第30話

 藤花は、ノートパソコンを前に大きく息を吐く。


 黒紅に会う。


 その事実によって緊張と期待が入り交じり、気持ちが高ぶっていたせいか昨夜はよく眠れなかった。


 遠足の前日、なかなか眠れない子どもと同じだと藤花は思う。

 菖子とドライブをした夜、黒紅にメッセージを送り、盆明けの土曜日に会うことに決まった。今日がその日で、前世の夢を見るのではないかと思っていた。しかし、昨夜はベッドに横になっても朝方まで眠ることができず、頭がぼうっとしている。


 前世に関係した何かがトリガーになっているのだとしても、眠れないのでは夢の見ようがない。


 藤花は昼食がわりのメロンパンを囓りながら、SNSをチェックする。淡藤のアカウントには前世の情報を書き加えてはいるが、相変わらず変化がない。これまで連絡があったのは黒紅からだけで、他の仲間からのコンタクトはなかった。検索サイトで前世の情報を探しても、何も見つからない。


 広大なインターネットの中、黒紅が見つかったことが奇跡のようなものなのだろう。仲間との出会いをこれ以上期待することは、贅沢なことなのかもしれなかった。


 藤花は大きく伸びをする。

 約束の午後三時まで一時間半。

 待ち合わせ場所は、なるべく人が多い場所がいいだろうと、いつものファミリーレストランではなく郊外のショッピングモールを指定している。


 黒紅がどういう人間かわからない状態で菖子も連れていくことを考えれば、人が少ないより多い方が良いはずだ。


 物騒な世の中だ。

 悪い人ではないだろうと考えているが、万が一ということもある。藤花は手がかりの一つとして、淡藤のアカウントではなく自分のSNSに書き込みを残しておくことにする。


 今日、人に会うこと。

 そこがショッピングモールであること。


 二つを記して家をでる。駐車場へ向かい、車に乗り込んで菖子を迎えに行く。


 今回も翠は来ない。

 人見知りというほどではないが、初めて会う人には身構えてしまう。翠も含めて初対面の人間に会うとなったら、待ち合わせの場所に着く前に気疲れしていたはずだ。


 藤花は記憶の一部になった道を辿り、菖子の家の前で車を止める。スマートフォンのチャットアプリで呼び出せば、五分も経たないうちに菖子が車に乗り込んできた。


「久しぶり。会いたかった」


 まるで恋人のように菖子が言う。


「久しぶり」


 短く返して、アクセルを踏む。

 藤花が菖子に会うのは、黒紅のことを相談に行ったあの日以来だ。今日まで文字や音声での交流だけで、姿を見たのは言葉通り久々ということになる。


 会いたくなかったわけではないが、菖子のように素直に言葉にすることはできない。それだけ二人の距離が近くなったと認めるような行為をするほど、心の整理ができているわけではなかった。制服ではなく、ロングスカートにスニーカーをあわせた私服姿に「似合っている」と口にしようとした声も飲み込む。


 結局、藤花は久しぶりに会ったという事実を告げる以外の言葉を発することができず、黙って車を走らせる。


 菖子に、最後に会った日のような不安を感じさせる雰囲気はない。口元に笑みを浮かべ、楽しそうにしている。助手席に座る少女の隠された心の内を知ってしまった今、その表情が実際の気持ちと重なっていればいいのにと藤花は思う。


「道、混んでるね」


 菖子が窓の外を見る。


「早めに出てきて良かった」


 道路の上には、他に行く場所はないのかと言いたくなるほど多くの車が走っていた。

 音楽を流し、菖子の話に相づちを打つ。

 車の流れは、一人で運転していれば文句の一つも言いたくなるほど停滞していた。それでも四十分ほど車を運転すると、待ち合わせの場所に辿り着く。


 郊外のショッピングモールは、夏休み中の土曜日ということもあり混んでいた。


 目印は、黒い帽子にサングラス。

 そういった姿をして待っていると黒紅が言った。

 それ以外は、性別も年齢もわからない。黒紅も警戒しているのか、尋ねても詳しいことは教えてもらえなかった。


 藤花は、雑貨屋近くのスペースに向かう。

 人の流れに飲まれそうになりながら目的の場所に近づくと、人の群から頭一つ飛び出た黒い帽子が見えてきた。




*** *** ***




「まさか、前世の仲間がこんなに美人だったとはね。二人に会えて良かった」


 カフェの片隅、背の高い軽薄そうな男が明るく笑う。目印の一つであるサングラスは、すでに外されていた。


「あ、自己紹介した方がいいかな? 俺が黒紅ね」


 SNS上でやりとりしていた雰囲気はなく、言葉が軽い。金色に近い髪を後ろで一つに結んでいるのも、男が持つ浮ついた雰囲気に拍車をかけていた。


「そちらの方は?」


 藤花は、黒紅の隣に座っているもう一人の男を見る。


「ああ、このおっさんはげん。こいつも前世持ちだから連れてきた。玄っていうのは前世の名前ね」

「よろしく」


 二十代半ばといった外見の黒紅よりは年上に見えるが、“おっさん”というにはまだ若い男が太い声で短く挨拶をする。玄は寡黙な男のようで、それ以上は何も言わない。短い髪に、いかつい体。雲のようにふわふわとした黒紅とは対照的に、玄は落ち着いた空気を身に纏っていた。


