51 残された朝に
「……ね……ま……」
誰かの呼びかける声。
「――お姉さま!」
次にグラが目を覚ました時、すでに夜は明けていた。
すすの匂いと日差しを避けるための日傘の影、目の前には胸に飛び込んでくるサータの姿。
何があったのか思い出すまで時間を要した。
「お姉さま、大丈夫でしたか!?」
「う、うん。……え、どうしたの、これ……」
周囲を見るとあちこちで煙が上がっている。
別におかしなところはない。
りんごの木はあるし、赤々とした美味しそうな実がついているし、その奥に――
いくつかの木が、燃えていた。
「昨晩、雷が落ちたんだ」
日傘を差してグラの体が日差しに当たらないように調整しつつ、ワールドが言う。
「朝起きたらお姉さまがいらっしゃらないので、もしかしたらまたどこかで倒れていないかと心配で探していたのです!」
「雷……あ、あれがやっぱり、そうなのね」
おぼろげながら、昨晩の記憶が蘇る。
「何かあったのか?」
「ねえ、ウェンディちゃんは!? ウェンディちゃんは居るの!?」
「……」
黙ってしまった二人の様子を見て、やはり昨夜の出来事は夢ではないことを察する。
「昨日の夕方から、誰も姿を見ていないのです」
「そう、やっぱりね。じゃあ、あの子はずっとここで……」
あの重たい羽を背負いながら、ずっと一人で過ごしていたのだ。
それが絶望でなければ何というのか。
苦しそうな呻き声と人であることを捨てなければならなかった瞬間の苦悶の表情。
それを思い出すだけで再び気を失いそうになる。
「お前は何を見た。この不気味な惨状は一体何事だ」
ワールドの問いかけに半ば睨みつけるような視線を送り、歯ぎしりの音が聞こえそうなほどに口を歪ませてグラは答える。
「――彼女は、天使だった」
昨晩見たことを一通り話すと、二人も言葉を失ってしまう。
「……」
「……彼女は、気付いていたのだろうか」
そう、疑問を投げかける。
「それって、あの子が天使だってことに?」
「ああ。黄金のりんごを実らせることが出来るのは自分の力だと知っていたのか、それともただの偶然と割り切っていたのか。今となっては知るすべはないが」
あの子は自分を特別な存在だと思っていたのだろうか。
本当の聖女は自分ではないのかと疑問を抱くことはなかったのか。
知っていたのなら、ずっと周囲を欺き続けるのは辛かっただろう。
知らなかったのなら、ただ普通の人間だと思っていた自分に天使の役割を担わされて尚の事辛いだろう。
「あ、あのっ」
顔を真っ赤にして彼らのもとへやってきたのはリリーだった。
ずっと走っていたので立ち止まってからも息が切れている。
「ウェンディを、彼女を見ませんでしたか!? 昨日からずっと誰も見ていないって……」
「あ……」
「話してやれ。彼女には聞く権利がある」
ワールドはいつの調子に戻っていた。
グラ自身が携えた日傘をくるくると回しながら、視線を散らし言葉を考え、彼女は事の顛末を説明する。
「そんなっ……私まだウェンディに話したいこと、たくさん……あった、の、に……」
遠い空の星になったと嘯いたところで、子供は大人が気付かないほどに残酷な真実に触れたがる。
それならいっそ、突きつけた刃を握りしめ痛みを感じることでしか知り得ぬ真実もあると学ばせるのもやり方の一つである。
それが彼なりの優しさだと気付けるほど、少女は大人ではない。
今はただ、悲しみに暮れるだけである。
「――なぁ、リリー。最後に一言だけウェンディに声をかけるなら、何と言う」
「……え?」
涙を流すだけの少女は突然の問いにその涙が止まる。
「お前を何を問い、そして何を求める」
「……ワールド様?」
問答のようなそのやりとりを見て不思議そうにサータが声をかける。
「あり、がとうって、お礼が言いたい。私は楽しかった、って。あの子も、そうだと、いいな……」
ワールドの顔つきが変わる。
「――承った」
声の調子が明らかに変わり、三人がワールドを見上げる。
「この刃にかけてお前の願い、叶えてやろう」
腰に提げていたナイフを構え、目にも留まらぬ速さで空を切り裂き逆手に持ち替える。
距離を測るように顔に近づけ、その先にリリーの姿を捉える。
「お前のその『想い』。俺が形にしてやろう。一晩待て」
「これは……ワールド様が覚醒されました!」
かつてその姿を見たことのあるサータは興奮を抑えきれない様子でその姿に見入っている。
「えっ? そ、それって」
「なんていうのかしら、芸術家魂に火がついたって感じ? それの本気モードってところ。アタシたちは邪魔になるだけだろうし、あいつの言う通り、明日まで待つしか無いわね」
サータに対し、グラは少しうんざりといった表情でそれを見ている。
彼女もそれを知っている。
ああなったワールドは決して止められないことも。
その日、ワールドは一睡もせずにただひたすら彫像を作りあげていた。
モチーフは少女の願い。
素材は燃えがらのりんごの木。
――その日から、星は流れなくなった。
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