役目でして。ほらそこの門番も、ぼうっとしてないで葬儀の準備を手伝う! 外にテーブルがあるから運び込んでくれ!」
「へいへい。なんつードラゴン遣いの荒いヤツ」
「立ってる者は親でも使う、これは葬儀取締役の常識だ」
ココはふんふんと鼻息を荒くしながらも、喜びを隠しきれない口ぶりで呟く。
「ちと早すぎるがまあ、鮮度が高いのは良いことか。しかしあれほどの大きな一族だ、聖餐の盆(ヴァルハラ)もさぞや豪勢なんだろうなあ。ご祝儀は期待できるぞ」
果たしてココの言う通り、パンデモニウムは未だかつてない賑わいを見せていた。
まず中央に置かれたのは巨大な長テーブル。糊のきいた白いクロスがかけられたそのテーブルの真ん中には、姿を整えられたドラゴンの遺体がある。
それを取り囲むようにして、色とりどりの様々な花が並べられているところを見ると、この種族は棺を使わずに葬儀を行うようだった。
手伝おうとしても、人間の匂いがつくからと嫌がられるため、ダンとミルカはドラゴンたちがひしめき合うなか、所在なくパンデモニウムの端に立っていた。
「ウィリアムさん、大丈夫かな。誰かに変なことされてないかな……」
「問題ないでしょう。少なくともあの家に立てこもっていれば怪我をすることはない」
「あの呪文、すごかったねえ。誰が作ったの?」
「父さんです。父さんは元々治癒術士だったので魔術構築が上手いですし、そこに木龍葬儀士だった母さんの知識が加わっていますから、なかなか破れないでしょうね」
「へえ! それじゃウィリアムさんは入り婿なんだね。今までウィリアムさんが葬儀社を継いだのかと思ってたよ」
「いいえ、継いだのは母さんです。もっとも、五年前に亡くなってしまいましたが」
「そっか。あの暖炉の上に飾られてる写真の人だよね?」
「ああ、そうです。結婚式の写真でしょう」
ふ、と口元を緩めるダン。そうすると写真の女性の面影が伺える。
「ダンの銀髪はお母さん譲りなんだね。っていうか、顔もか。ウィリアムさんに似てるとこあんまないね。声とかかな」
「性格でしょうね。私も父も大概頑固ですから」
「あ、自覚はあったんだね」
目の前で慌ただしく広げられる葬儀の準備を、見るともなしに眺めている。
ミルカは呟くように尋ねた。
「どうしてお母さん、死んじゃったの」
「ドラゴンの寄生虫に噛みつかれて、そこから毒が回ってしまって。箱庭の技術では治療できなかったんです。元々病気がちな人でしたから、あっという間でしたね」
「ドラゴンがきっかけなんだ。ウィリアムさん、仕事を辞めろって言わない?」
「言いませんね。辞めて欲しいのかなと思うときもありますが、母と結婚した時に覚悟したのだと思いますよ」
「すごいね」
ダンが心なしか得意げに頷く。
羨ましい、とミルカは思った。父を、母を誇りに思える彼の真っすぐな眼差しが。
ココが忙しげに跳ねながら、あちこちで指図している。生きたドラゴンをこれほど一度に目撃するのは初めてだったが、ミルカはあまり喜べなかった。
空を切り裂いて落ちてきたドミニコ種の、あの執念が棘のように心に突き刺さったままだ。あれが家の真上に落ちてきたら、死んでいたかもしれない。
「ねえ、ダンは怖くないの」
「何がですか」
「葬儀屋を生業にするってのは、こういうことでしょ。ドラゴン絡みの事故や何かで死ぬかもしれない。それが怖くないの?」
「……私でない誰かが傷つくのは怖いです。父や母や、祖父のように。けれどそれ以上に、私はこの仕事が好きなのだと思います。たった一度しかない葬儀の時間を任せて貰えることは、とても……とても得難い経験です」
「クソ真面目なんだから、もう」
「そうじゃない。どちらかと言えば博打に挑む賭博師に近い心境なのです」
「賭博師?」
「どんな生き物であろうと、葬儀は一度しか営まれません。換言すればチャンスは一度。それをしくじれば、そのドラゴンのたった一度しかない死に様は台無し。それだけではありません。ドラゴンたちは怒り、箱庭の安全が脅かされる可能性がある。そのリスクを踏み越えて『たった一度』に挑み続けようという人間は、真面目なのではなく賭博師に近い精神をしているだけです」
