第三章

スペクトラム

第15話 名残り 前編

 『下水臭い――』


バッグを背負い、もう一つを肩にかけ、水を踏み締めるようにして旧下水路を進む。拳銃を握る左手には、エド名残が紅く滲んでいる。


エドが死んだ? しかも、こんな形で――』


到底、信じられるものではなかった。彼が死ぬ予想なんて一度も……いいや、俺は認めたくなかったのだ。彼は常に最期を覚悟していた。


俺と出会ったあの日から殊死しゅししていたんだ。



 暫くして、俺は旧下水路から街の下水路に辿り着き、少しして目的地であるマンホールが近くなっていた。


水音――しくは水に濡れた地面を踏み締める音が目先の曲がり角で聴こえ、咄嗟に歩を止める。


目頭のほとぼりは未だ冷めない――俺にもまだ人間性は残されていたらしい。今迄気が付かなかったタチあだなして、自らを愚者へと追いやっているようだ――酷い気分だ。



 なし崩しに窪みに隠れ、スマートグラスの暗視モードをオンにする。


「“ジジ“――B-13-054。定期報告を。」


曲がり角からはノイズ混じりの無線音が聞こえ、それは水音と共に次第に近付いてきた。


「異常ナシ。引キ続キ捜索イタシマス。」


「“ジジ“――了解した。隈無く捜索しろ。」


機械音声――例のAI搭載型戦闘ロボットだろう。俺は念の為、暗視モードを切ってから、半面覗かせ様子を見た。


それが顔を覗かせた刹那――隠れながら奴の黒……いや、灰色だろうか。そのゆとりの在る戦闘服タクティカルスーツが見えた。その主は若干、人間の様な動きをしつつも頭部はロボットそれだった。


『エドの言っていた“機械傭兵“――実戦投入は未だの筈だが……』


世間に公表していないのは、倫理面でのクレーム対策と、非常事態に迅速且つ資金が許す限り「育成を必要としない統率された兵士」を戦地へ送り出せるからだろう。


『ネックなのは人間よりコストが高いことか……』


目頭を冷ましつつ、悪癖の思索をしていると、俺は奴の動線から、目の前を過ぎるであろうと察した。そして先程隠れた窪みの、更に奥に潜んだ。


ライトを点けていない――奴も暗視装置の類いを有しているのだろう。此方も暗視モードをオンにして、拳銃を構え、片方の荷物をゆっくりと降ろしてから、息を殺した。


然し、やはり奴はロボットだった。


一抹の不安として――阿呆らしい話だが『人間なのでは』と疑ってしまっていた。無線を聞き、姿を見て確認した。それなのに……。


普段なら有り得ないだろう。イカれてる。


そうか――俺は追い詰められているのか。


水滴が頬を伝う感覚がして、思考が瞬く間に淀んだ――人間性。または感情が、熾火の如く湧き溢れ、燃え盛る。


これが、生きるという事なのだろう。エドが死んでから気付くとは皮肉だ。


コレは――俺には重過ぎる。



 その後、俺は何事もなく目的地の下に着く事が出来た。どうやら下水路の警備に割かれている戦力は少ないようだ。


エドのお陰だろうか……


梯子を登る前、クリアリングを再度行い、マンホールを開けて、霧雨で煙る地上に出た。マンホールの位置は、見て取れるぐらいに寂れたビルの狭間に在った。


二回に分けて荷物ゴルフバッグを地上に運び上げ、マンホールを閉じる――その瞬間、スマートグラスが何らかのプロセスをに実行し、暗号メールを見覚えのある連絡先に送信した。


『これは――』


それから程なくして、片側のビル――その扉からプシエアが顔を覗かせ、俺を小声で呼んだ。


エドがプシエア達に接触コンタクトしたという話を聞いていた俺は、漠然とプシエアが来た理由を推量しつつ、彼の案内に従った。


 彼と共に鳥籠の様になったエレベーターで、旧ホテルの様な建物の10階まで昇る。そして、少しばかし廊下を歩いた先に在る、1012号室で足を止めた。


扉を開けると、見覚えのない靴が幾つか在り、如何にも運んで来たように、雑破に置かれた――ズミアダの1/8 Gallonに置いてあった様々な電子機器と、作業道具の類いが散乱として迎えた。


中を覗くと、俺を迎える様にして、見知らぬ人物おとこが二人。部屋の入り口で待ち構えて居た。俺はゆっくりとガンホルスターに手を伸ばし、プシエアがそれを止めた。


そして、スーツを着た眼鏡姿の男がプシエアから案内を引き継ぎ。目付きが悪い別の男は、プシエアと見張り役を交代した。


眼鏡の男に於いては、そのスーツの隙間から、軍用の薄型防弾チョッキと、それに付いた弾倉ホルダーに、大量の弾倉が仕舞われているのが垣間見えた。


眼鏡の男は若干スリムな、その躰を動かし、へやの奥に手を向け、疲れ切った俺を催促した。それから、丁寧な口調で自己紹介を始めた。


「初めまして。プシエアから協力を促され、参りました。彼と同じ部署で働いているヨハンです。」


「……ゲラインだ。宜しく。」


彼は握手のために右手を差し伸べた。普段、握手等する様な生き方はしていない俺は、しかし友人の体裁の為、不格好な握手を交わした。


彼の差し伸べられていない方の手、左手には消音器サイレンサーと、可視光レーザーを付けた拳銃が、尚も握られていた。


『警戒しているのは俺だけではないようだ。』


一見、生まれが良さそうで、唯の腑抜けかとも思ったが――存外、やり手なのかもしれない。


「貴方の話も彼から聞いています。貴方程ではないですが、付き合いも長い方です。今出て行った方は、ズミアダさんの紹介ですので、彼については後程聞くといいでしょう。」


「……御丁寧にどうも。」


彼は説明を終えると、扉が開けっぱなしになった部屋に俺を通し、そのまま玄関で警備しているプシエアの下へ向かってしまった。

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