第3話 アリストテレス中央病院にて

 ここは月面都市アリストテレス。

 その中心部にある総合病院がアリストテレス中央病院である。この病院は宇宙で暮らす者にとって最後の砦と言われている医療機関である。

 地上では起こりえない様々な疾患。その多くは宇宙放射線による被ばくが原因の悪性腫瘍や白血病、免疫不全症候群となる。ここではその様々な疾患に対して最先端の治療を施している。そして多くの患者は快方に向かう。


 しかし、このアリストテレス中央病院でもお手上げとなる疾患があった。それは俗にいう宇宙放射線病である。

 症例は多くないが、そのほとんどが急性白血病と同様の症状を示し、多くは重篤となり生命が失われる場合がほとんどである。


 二人の男女が新生児の集中治療室にいた。正宗明継と妻の美沙希である。

 無菌室の中に新生児がいる。彼らの娘、真由まゆだった。


「今しばらくは大丈夫です。容体は安定しています」


 そう話しているのは白髪のおかっぱ頭が特徴の大木奈々医師だった。


「でも、このままだと……」

「一年は難しいでしょう。恐らく数か月かと」

「そんな……」


 再びあふれる涙をハンカチで拭う美沙希。夫の明継は美沙希に寄り添い方を抱いている。


「お腹の中にこの子がいたのに……私が宇宙を飛び回っていたからなの?」


 明継の胸に顔を摺り寄せ泣き崩れる美沙希だった。


「君のせいじゃない。君のせいじゃないんだ」


 美沙希を抱きしめる明継。彼の目にも涙が浮かんでいた。


 彼らの愛娘、真由まゆは宇宙放射線病にかかっていた。感染症を防ぐため、無菌室での治療を受けている。その為、母親の美沙希でさえこの娘を抱きしめることができない。彼女の回復をガラスの向こうから祈るだけだけなのだ。


「きっと彼女達が何とかしてくれるよ。さっきビューティーファイブが発進したんだ」


 明継の胸で頷いている美沙希。

 大木医師も美沙希に対して言葉をかける。


「数時間前ですが、彼らに宇宙放射線病についてお話させていただきました。彼らは今回の任務の重要性を十分に理解し、そしてそれを達成する気概に溢れていました。きっと、きっとやり遂げてくれます」


 明継と医師の言葉に頷く美沙希だった。


 現在、ビューティーファイブは土星の衛星エンケラドゥスへ向かっている。衛星表面の氷床の下に存在している海洋。そこに多数生息している生命。


 そこに希少な種が存在している。

 その名はエンケラドゥス・アコヤ。


 成長した個体は体長が一メートルに達する大型の二枚貝である。

 このエンケラドゥス・アコヤの中で生成される真珠。それはエンケラドゥス・サファイアと呼ばれる青く透明な結晶だ。この結晶は特殊な波動を持っており、それが宇宙放射線病の特効薬であることが確認された。


 古くから、エンケラドゥスでは謎の噴出現象が確認されていた。当初は火山の噴火や間欠泉のようなものだと推測されていたのだが、その内部構造が明らかになるにつれ否定されるようになる。


 その内部構造とは、エンケラドゥス表面に広がる氷床の下に広大な海洋の存在である。また、土星との潮汐力によって発生する地殻の歪みから、持続的なマントル対流が起こっている事も確認された。そしてそこから発生する熱エネルギーの影響で、エンケラドゥスの海洋には生命が存在しているのではないかと推測されたのだ。


 生命の存在が確認されたのは偶然だった。


 エンケラドゥスを周回していた探査船が発見したデブリの中に奇妙なものがあった。それは一メートルほどの大きさの二枚貝だった。


 地球で生息しているアコヤ貝に似た外見からそれはエンケラドゥス・アコヤと名付けられた。この貝は、エンケラドゥスにおいて定期的に噴出する海洋物質に交じって軌道上に飛ばされたものであることが確認された。そしてそのエンケラドゥス・アコヤの中より青い結晶が発見されたのだ。


 その後、何度かエンケラドゥスの海洋調査が行われたが、分厚い氷床に阻まれ体形的な研究は進んでいない。ただし、氷床の下に存在する海洋は確実に存在している事は証明され、そこに生息する生物のサンプルは、少数ではあるが持ち帰られている。


 これまでに見つかったエンケラドゥス・サファイアは5つ。もちろん全ては希少な研究材料として厳重に保管されていた。その中の一つを貸し出して欲しいとの嘆願が寄せられた。それは、最初にエンケラドゥス・サファイアを発見した宇宙飛行士からだった。


 彼の妻が宇宙放射線病にかかり、余命半年と宣告された。

 彼女は夫の活躍をよく知っており、彼の業績についても熟知していた。


 彼の妻の希望が、エンケラドゥス・サファイアを手に取って握りしめたいと言うものだった。


 第一発見者という功績が効いたのだろうか。彼の嘆願は認められ、一週間という短い期間であったがその青い結晶は妻の元へと送られた。


 死にゆく人への手向けとして一時的に預けたもの。


 多くの人はそう理解しただろう。しかし、結果はまるで違うものだった。


 その青い結晶、エンケラドゥス・サファイアを握りしめた彼女は直ぐに快方へと向かったのだ。その結晶を握っただけで全ての数値が正常な方向へと変化し始めたのだ。


 増殖を続けていた骨髄細胞内における白血病細胞も減少して行った。治るはずのない病が治癒する奇跡としか言いようない現象だった。そしてもう一つありえない現象も確認された。それは、その結晶が質量を減らしていたのだ。


 謎の結晶エンケラドゥス・サファイア。

 科学的な理論では何も証明されていない。


 しかし、二つの事実は証明された。


 一つはエンケラドゥス・サファイアが宇宙放射線病の特効薬であること。もう一つは治療に使用した結晶がその質量を減らしていくことだった。


 つまり、特効薬であるがその効果範囲は広くはない。誰にでも供与できる数量の確保は難しいのが現状であった。宇宙病に携わる医療関係者の中で渇望されているエンケラドゥス・サファイア。その生成のメカニズムを解明し、できれば真珠のように養殖をして生産したいのだという。


 ビューティーファイブは今、その謎に挑戦し解明するためにエンケラドゥスへと向かっている。


 発見の確率は天文学的数値と言われている。


 しかし、奇跡を信じてビューティーファイブは土星へと旅立った。


 元リーダーの美沙希の為に。

 彼女の娘、真由の為に。


 そして人類の未来の為に。

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