新しい力

第43話

「菖蒲に、私の前世のことを話しましたか?」


 カウンターの向こう側、美芳が唐突に言った。


 少し早いですが、という言葉とともに美芳が閉店の看板を掲げた店内に客はいない。だが、大きな声で答えるような話でもなく、藤花は静かに答えた。


「昨日、話しました」


 菖子と話をしたことを隠すことに意味はない。

 藤花は、事実を告げてモップで床を磨く。菖子も美芳と話したいと言っている以上、ここで告げてしまった方が話が早い。


「楽しい休日が過ごせたようですね」


 わざとらしいほどににこやかに言って、美芳がコーヒーとショートケーキをカウンターに二つずつ置く。


「掃除はいいですから、こちらでケーキでも食べながら話しましょう」


 オレンジブラウンに染めた髪を揺らし、カウンターの向こう側から美芳がやってくる。そして、柔らかに笑いながら「どうぞ」と椅子を引くと、その隣に座った。


 表情は穏やかだが有無を言わせぬ口調に、藤花は大人しくモップを手放す。


「ここでゆっくりと話すようなことはないと思いますが」


 引かれた椅子に腰掛けて、コーヒーに口を付ける。


「ありますよ。恋人同士だった過去を語るなら、どれだけ時間があっても足りません」

「恋人同士?」

「菖蒲から聞かなかったんですか? 淡藤が菖蒲ではなく、蘇芳を恋人に選んだことを」


 菖子は昨日、菖蒲の前で淡藤が蘇芳にキスされていた夢を見たと言ってはいたが、淡藤と蘇芳が付き合っていたとは言わなかった。


 菖子が嘘をついたとは思わない。

 二人がどういった関係かはわからなかった、という言葉がすべてだろう。


「……聞いていません」

「そうだと思いました。でも、二人がそういう関係ではないかとは思っていましたよね?」


 美芳の言葉に間違いはない。

 初めてこの場所で会った日。

 美芳は、蘇芳のことを覚えていないといった藤花に記憶を呼び覚ますようにキスをしようとした。


 藤花はあれから、二人が友人以上の関係だったとしてもおかしくはないと考えている。


 だが、それは考えているだけで、信じているわけではない。藤花も菖子も夢に見ていない以上、信じられるわけがなかった。蘇芳を選ぶ理由もわからない。


「二人が付き合っていたと言っているのは佐久間さんだけで、私も菖蒲も淡藤が蘇芳と付き合っているとわかる夢は見ていません」

「見ていなくても、事実は事実ですよ」


 ふわりと言って美芳がケーキを口に運び、クリームに覆われたスポンジを咀嚼する。


「大体、どうして淡藤が菖蒲と別れて、蘇芳と付き合うことになるんですか」

「そうですね」


 美芳が考えるように言い、苺を食べてコーヒーを飲む。そして、ゆるくパーマがかけられた肩よりも少し短い髪を揺らして藤花を見ると、微笑みかけた。


「わかりやすく言えば、相性が良いから、ということになるかもしれません」

「相性?」

「そうです」


 理由としては随分と曖昧なものだと藤花は思う。


 尋ねたものは“菖蒲ではなく蘇芳を選んだ理由”だ。その答えとして、“相性”は妥当とは言えないだろう。他に相性が良い相手がいるからと言って、付き合っている恋人を捨てる人間はそういないはずだ。


 美芳の言葉は疑わしいものばかりで、信じられるものが一つもない。わかりやすいと言いながら理解しがたい話をして、藤花の頭を悩ませている。


「もう少し詳しく話しましょうか」


 そう言って、蘇芳が藤花の前に紙ナプキンを置く。


「川上さんの力は、淡藤と同じ念動力で間違いないですよね?」

「そうですが」

「じゃあ、これを浮かせることはできますか?」


 話が見えない。

 だが、もっとわかりやすく話を進めてくれと言ったところで、その願いが叶うとも思えない。


「浮かせるくらいなら」


 藤花は素直に答えて、紙ナプキンを見る。


 能力は訓練すれば強くなる。


 黒紅の言葉が自分にあてはまるかはわからないが、藤花は能力の訓練のようなものを続けてきた。ただ、それによって能力が強くなったということはない。力は以前と同じままで、動かせるものは限られている。だが、紙ナプキンを浮かせる程度なら簡単にできる。


