第12話
「川上さん、能力は前世と同じなんですよね? サイコキネシスでしたっけ」
「格好良く言えばね」
翠が口にした“サイコキネシス”の他にも、藤花の力を言い表す言葉はいくつかある。その名称に相応しいだけの力があるかは疑問だが、力がないわけではない。
「村瀬さんの力は?」
「透視か、千里眼か。そんな感じの力だと思います。能力もあやふやでよく覚えていないんですが」
「今、使える?」
「無理です。私、今はそういう力が使えないみたいです。川上さんは、菖子と同じで今も力が使えるんですよね」
「一応ね」
「見せてもらってもいいですか?」
翠が口にしたのは期待が含まれた言葉だが、その表情には力に対する積極的な意欲のようなものが見えない。学校で授業を受けているかのように真面目な顔をしているだけで、興味を持たれているようには感じられなかった。
藤花は、悪く言えばつまらなそうな表情を浮かべた翠を前に返事を躊躇う。できることなら人前で力を使いたくないと考えている藤花にとって、好ましい状況ではなかった。
今日は調子が悪いから。
そう言って断ってしまうこともできる。
藤花は迷いながら、机の端から紙ナプキンを一枚取る。ちらりと菖子の方を見ると、視線は藤花の手元に釘付けになっていた。
「たいした力じゃないから、がっかりしないでよ」
菖子の期待を込めた眼差しに負け、藤花は仕方がないという風に告げる。
手はかざしても、かざさなくてもいい。
しかし、かざした方が“それっぽい雰囲気”が出る。
だから、藤花は紙ナプキンに手をかざした。
目は閉じない。
瞬きをせずに、白い紙ナプキンを注視する。そして、強く、強く、四方から聞こえてくる雑音が意識に溶けて消えるほど強く“浮かべ”と心の中で呟く。
すると、長方形に折られた白い紙がふわりと一センチほど浮き上がる。
時間にして、二秒か三秒。
藤花は向かい側に座った二人が浮かんだ紙を見ることができるであろう短時間、力を使ってからかざした手を下ろした。
「たいしたことないでしょ?」
「――種も仕掛けもないんですよね?」
疑っていると言うよりは、信用するための確認といった調子で翠が問う。
「調べてみる?」
藤花が両手を広げて差し出すと、翠はそれを見ることなく頭を下げた。
「すみません、失礼なことを言って。種や仕掛けがあるはずないですよね」
「こんな力、誰だって信じられないし、そういう反応になるの当たり前だと思うよ」
念動力は、菖子が持つ力であるテレパシーに比べると信じにくい能力だ。頭の中に声が割り込んで聞こえてくる菖子の能力は、否応なしに超能力という不可思議なものを信じさせる力を持つ。
しかし、藤花の能力は、テレビで見る手品に酷くよく似ている。どこかに仕掛けがあって、物が浮いているように見えても仕方がない。だから、翠の反応は至極真っ当なものだと言える。
「まあ、私だって他人からこういう力を見せられても、信じられないし」
種や仕掛けがあることを証明することよりも、種や仕掛けがないことを証明することの方が難しい。藤花自身も自分が持つ能力を本物だと証明する術を持たないのだから、他人を容易く信じることは難しいことだった。
藤花は、目の前の紙ナプキンを四つに折ってくるくると捻る。本来の役割を果たす前に形を変えた紙くずが、自分の未来を暗示しているように見えて、それを握りつぶす。手の中で紙がさらに形を変えると、菖子がはっきりとした声で宣言した。
「藤花の力、あたしは信じてるよ」
「知ってる」
小さく答えて、藤花はくしゃくしゃになった紙くずをグラスの横に置く。メロンソーダを口にすると、やけに甘ったるく感じる。薄くなりかけた緑色の液体は、美味しいと言えるものではなくなっていた。
「私も力が使えれば、前世の手がかりになったかもしれないですね」
翠がそれほど残念そうには聞こえない声で言い、藤花は「前世とは、見た目も性格も違うしね」と続ける。
