第20話 殺しの紀律と伸びた麺

 彼はメトロノームの様な口調と、依然たる表情で語る。その半面を、虫も寄らない柱状のライトが照らし、冷風が何処かから入り込む。彼の瞳は依然、聖書に向けられたままだった。


“恒常性を宿した感情“と、“人殺しの段階ステップ“――彼が言ったその言葉に、俺は以前の自分を重ねていた。


――当然だ。彼がやってきた事と、俺がやってきた事に違いは殆ど無い。彼が言った通り、法的に許されているかどうかの違いだ。


だがそれも、可笑しな話だ。


30年以上かけて、ようやく人間性に目覚めた俺だから判る――人が人を殺す行為に、どんな理由があろうと赦される筈が無い。


彼もまた、それを弁えている様だった。


彼の話に度々登場していた『殺す・殺した』等の単語に抑揚は無く。正に作業プロセス――それも『紀律ルール』を、強迫的観念に身を任せる様にして起こした、不器用で寡黙な彼なりの生き方だったのだと、俺は思う。


 事実、『殺し』と云うものは簡単で利点も多い。『殺す』という行為自体に着眼すると、特にそれが顕著になる。


標的が定められていないしくは、標的と近しい存在になった・なり得る場合には機会が在れば“いつでも殺せる“。


無論、後始末や場所・場合の問題はあるだろう。然し、唯『殺す』という行為のみに重きを置くならば、“行為“の難度は低く。酷く容易たやすいモノなのだ。


特にこの時代、引鉄を引くだけでそれは済む。


 殺した後の利点も在る。先ず、失敗しない限り当人からは復讐されない。殺し屋の様な“相手の名前も知らぬ第三者“なら、特に復讐される危険性も減る。無論、標的が近しい存在でも、殺害者が身を隠す技能や伝手があるのなら、大抵は大丈夫だ。


それに、情報が漏れない。例え、顔が見られたとしても殺し切ればだ。仲間を呼ばれる心配も無い。それに、死体の後始末より、身を隠す方が楽で安全な場合が殆どだ。仕事となれば、殺したという証明が必要になるが、それはいずれ分かる事だ。


そんな殺しをいつしか俺は『倫理を欠いた、合理的な手段の一つ』として曲解していた。


――だが現実はそう単純じゃない。


 殺しにはリスクが在る。それは復讐や、追われ身になる危険性だけではない。それ以上の――純度の高い“自責“だ。


彼が話の最後に言った『感情に恒常性が在る人間――人殺しとして、破綻しない人間』とは、つまり『人間性、自責、良心共に欠け落ちている。感情にほころびの在る人間』を指すのだ。


常人なら持つ筈のそれを、先天的・後天的に喪くし、それを刺激する様な行動をとろうとも感情は揺れない――感情に恒常性を持った人間。


 元来、人間が人間を殺すという行為は心的外傷トラウマに陥る程、精神・感情に負荷がかかるものだ。故に彼の言った、『人殺しとして破綻しない人間』とは『人間として破綻している人間』という意味なのだ。


――それが純度の高い“自責“の正体。


そして、その“自責“すら通り抜けてしまう存在が――人の皮を被った存在バケモノが、俺等コロシヤだ。


 歳の割に大人びている彼との、その共通認識は薄暗い部屋の中。緊張感を以て、少しの間を生んだ。


聖書を読むその瞳が、何を見据えているのかは分からない。だが恐らく、既に自身の考えを固定し始めている……そんな考えが浮かぶ程、彼の語り草の裏には決意が見えた。


無理もない。憂世で生まれ、誰にも教わらず。全て自分で学び、ここまで来たんだ。彼の暴力的と言われるほどの生き様に、中身が無いとは思い難い。


 彼の思考、彼の人生、彼の感情に思索を巡らせる。情報の空白ブランクを急いで埋める様に、青白く光り続けるテレビモニターを見流す。


『どうすれば彼に――昔の俺に感情を与えられるのか……』


そんな風に思考していると、ふと口が開いた。殆ど無意識だった。


「――ハシギル、酒は呑むか?」


「いきなり何言ってんだ?」


同感だ。だが、これで良いのかもしれない。昔の俺は付き合いも最小限で、独りよがりだった。然し今、こうして仲間に囲まれ、様々な刺激を受ける事により『心』という感覚器官が第六感として生み出されたんだ。