「初めまして、淡藤です」


 藤花は本来とは違う名前を告げる気恥ずかしさを抑え、自己紹介する。同じように菖子が前世の名前を告げると、黒紅が待ってましたとばかりに身を乗り出した。


「おっさんは愛想悪いけど、気にしないで。悪いヤツじゃないから。で、二人は俺のこと知ってる?」

「黒紅さん、ですよね?」


 藤花が見たままを告げると、黒紅がにやりと笑って自分の顔を指さす。


「あー、そうじゃなくてさ。俺の顔、見たことない?」


 尋ねられても、藤花に心当たりはない。どこかで会った覚えも、見た覚えもなかった。菖子の記憶にもないようで、藤花の隣で首をひねっている。


「知らないかあ。結構、有名なんだけどな」

「芸能人なんですか?」


 菖子が可能性の一つを提示すると、黒紅が「惜しいけど違う」と笑った。


「動画配信ってわかる?」

「歌ったり、踊ったりしてる動画の配信してる人ですよね?」


 問いかけられて菖子が答える。


「俺はちょっと違うけど、大体あってるかな。菖蒲ちゃんは、そういう動画見たりする?」

「そういうの興味ないので」

「マジで? 俺、これでもイケメン配信者として有名なんだけど」


 空気よりも軽い声で言ってから、黒紅がため息をつく。その顔はイケメンを自称するだけあって、見栄えが良い。サングラスで格好をつけていた待ち合わせ場所でも、注目を集めていた。


 だが、藤花にとって好ましい人物ではなかった。どちらかと言えば、軽薄を具現化したような黒紅は苦手な部類に入る。その重みのない発言に、菖子がいてくれて良かったと思う。


 藤花は、押し黙ったままの玄を見る。

 黒紅という男の振る舞いに慣れているのか、眉一つ動かさない。


 藤花は小さく息を吐き出し、横道にそれている会話を今日すべき話へと変えようとする。だが、口を開く前にテーブルの上に飲み物が運ばれてきた。


 四つのグラスを前に、黒紅が両手を拡げる。


「俺、マジックやってんだけどさ、見る?」

「あの前世の話は」


 目の前に置かれたアイスココアをストローでくるくるとかき混ぜながら、藤花は話をあるべき場所へ戻そうとする。しかし、返ってきた言葉は期待するものとはほど遠いものだった。


「そういうの後、後。急がなくてもいいでしょ」

「すまん。ちょっと付き合ってやってくれ」


 眉間に皺を寄せた玄に頼まれ、藤花は仕方がないと黒紅の提案を受け入れる。


「これ、見てて」


 黒紅がポケット取り出した百円玉を右の手のひらに載せる。そして、右手と左手をグーの形にしてから開く。すると、右手にあったはずの百円玉が左手に移動していた。


 にやりと黒紅が笑い、藤花にもその場で手を握るように指示する。言われたとおりにテーブルの上で右手を握ると、黒紅の左手にあった百円玉が藤花の手の中に現れた。その後も百円玉は移動し、最後には水が入ったグラスに落ちた。


「どう? タネ、わかんないでしょ」

「わからないです。どうやったんですか?」


 藤花は頭の中で黒紅を苦手と書いた箱に放り込んでいたが、彼が見せた手品には興味をひかれた。


 目の前で見たものは、種というものが存在しないようだった。菖子をちらりと見ると、不思議そうな顔をして黒紅の手を凝視している。


「超能力。――って、言ったらわかるかな」


 もったいを付けて言われた台詞に、なるほど、と藤花は思う。


 黒紅の能力である瞬間移動を使えば、百円玉を瞬時に動かすことができる。手品を見せるという前置きのせいで種があるものだと思っていたが、手品に見せることが目的ならば種がなくても問題はない。そして、今見た手品は超能力を使ったものだと言われた方が納得のいくものだった。