「能力以外に手がかりが欲しいなら、あとは夢が見られますようにってお祈りするくらいしかないかな」
ぱん、と目の前で手を合わせて見せてから、藤花はメロンソーダをもう一口飲む。だが、喉を通る液体に引っかかりを感じる。どこかに違和感を覚える。
緑色の液体は、変わらずに甘かった。
おそらく、違和感の正体はグラスの中味ではなく目の前の少女だ。サイズの合わない靴を履いているかのように、しっくりとこない。
「そうだ、村瀬さん。――塔の中って、灰色っぽい感じだったよね?」
藤花は、夢の記憶とは異なる言葉を口にする。
「……灰色でしたっけ」
翠の表情が僅かに変わり、朧気な記憶を確かめているように視線が揺れる。しかし、正しい答えが導き出される前に菖子が言った。
「白だよ。殺風景で、病院っぽい雰囲気っていうか」
「思い出した。隔離病棟みたいな、そういう感じ」
大して慌てた様子もなく、翠が続ける。結末を知っている物語を語るよりも滑らかに語り、眼鏡を外す。そして、目をしばたたかせていると、菖子が静かに尋ねた。
「翠、何か思い出せた?」
「今のところ何も」
単調に言って、翠が眼鏡をかけ直す。
「そっか。藤花は?」
「私も思い出したことは何もないかな」
「やっぱり、急に思い出したりしないか」
あまり期待していなかったのか、菖子があっさりと言って氷の溶けたアイスコーヒーを飲んだ。
それから話したことは、たわいもないことだった。前世の記憶が刺激されることもなく、時間だけが過ぎる。会話が途切れ、話の糸口を探し始めた頃、翠が藤花を見た。
「今日は、ありがとうございました」
「役に立たなくてごめんね」
「いいえ。一度、川上さんに会ってみたかったので、今日ここに来て良かったです」
「ならいいけど」
「今日は急に呼び出したのに、来てくれてありがとう」
菖子からも礼を言われ、藤花は切りが良いとばかりに伝票を持って席を立った。
「そろそろ行こうか」
「あ、自分の分は払います」
「いいよ。奢る」
財布を出そうとする翠ににこりと微笑んで、藤花はレジへ向かう。会計をすませて外へ出ると、制服姿の二人に頭を下げられた。生意気なことばかり口にする菖子が殊勝な顔をして礼を言う姿に吹き出すと、菖蒲色の髪が不機嫌にかき上げられる。
「二人とも家まで送るよ。今日、車だから」
藤花は、並んで立っている少女二人に声をかける。
「あたしたち、この後寄るところあるからいい」
「そう? そこまで送っていくよ?」
「大丈夫です。このまま二人で歩いていくので」
「じゃあね、藤花」
にこりと笑って、菖子が背を向ける。「行こう」という声が聞こえ、それが合図のように翠がもう一度頭を下げた。そして、菖子と並んで歩き出す。
鮮やかな髪色をした少女と、折り目正しい性格を表すように皺一つない制服を着た少女の姿が遠ざかっていき、藤花は駐車場へと向かう。
菖子は、警戒心のない子猫のようにすぐに藤花に懐いた。だが、翠は違った。進んでこの場に来たはずなのに、懐くどころか、明確に線を引き、藤花とは距離を取っていた。親しくなりたいわけではないが、壁を作られるのはあまり良い気分ではない。
「何の用だったんだか」
一人呟いて、車に乗り込む。
会社に勤めていたときには、車の出番がなかった。混雑するバスに乗ってストレスを溜めたくはなかったが、職場が街の中心だったこともあり、自家用車での通勤が禁止されていた。ローンを組んで買った車にあまり乗れず、がっかりしていたが、好きなだけ車に乗ることができる時間を手に入れたら入れたで、運転するということが億劫になっている。
藤花は、浮かない気持ちのままエンジンをかける。それでも、ドライブでもして帰ろうかとカーナビに目を移すと、トントンと小さな音が聞こえて顔を上げた。
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