第16話 幾多の質
俺が警戒心を欠き、命を他人に預け、目を覚まして間もない頃。皆は既に、リビングに在る円卓に着いていた。
「それで――何から話すんだ?」
始めに口を開いたのはプシエアだった。彼は日が昇る迄、交代制といえずっと監視と警備を繰り返していた。無論、他の二人――昨日紹介された、ヨハンとハシギルもそうだった。
「では先ず、私から監視・警備での報告を……と言っても、不安要素すら無い程に静かな夜でした。プシエアともそう話していました。ハシギルさんはどうでしたか?」
ヨハンに続き、ハシギルが応える。
「気になる事は無いな。念の為に監視していた傍の路地の、ホームレスや不良も此方へは来なかった……静かなものだ。」
その話を聞くと、次はズミアダが話し始めた。ズミアダも、エドの遺した暗号データの解析に勤しんでいた。
「此方も、暗号データの幾つかは解析出来た。だけど、あと一つだけ残っているんだ。ゲン、どうやらお前宛てのようだぞ。何か心当たりはないか?」
「……あっ? いや、無いな……」
この時……いや、厳密には昨日から既に、俺は皆を巻き込んでしまった事に対し、申し訳なさを感じていた。
それだけではない――彼がこの世に存在しないという認識が
今迄の複雑怪奇に思考力を奪われ、皆が“これから“について話し合う中、“これまで“に思考を奪われた俺の口からは、生返事しか出ず。その霧を払うのも、また他人だった。
悪夢にも似た
「――! 冷た……何するんだ!」
俺は咄嗟にプシエアの方を向いた。彼は先程まで酒が入っていたコップを、円卓に力強く置き。注告した。
「それはこっちの台詞だ。“何をしているんだ?“ お前を回収・警護していれば、その辛気臭い
尤もだ。彼は存命している中で、最も付き合いの長い人物だ。俺が普段どのような思考回路で、どのよう手順で事に当たり、どのような人生を歩んでいたのかを雑多に――然し、少なからず俺よりは客観的に捉え、それを踏まえてアシストを請け負ってくれている人物だ。彼は正しかった。
だが、それぐらい俺も理解している。然し、あの光景は、いつまでも消える事無く
墜ちていく俺を見て、徐にズミアダが口を開く。
「プシエアの言う通りだ。今のお前には、あの冷血な人殺し故に生まれた“凄味“が無い。血みどろになっても、必ず標的を抹消する残忍さが無い。今居るのは、唯の弱虫だ。
オレが憧れたゲンは何処行った? いつも一人で決めていたろう? お前はしたい事をする人間だ――お前は今、何がしたいんだ?」
その質問に対し、“何故訊く?“と反問までもなく、彼の意図は明瞭だった。俺が邪魔だったからだ。迷えば切り捨てる。この世では必定だ。
――だが、その言葉には聞き覚えが在った。
「俺は……」
――“何がしたい“
それは捜すまでもなく、思考を支配しているではないか。人格の淵――そんな無意味な言い回しも要らない。俺の言葉、人心、魂と呼ばれる様な至極曖昧な、存在すら不確かなモノ。その“モノ“で語る。
今、俺を
「始めは最後の仕事としか考えていなかった。然し、親を殺され、自身も殺されかけ、その規模と陰謀、実力に絶望すら覚えた。更にはその絶望で生まれた感情が一層俺を弱くした――そう考えていた。
それは間違いだった。復讐? 感情? 陰謀? 関係ない。今迄やってきた様に、これからもそうする様に。俺はただ……
――“やるべき事を終わらせるだけだ“」
その言葉を聞くなり、ズミアダは少し含み笑いをする。
「ハッ! すましてるね。少し人が良くなったけれど、ゲラインという仕事人間が帰ってきた感じだ!」
「……茶化すな。酒を浴びた所為だ。」
プシエアが俺にハンカチを渡しながら話しかけてくる。
「おぉ、ゲライン。今来たのか?」
またくだらないジョークを言ってやがる。先程の弱虫が、まるで俺じゃないみたいな言い草だ。だが事実、弱虫も迷い人も既に消えた。あの光景は明瞭に記憶され、今も尚想起されるが、それ以上の意思で俺は俺自身を律している。
「あぁ、今さっきな……道すがら酒をふっかけられた。」
俺もまた、つまらないジョークを返す。然し、これでいい。どうせ、何も上手くいかない世界なんだ。思い描いた人間にも成れず。思い描いた世界にもならない。だが、これでいい――俺達は人間なんだ。
世俗と異なる世界で仕事をしている“最後の人殺し“なんだ――或いは“機械壊し“かもしれないが、俺は銃を撃つしか能がない。だが、仲間が補ってくれる。支え合うのも案外悪くない。
言い争いが終わり、談笑していると、先程まで、くだけた座り方で暇をしていたハシギルが、不意に話しかけてくる。
「仲良し話は終わったか?」
俺は直ぐに応えた。
「待たせてすまない。えっと……ここを出るのは今日の夜だったか?」
ズミアダに問うと、彼は監視装置と連動しているであろう小型ディスプレーから再度目を離し、答える。
「ん? あぁ、その事なんだけどね……」
彼が言うには、何やら捜査網の規模が予想以上らしく。彼によると俺を待っている間、既に一つの隠れ家は特定されたという。
更には夜中にかけて捜査網を拡大するとのこと。無論、これはプシエアとヨハンからの情報だ。
俺達は夜中にここを出る予定だったが、状況が変わった。危険すぎるという総意も在り、まだ日が高いうちに、旧ホテルを出る運びになった。
警察もまだ捜索の手を止めない。だが、幸運な事に、先日の事件により大通りは復旧作業に入り、一時的に閉鎖された。その影響で此方側の交通量も増え、機会は良かった。
然しそれでも尚、状況は厳しい。選択肢は――いや、迷いは無かった。
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