第16話 幾多の質

 其々それぞれ、その日の義務や作業を終え、集合した夜明けの5時前――未明過ぎ。


俺が警戒心を欠き、命を他人に預け、目を覚まして間もない頃。皆は既に、リビングに在る円卓に着いていた。


「それで――何から話すんだ?」


始めに口を開いたのはプシエアだった。彼は日が昇る迄、交代制といえずっと監視と警備を繰り返していた。無論、他の二人――昨日紹介された、ヨハンとハシギルもそうだった。


「では先ず、私から監視・警備での報告を……と言っても、不安要素すら無い程に静かな夜でした。プシエアともそう話していました。ハシギルさんはどうでしたか?」


ヨハンに続き、ハシギルが応える。


「気になる事は無いな。念の為に監視していた傍の路地の、ホームレスや不良も此方へは来なかった……静かなものだ。」


その話を聞くと、次はズミアダが話し始めた。ズミアダも、エドの遺した暗号データの解析に勤しんでいた。


「此方も、暗号データの幾つかは解析出来た。だけど、あと一つだけ残っているんだ。ゲン、どうやらお前宛てのようだぞ。何か心当たりはないか?」


「……あっ? いや、無いな……」


この時……いや、厳密には昨日から既に、俺は皆を巻き込んでしまった事に対し、申し訳なさを感じていた。


それだけではない――彼がこの世に存在しないという認識がくびきとなり、俺を押さえ付けた。更には注意力も欠け、その自覚もまた、稀薄なものとなっていた。


 今迄の複雑怪奇に思考力を奪われ、皆が“これから“について話し合う中、“これまで“に思考を奪われた俺の口からは、生返事しか出ず。その霧を払うのも、また他人だった。


悪夢にも似た不変思考世界Ideaに囚われ、廃人にも似た傾向の下――突如として、その冷水は俺の躰に纏わり付いた。


「――! 冷た……何するんだ!」


俺は咄嗟にプシエアの方を向いた。彼は先程まで酒が入っていたコップを、円卓に力強く置き。注告した。


「それはこっちの台詞だ。“何をしているんだ?“ お前を回収・警護していれば、その辛気臭いつらと態度が嫌でも目に付く! なぁ、親を亡くして気が滅入るのは必然だ。だがな、未だ事は終わっていない。嘆くのは終わってからにしろ。」


尤もだ。彼は存命している中で、最も付き合いの長い人物だ。俺が普段どのような思考回路で、どのよう手順で事に当たり、どのような人生を歩んでいたのかを雑多に――然し、少なからず俺よりは客観的に捉え、それを踏まえてアシストを請け負ってくれている人物だ。彼は正しかった。


だが、それぐらい俺も理解している。然し、あの光景は、いつまでも消える事無く縷々るるとして組み込まれてしまったのだと思う。そして、そう思う事により、また――俺は俺という人格の淵に、向かうのだ。


 墜ちていく俺を見て、徐にズミアダが口を開く。


「プシエアの言う通りだ。今のお前には、あの冷血な人殺し故に生まれた“凄味“が無い。血みどろになっても、必ず標的を抹消する残忍さが無い。今居るのは、唯の弱虫だ。


オレが憧れたゲンは何処行った? いつも一人で決めていたろう? お前はしたい事をする人間だ――お前は今、?」


その質問に対し、“何故訊く?“と反問までもなく、彼の意図は明瞭だった。俺が邪魔だったからだ。迷えば切り捨てる。この世では必定だ。


――だが、その言葉には聞き覚えが在った。


「俺は……」


エドの言葉を思い出し、彼の意志を――いや、必要ない。唯、答える。俺がしたい。エドや親の遺志や復讐、仕事や私怨も必要ない。可能かどうかは、最早論点じゃない。


――“何がしたい“


それは捜すまでもなく、思考を支配しているではないか。人格の淵――そんな無意味な言い回しも要らない。俺の言葉、人心、魂と呼ばれる様な至極曖昧な、存在すら不確かなモノ。その“モノ“で語る。


今、俺を諺解げんかいする。


「始めは最後の仕事としか考えていなかった。然し、親を殺され、自身も殺されかけ、その規模と陰謀、実力に絶望すら覚えた。更にはその絶望で生まれた感情が一層俺を弱くした――そう考えていた。


それは間違いだった。復讐? 感情? 陰謀? 関係ない。今迄やってきた様に、これからもそうする様に。俺はただ……


――“やるべき事を終わらせるだけだ“」


その言葉を聞くなり、ズミアダは少し含み笑いをする。


「ハッ! ね。少し人が良くなったけれど、ゲラインという仕事人間が帰ってきた感じだ!」


「……茶化すな。所為だ。」


プシエアが俺にハンカチを渡しながら話しかけてくる。


「おぉ、ゲライン。今来たのか?」


またくだらないジョークを言ってやがる。先程の弱虫が、まるで俺じゃないみたいな言い草だ。だが事実、弱虫も迷い人も既に消えた。あの光景は明瞭に記憶され、今も尚想起されるが、それ以上の意思で俺は俺自身を律している。


「あぁ、今さっきな……道すがら。」


俺もまた、つまらないジョークを返す。然し、これでいい。どうせ、何も上手くいかない世界なんだ。思い描いた人間にも成れず。思い描いた世界にもならない。だが、これでいい――俺達は人間なんだ。


世俗と異なる世界で仕事をしている“最後の人殺し“なんだ――或いは“機械壊し“かもしれないが、俺は銃を撃つしか能がない。だが、仲間が補ってくれる。支え合うのも案外悪くない。


 言い争いが終わり、談笑していると、先程まで、くだけた座り方で暇をしていたハシギルが、不意に話しかけてくる。


「仲良し話は終わったか?」


俺は直ぐに応えた。


「待たせてすまない。えっと……ここを出るのは今日の夜だったか?」


ズミアダに問うと、彼は監視装置と連動しているであろう小型ディスプレーから再度目を離し、答える。


「ん? あぁ、その事なんだけどね……」


彼が言うには、何やら捜査網の規模が予想以上らしく。彼によると俺を待っている間、既に一つの隠れ家は特定されたという。


更には夜中にかけて捜査網を拡大するとのこと。無論、これはプシエアとヨハンからの情報だ。


俺達は夜中にここを出る予定だったが、状況が変わった。危険すぎるという総意も在り、まだ日が高いうちに、旧ホテルを出る運びになった。


警察もまだ捜索の手を止めない。だが、幸運な事に、先日の事件により大通りは復旧作業に入り、一時的に閉鎖された。その影響で此方側の交通量も増え、機会は良かった。


然しそれでも尚、状況は厳しい。選択肢は――いや、迷いは無かった。

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