 浮け。


 藤花は脳の奥のもっと奧、深く潜った場所で念じる。


 紙ナプキンを射るように見つめて心の奧で「浮け」と声を発すると、見えない糸に絡め取られたかのように紙ナプキンがテーブルの上に浮く。


 三センチか、四センチ。

 ふわりと紙ナプキンが宙を漂い、静かに落ちる。


 藤花が、ふう、と小さく息を吐くと、美芳がケーキを指さした。


「じゃあ、これは?」

「ケーキですか?」


 美芳の指の先、自分の前にある手を付けていないケーキを見る。


 それほど重さがあるようには思えない。

 ケーキを浮かせたことはないが、もしかしたら浮かすことができるかもしれないと考えたところで、浮かせるべきものが付け加えられた。


「下のお皿ごとです」

「それは無理だと思います」

「じゃあ、手を貸してください」

「手?」


 美芳の予想もしなかった言葉に、藤花は思わず聞き返す。だが、手を貸したらどうなるかは告げられず、笑顔が向けられる。


「大丈夫です。変なことはしませんよ」


 そう言うと、藤花が答える前に美芳が手を掴んだ。


 握手をするように掴まれた手は、強く握られることも指を絡められることもない。変なことはしないという言葉通り、ただ繋がれただけだった。しかし、ただ繋いだ手で何をするかはわからないままで、藤花は手を握られた意味を問う。


「あの、手を繋いでどうするんですか?」

「さっきと同じように力を使ってください」

「このまま?」

「そうです」


 こんなことで何が変わるのか。

 藤花は、わけがわからないままケーキと皿を視界に入れる。


 頭の中で『浮け』と念じる。

 声には出さない。

 だが、声が出そうになるほど、強く強く意識の奥底で念じる。


 繋いだ手が熱を持つ。

 いつもよりも念じる力が強くなったような気がして、思わず「浮け」と声に出す。

 その瞬間、藤花の力で浮くはずのないケーキと皿が宙に浮く。


「え?」


 あり得ない光景に集中力が途切れ、ガチャンと浮いたものがテーブルに落ちる。藤花は繋いだ手を離すことも忘れて、美芳を見た。


「――どうして」

「相性が良い。そういうことです」


 理解できない言葉がまた繰り返され、藤花は繋がったままの手を離す。


「もう少し詳しい話を聞きたいですか?」


 問いかけに藤花が頷くと、美芳が真面目な顔をして言った。


「今のは、私の力ですよ」

「佐久間さんの? 念動力が能力なんですか?」

「念動力はないですね。正式な名称はわかりませんが、前世では増幅と呼んでいた能力です」


 美芳が聞いたことのない言葉と能力を口にする。


「自分の力ではなく、私が触れた人間の力を強化することができます。単純に相手の能力が強くなる力で、強化する対象は誰でもいいのですが、すべての人を等しく強化できるわけではありません」

「強化したときに、すごく能力が強くなる人とそうでもない人がいるってことですか?」

「そうですね。相性があるようで、強く力を引き出すことができる人とそうではない人がいます。そして、淡藤とは相性が良かった」


 夢に淡藤が蘇芳とともに力を使うようなシーンは出てきていないが、自ら力が強くなる体験を今した。


 現実と前世は、すべてではないがリンクしている部分がある。夢に見ていない淡藤が、蘇芳によって力を強化されていても不思議はない。


「淡藤の力も、想像以上に強くなったんですね」

「そうです。相性が良い特別な相手ともっと親しくなったら、強化する力も特別になるかもしれない。――付き合う理由になりませんか?」


 淡藤の力を強化することができる相手。

 しかも、想像以上に力を引き出すことができる。


 付き合うことによって、さらに能力を強化することができるとしたら――。


 夢の中で淡藤は、能力を伸ばしたがっていた。

 理由は、二度と出られないと言われている塔から出るためだ。


 能力テストで優秀な成績を収めることができれば、淡藤は望みを叶えられる。それを考えると、力を手に入れるために蘇芳と付き合うことを選んでもおかしくはない。


 藤花は、二等辺三角形に切り分けられたショートケーキの頂点を崩す。クリームとスポンジの小さな塊を口に入れると、クリームが溶けて消える。だが、いつもなら感じる甘さをそれほど感じなかった。


「二人が力を合わせれば、面白いことができますよ」


 柔らかな笑みを浮かべながら美芳が言った。

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