「……それがダンの自己分析?」
「はい。恐怖を感じるか、という質問にはイエスです。けれどそれはきっとあなたが思うような恐怖ではない。たった一度を穢すことへの恐怖、それが私の感じるもの」
プライドの塊のような言葉だった。けれど仕事に固陋しているようには感じられなかった。ダンはこの仕事を気に入っていて、頑固な彼はどんな風評にも負けずに自分の矜持を守り続けるのだろう。そんな印象を受けた。
堅物で、真面目で、面白みのない男。おしゃべりを知らない彼の精一杯の言葉をミルカはしっかりと噛みしめた。
「失望しました?」
「なんでよ」
「私の答えはいつもつまらないようですから」
「抱腹絶倒ではなかったかな。でもさ、ダンの考えてること聞けて、嬉しかったよ」
「なら、良いのですが」
ミルカはちらりとダンの右耳を盗み見る。
貝殻のような耳朶は微かに赤い。その事実にミルカは満足げに笑った。
絢爛豪華なしつらえはさながら華燭の典の如く、ちっぽけな人間二人を圧倒した。
広いパンデモニウム全体を埋め尽くすように敷き詰められた花々。その隙間に置かれた燭台は、どれもデザインが凝っていて、時折揺れる水晶の欠片が明かりをあちこちに投げかけている。
二人の目を惹いたのは巨大なタペストリーだ。ドラゴンの鑑賞に堪えうるほどなので、かなり大きい。後ずさって見ないとどんな図柄なのか分からない程だ。そこに描かれているのはドラゴンたちの戦いの歴史で、武勲を讃えるものになっている。
「まあ壁に飾ろうと思ったらこういうありふれた図柄になっちゃうよねえ」とはミルカの言で、不遜なその物言いにダンは肝を冷やしたが、忙しく働くドラゴンたちは気づかなかった。
大きな翼をきっちりと畳み、居心地悪そうに二人のところへ近づいてきたのはクラウスだ。花を踏まないように気を付けているようだったが、徒労に終わっている。
「俺の翼が邪魔だとよ。ったく、肉体労働が終わったら体よく追い払いやがって」
「お疲れさま、クラウス。なんか異質な感じだよね」
「ああ。ドミニコ種の葬儀は俺も一回目撃者として出たことがある。何でも全く関係ない第三者がいねえと成り立たんらしいぞ」
「何か結婚式みたいだね」
「はは、言えてる。けど葬儀取締役なんて初めて見たぜ」
「家格の高いおうちなんでしょうか」
「そりゃそうだ、ノヴゴロド一族っつったら、相当な武勲で有名だからな。箱庭に人間を追いやる決定打となったディオ・ペレーノの戦いで総指揮を執ったと言われているくらいだ。このくらいの葬式上げても、財布はちいとも痛まねえだろうさ」
はン、と鼻で笑うクラウス。
「連中は馬鹿だ。小さな面積を争って、ドラゴン同士で戦争しちゃあ、こうやって盛大な葬式を上げている。生きるために死ぬのか、死ぬために生きてんのか分かんなくなっちまう」
「ドミニコ種は好戦的な種族と聞きます。そんな風に仕立てたのは人間ですが」
「馬鹿言え、人間の支配から逃れてもう二百年経つんだぞ。そろそろ仲間の首を掻き切ることの無意味さを知るべきだね」
どうやらクラウスは、貴族だの軍人だのにあまり良い印象がないらしい。
「軍人が嫌いなの?」
「ミルカ、その質問は失礼ですよ」
「おう、嫌いだね。連中は希代の阿呆だ。玉砕好きの特攻バカどもが! 何かの為に殉ずるのが一番名誉な死に方だと勘違いしていやがる。あんな小さな翼じゃあ、近視眼的な生き方になるのも分からなくはねえけどよ。世界はこんなに広いのに、馬鹿げてる」
呟いたドラゴンは目を伏せる。大きな翼を居心地悪そうに動かしながら。
花、クロス、燭台。ココは全ての備品をチェックし、満足げに頷いた。
「さぁさ準備が整いました。ご遺族の方々にご入場頂きましょう」
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