第14話 酔っ払いと天才チェス少女
「あれー。何だか良い気持ちだよ。えへへ」
「これ、スパークリングワイン? 黒子これ飲んだの」
「えー。美味しかったよ。へへへ」
全く油断も隙もない。すでに酔っぱらっているではないか。しかも、その姿を見てデレデレしている羽里だった。
「羽里。お前、アルコールだとわかってて飲ませたな」
「え? そんな気づきませんでした」
完全にすっとぼけている。
「香織さんも飲もうよ。美味しいよぉ」
「静かにしていろ。勤務中に飲酒するなどもっての外だ。この馬鹿者!」
「えー。これ、お酒だったんだ。えへえへ」
僅か一杯のワインでここまで酔えるのは経済的なのだろうが、さすがに放置できない。香織は黒子を支えてやり、そして傍にあったソファーに横たえた。その時、トリニティがアナウンスを始めた。
「レディースアンドジェントルマン! 本日はトリニティの庭へようこそ。多数のアトラクションを御用意しておりますが、本日は等身大チェスにてお楽しみください。さあ、どなたが勝負されますかな?」
「羽里。お前が行け」
「了解です」
コーラをごっくんと飲み干してから仁王立ちする羽里。しかし、トリニティは浮かない様子で首を振る。
「おや? 私は知将と名高い副長さんとの対戦を期待していたのですが?」
「羽里を負かせたら相手をしてやる。心配するな。羽里は私より強いぞ」
「なるほど。では三本勝負と行きましょうか。負けた方は退場する」
「構わん。羽里が先に二本勝つさ」
トリニティは両掌を上に向けて首を振る。こちらの布陣が信じられないといった表情である。
「私たちが勝てば白竜とその乗員は連れて帰るぞ」
「結構ですよ。私が勝てばスーパーコメットを頂戴します。よろしいですかな」
「構わん」
「そのような強気で大丈夫ですかな?」
「大丈夫だ」
香織の強い自信に対して、トリニティはまだ信じられないと言った風であった。しかし、香織は本当に自信満々だった。それは、学生時代からチェスで羽里が負けたところを見た事がなかったからだ。年上の名人と呼ばれる人を相手にも勝ったし、量子コンピューター相手にも勝った。彼女の実力は底が知れない。
「こちらは羽里、私、黒子の順だ。黒子は酔っぱらっているが、羽里が一人で片づけるから問題はない」
「では、こちらは私トリニティ、ミニスター、ビアンカの順で行きましょう」
そう宣言して自らが盤上へと上がる。そしてパチンと指を鳴らした。
床がチェッカー模様へと変化し、自らが黒い鎧をまとう。3Dグラフィックスのリアルな造形である各駒が次々と配置された。
「さあ羽里様。キングの位置へお願いします」
羽里が手前左から5つ目の場所へ立つ。途端に羽里が白い鎧をまとい、周囲の駒が配置されていく。羽里が白。つまり、初戦の先手を譲ってくれた格好だ。
「へええ。こんな趣向なんだね。これは面白そうだね。コントロールパネルは……おっ。ここに浮き出てきた。これだね。操作の練習してもいい?」
「どうぞどうぞ。試しに動かしてみてください」
羽里の正面に3Dでミニチュアのチェス盤が浮かび上がる。彼女がその駒をつまんで動かすと、眼前のポーンが二歩進んだ。
「へへへ。こりゃ至れり尽くせりだね。もしかして駒を取る際は本当に破壊されるの?」
「勿論です。ただし全てはグラフィックスですのであなたに危害を加えることはございません」
羽里は数手ほど駒を動かしたのち初期配置へと戻す。そして腰の剣を抜きそれをトリニティへと向けた。
「いざ勝負。私に先手を差し出したことを猛烈に後悔しなさい!」
そしてチェス勝負は始まる。羽里は序盤、手堅く守備を固めていく。右側にポーンの列を残して、キャスリングでその中に入る。
「おや。穴熊戦法ですか? その一手、後悔はしませんね」
「しない。さあ攻めて来いよ」
羽里の一言で攻勢を強めるトリニティ。羽里のルークとビショップを破壊し、そしてクイーンを斃そうとした瞬間に手が止まった。
「こ、これは……」
「何?」
「貴方のクイーンを取っても私は主要な駒を全て失う。それは貴方も同じだが、その時のポーンの数は貴方の方が二つ優勢……ダメだ。リザインする」
初戦は羽里が勝った。あの娘はいつもこうだ。相手にペースを握らせたと思わせながら、いつの間にか自分が有利な状況を作っている。今回は相手側、トリニティがまんまと羽里の策に引っかかったのだろう。
次は二戦目。羽里が勝ったので彼女は連戦できる。向こうはAIのミニスターが担当するはずだ。ピエロのトリニティが後ろへと下がり、白人の少年が前に出る。ミニスターはパチンと指を鳴らしてチェス盤と駒を消してしまった。
「トリニティ様。私はこの方に勝負を挑んで勝てる気がいたしません。ここは棄権してよろしいでしょうか」
ミニスターの言葉に腕組みをして首をかしげるトリニティ。
「なるほど。貴方でも彼女の攻略は厳しいと」
「はい」
「それではこの勝負は我々が負け、白竜もスーパーコメットも手に入らない」
「そうなります」
「それはつまり、わざわざ負け試合をするよりは他のゲームで楽しもうと言う判断ですか?」
「その通りです。私は黒田星子さんと星屑ポッドレーサーズをプレイしたい」
AIのくせに何を言っているんだ。さすがの香織もあきれてしまう。そして、負けを認め更に勝負を挑んでくるその神経を疑う。
「いいでしょう。黒子さんさえよければ」
笑顔でトリニティは答えた。それはミニスターに対する絶対的な信頼と、この勝負に全く執着がない事を表していた。
「ダメだ。黒子は今酔っぱらっている」
「いいよーん。やろうやろう」
香織は否定したが、当の黒子が同意してしまった。彼女は酔って真っ赤に染まった頬を緩ませ、ニタニタと笑っている。
「大丈夫か?」
「平気ですよーん。今、物凄く気持ちがいいの」
ミニスターがもう一度指を鳴らす。すると、風防のない小型のポッドレーサー二機が広間の中央へ現れた。そして周囲は宇宙空間の映像へと切り替わり、今、その場にいる者は、まるで宇宙の中に立っているような錯覚をもたらす。
「ポッドレーサーは本物の機体ですが、ここではゲームのインターフェイスとしての機能しか付与されておりません。操作もスロットルの開閉と操縦桿のみで行います。この仮想空間内におけるチェックポイントを通過していくゲームです。チェックポイント毎に獲得ポイントが表示されています。勝敗はタイムで競います。獲得ポイントは便利なアイテムと交換できます」
「いいよ。やろうよ」
ふらふらとおぼつかない足取りで赤いポッドレーサーへと向かう黒子。コクピットに付属しているタラップをよろよろと登ってシートベルトを締める。そして備え付けられているヘルメットを被った。そのすぐ横にいた青いポッドレーサーにはミニスターが座ってヘルメットを被る。前方左側にKUROKO、そして右側にMINISTARと表示された。その下にスコアが表示され、中央にタイムが表示されるのだろう。非常にオーソドックスだ。
そしてポッドレーサーのエンジンが始動し後方へと噴射を始めた。
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