きっかけは小さな事で良いのかもしれない。


「いいから答えろ。」


「嗜む程度には飲む。」


「それなら、事が済んだら酒を奢らせてくれ。」


「急にどうしたんだ?」


「……俺の事をここまで話したのは俺の家族と親友を除いて、お前が初めてだからな。


それに、お前の事も少なからず知れた。お前が歳の割に友人が少ないのも含めて。それに俺も興味が在る。交友関係を結んだっていいだろう?」


彼は若干、嘲笑う――されど“笑い“ながら返答した。返答にしては至極曖昧なモノだったが、今はまだそれで充分だった。


「――気が向いたらな。」


「私も御一緒して宜しいですか?」


先程まで夕飯を用意していた筈のヨハンが、此方に顔を向け、突如として会話に入り込んでくる。それに対して俺は、手元のモニターから目を移し、彼に向けて不快感を示した。


「ヨハン……盗み聞きとは良くないな。夕飯の支度はどうした?」


ヨハンもまた、礼節を重んじる人物だと考えていた俺は、こう言えば離れると思っていた。然し、ヨハンは離れるどころか近付いてきて、補足する様に話を続けた。


「夕飯の支度ならもうとっくに済ませてます。ズミアダさんには渡しましたし、プシエアはまだ帰ってきていません――彼の事です。ついでに見張りでもしているのでしょう。」


「だからといって……」


俺が口を挟もうとした瞬間、彼は遮る様に食い気味に話した。


「まぁまぁ、聞いてください。ズミアダさんは昨日の作業の続きを、私は今のうちに明日の準備をする。


そこでプシエアと親交の在る貴方に、生存確認がてら料理を運んでもらおうとしたのです――然し、部屋はこんなにも狭い。


秘密話は聞き耳を立てずとも聞こえます。黙っている方が失礼だと思い、話しかけたのですよ。」


この男は――変な方向に律儀だ。尤も、プシエアと同期で親しい仲ならば、どこかオカシイのだろうとは思っていたが……また一人。知り合いに奇人が増えてしまった。


「――まぁ、俺はいいさ。だが、ハシギルが良いと言うか……」


「構わない。」


ハシギルが食い気味に答えた。


「えっ?」


「既成事実は変えられない……こうなった以上、ヨハン。お前の事も話してもらおう。」


ヨハンはそれを聞くなり笑顔を見せ、声を張り上げ返事をした。実際、ハシギル自身も“味方“が欲しかっただけなのかもしれない――きっかけは小さな事で良いのだ。


「ええ! 勿論、話しますとも!」


 俺は二人が話し合っている最中に、プシエアを呼ぼうと立ち上がる。室の反対側で機材に囲まれ、ヘッドセットをしながら作業をしていたズミアダが、突如として……


「煩い!! 今、解読中!!」


発狂した――彼の職業病だ。


俺にとっては見慣れた光景だったが、ハシギルは初めてだった様で、二人共呆然としていた。無論、俺も初めは人格が変わったのかとも思ったが、彼は作業で行き詰まると豹変するタチらしい。


今回はエドの残した奇怪なデータ類の解読で、遂に行き詰まったのだろう。だが寧ろ、よくやった方だ。証拠として使えるものは未だ少ないが、彼ならそのうち解読出来る筈だ――それに毎回、何事も無かったかの様に調子を取り戻す。


困惑する二人に、俺は小さな声で伝えた。


「大丈夫。静かにしていれば、そのうち機嫌を直す。」


それから、自分とプシエアの夕飯。ソースの水分を吸って伸びてしまったパスタを両手に持ち。屋上へ向かった。

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