「瞬間移動で百円を動かしたんですか?」

「おー、淡藤ちゃん。正解! 手品に使える良い能力でしょ」

「力、結構強くないですか?」

「ああ、動画撮るために何度も使ってるうちに強くなったんだよね。俺は、努力すればそれなりに能力を使えるようになるんだって思ってるけど」


 嘘か本当かわらかないことを言い、黒紅が言葉を続ける。


「でさ、SNSにも書いてたけど二人もあるんでしょ。能力。――その力、金になるよ」


 黒紅が百円玉が入ったグラスを掴む。

 集中するように水面に視線を落とし、息を吐く。すると、彼の右手に百円玉が収まっていた。


「動画配信って儲かるからさ。二人もしたらどうかなと思って、会いに来たわけ。二人とも美人だし、俺が宣伝するからさ、確実に人気でるよ。あとは、宣伝費として少し分け前をくれたらそれでいいから」


 濡れた百円玉をテーブルの上に置き、黒紅が笑顔を作る。胡散臭いとしか言えない微笑みに、藤花は二人の男を強く見た。


「そういう話をしに来たわけじゃないです。二人は、本当に前世の仲間なんですか? 塔は男女別になっているって夢で見ましたけど」


 能力は信じられるが、黒紅という男は信用できない。そのせいか、声が固くなったが疑われた男は気にしないようだった。


「あー、金儲けに興味ない感じ?」


 軽い口調で言って、藤花を指さす。だが、すぐに隣から低い声が飛んでくる。


黒江くろえ、いい加減にしろ」


 本名なのか、黒江という名前が飛び出し、黒紅が顔をしかめた。


「わかったよ。塔のことなら、男女別で間違いないね。俺らは男子塔にいたから、二人と直接仲間だったってわけじゃない。でも、前世の記憶はある。そう言えば、猫好きの女の子が脱走騒ぎを起こしたって、男子塔でも噂になってたっけ」


 藤花は、黒紅の言葉に心臓が掴まれたように苦しくなる。

 SNSに、脱走騒ぎについては書き込んだ。

 だが、猫好きだとは書き込んでいなかった。


 当てずっぽうということもあるが、能力があることを思えば本当に前世の夢を見ていると考える方が妥当だろう。


「前世のこと、もう少し教えてもらえますか? 私たちのことは、ほとんどSNSに書き込んだ通りです」

「かまわないけど、あんまり面白い記憶はないな。おっさんが念動力で塔の管理者を殺して、投獄されたことくらいか。面白い記憶って」

「それ、殺せるほど力が強かったってことですか? 塔って力がない人が閉じ込められている場所だと思ってましたけど」


 そう言って、菖子が探るように玄を見る。


「力が強くなったことを隠してテストを受け続けていたから、管理側が俺の能力に気がついていなかった。殺した理由は、国に力を利用されたくないとかなんとか言っていたが……。国が何をしていたかは夢に見ていないから、よくわからんな」

「力を使い続けると寿命が縮まるとか、そういう噂があったくらいで、俺も国がどうしたこうしたって夢は見たことがないな」


 黒紅が言葉を続けて、夢の記憶を口にする。


 男子塔にも能力者が集められ、女子塔と同じように能力テストを行っていたこと。

 度々、暴力沙汰があったこと。

 何人かが塔で死んだこと。

 小一時間ほどカフェで過ごし、いくつかの夢がまとめて語られた。


「ここ、おっさんが金出すから」


 さも当然のように言い、黒紅が立ち上がる。藤花は伝票を手にした玄に二人分の料金を渡そうとするが、それは突き返された。


「最後にもう一回聞くけど、俺の動画に出る気ない?」


 精算を済ませて帰り際、黒紅がにこやかに言う。しかし、藤花も菖子もそれを断ると、「そっか」と引き下がった。


「気が変わったら、SNSで連絡してよ」


 さして期待していないように黒紅が告げ、二人の男が人混みに紛れて消える。


 ショッピングモールは、夕方になっても人が途絶えない。

 帰るにはまだ早いと菖子が言い、藤花はいくつかの店を回る。外が暗くなる前に、車に埋め尽くされた駐車場へ向かう。


 道路は、ショッピングモールから帰る車で溢れていた。

 藤花は、のろのろと車を走らせる。


 菖子の家に着く。

 街灯の明かりに照らされた街に、人影はない。


 別れ際、藤花は頼まれていないのにキスをした。

 名残惜しそうに手を掴まれたせいだ。

 藤花は、責任を菖子に転嫁する。


 繋がれた手から流れ込んでくる体温が心地良い。

 もっと繋いでいたい。

 そんな気持ちを振り切って、菖子を見送る。

 心の中で大きくなっていく気持ちに、頭がついていかない。


 車内で一人、藤花はどくどくとうるさい心臓をなだめるように小さく息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る