第12話 シャンパーニュと徴
彼の話を聞き終えた時、
恐らく、父は
だからこそ彼は、全てを話してよいのかと躊躇い。父親代わりをし、亡き戦友との暗黙の約束を守ったのだ。
そして、全てを背負い。それを俺に託した。
彼は葉巻を下に傾け、少ししてから軽く吹かす。そして煙をゆっくり吸い上げ、流し出す。
「――逃げるのには手間取った。海を渡り、山を登り、雨林に沈んだ。俺が長年気にしていたこの痕も、その際に負ったものだ。」
「……気にしていたと気付いていたのですか。」
「当然だ。そんなに見られちゃ、馬鹿でも気付く。傷を負ったのは、ある島の湖を渡った時の事だ。
その島は気候変動が熾烈で、一日に落雷が何百何千と発生する。それを食らった時には、心臓が3分も停まったらしい……お前の父親には何度も世話になった。」
彼の語り草は、父が師匠にも親友にも似た大切な存在であった事を示していた。
「まだ話すことはある……組織の目的についてだ。」
俺達は任務故に、データの中身を知らなかった。だが、逃亡している際に話し合い、遂に中身見た。詳細を知れば、或いは逃げ延びる術になるかもしれないと考えたんだ。
無論、データは暗号化されていたが、それぞれの伝手を使い、逃亡開始から約一年後にようやく識ることが出来たんだ。
そのデータには名前が無かった。名前が付けられる前の段階だったのだと思う。
そこで俺達は「名無しのデータ」の名付け親になった。
『
予言にも虚言にも捉えられるその
それはこれまでの任務内容からも、
シンギュラリティによって
お前が体験した『義体化技術』も、
義体化技術は秘密裏に完成されている。それは人類史を否定し、一時的な超進化と生物としての終わりを
そして義体化された人間として固定された命は、故に操り易く脆い。
奴等は義体化技術に何か仕組むつもりだ――
俺は咄嗟に聞いた。
「何かって、何をです?」
「――残念ながら、分からない。だが、義体化によって人類を非生物化し、エントロピーの増大を止めることは確かだ。そして、全てを支配する。ラプラスの悪魔のように。」
「……そのデータは何処に?」
「俺達が分割した――データは360TBのガラスナノ構造5次元データストレージに保存されていたのを、俺達で分けて保管したんだ。
データを保管したハードは掌サイズで、内部はガラス性だ。それ故に割れやすいが、耐熱性と耐用年数に優れている代物だ。
割り振りとしては、お前の父親が『義体化技術』の基礎部分を持ち、俺がその発展型とソビエトの遺産を持っている。
発展型は、基礎となる義体化技術が無ければ意味を為さず、基礎部分はもはや思想の段階でしかなく、実用性は無かった筈だった。
だが奴等は、自ら完成させてようとしている。お前を襲ったワニ頭を見る限り……もうすぐだ。」
彼の虹彩はいつにも増して煌き、鋭くなった。きっと彼は、組織や国から逃げ回る人生を、俺の父と繰り返していたのだろう。
そして魔の手が先に届いたのは、皮肉にも身寄りのない彼ではなく父の方だった。
それが、贖罪の正体だった。
彼はワイングラスに残ったシャンパンを、その喉に一気に流し込む。
ワイングラス越しに見る彼の瞳――その淡い蒼色の虹彩は、いつかに聞いた曖昧な台詞を思い起こした。
『――青は死の色とも謂われます。
理由として、死にゆく
因みに、この光は次第に強くなり死の瞬間には最大に達し、直後に消えます。
正に、
肘の辺りまでたくし上げられた袖の下から、
彼はまるで、死神を待っているようだった。
「――さぁ、昔話はこれまでだ。まだ俺は作業中だからな。後は好きにしてくれ。」
彼はそう告げると、空いたグラスをキッチンへ運び、酒瓶をワインセラーに戻して、そのまま作業室へ戻った。
その頃には自身の身体もかなり回復していた。そこで俺は、失った時間を取り戻すように動き始めた。
先ずは、銃と反動吸収用外骨格のメンテナンス。それと同時に、荷物の整理も始めよう。
「?
俺が呟くと、
「それなら Z に持って行ったぞ。損傷が酷かったから、例の不格好な銃と一緒にな。外骨格の軽量化、メンテナンス性や剛性の向上を図る改良案も提示しておいた。尤も、口頭でだが。」
「 Z って……ズミアダに?」
「あぁ、これからの計画もざっくりとだが告げた。やるかどうかはお前次第ではあるが、何方にせよ援助が必要になると思ってな。」
どうやら彼は証拠品以外の荷物を先に受け渡し、円滑に動ける様に配慮した上で、ことの
然し、彼は父の子である俺以外に信頼を置く事は絶対に無い。
恐らく、ズミアダ達には『何故か自分達を識っている無愛想且つ場数を踏んだ危険な男』として認識されている事だろう。早く弁明しなければなるまい。
会話を終えてから、早くも俺は話すべき事の全てを伝えた、彼のこれからを考えていた。
『奴等と決着を付けるつもりか? 或いは見過ごし、逃げるのか?』と――
彼の息子として、彼の身を案じていたのだ。
彼のことなら知っている。彼の話し方や好みの色、香り、くたびれたホワイトシャツに至極色のベスト――古い葉巻とマッチ箱。
マキシマリストらしいガラクタの山。家の内装にも彼の嗜好によるものが沢山あった。
彼こそ、俺の味方だった。
一通りの疑問も晴れ、明瞭な意識を取り戻し、痛みも殆ど感じなくなっていた俺は、ふと我に返りある考えが浮かんだ。
「――そういえば、父母の写真などは在りますか?」
「恐らく……在るだろうが……」
俺は父母の写真を持っていなかった。写真だけでなく、全てを父母と共に消されたのだ。
記憶も朧げな、俺を愛した人の姿を――せめて死ぬ前までに覚えていたいと考えていた。
――
しかし、例の吊り橋で起きたテロも奴等の仕業だとすると、やはり動きが活発化しているように感じる。
それは組織が、
何方にせよ、目の上のタンコブを無くしたいという点では同じだろう。
終わりが近い――。
彼は怠そうに席を立つと、ぐーっと伸びをし、小さな舌打ちをして作業をしていた作業室へ向かった。
「全く、作業が滞って敵わん。その好奇心は昔から変わっていないな……待ってろ。」
不満を漏らしつつも、承諾してくれたようだ。
彼が作業室に居る間。彼の動きは聞こえるだけだった。
然し、尚も静かで肌寒い早朝――木を基調としたこの平家では、手に取る様に
音から察するに。彼は床下収納庫でも漁っているのだろう――断言は出来ないが、僅かな響きの在る特徴的な音が聞こえていた。
「――あったぞ。」
埃の被った小箱を軽く
箱はコーヒーテーブルの上に置かれ、多少の埃を舞わせていた。
少し咳き込みながらも、俺は
中には、古びた紙切れの入った空き缶に手記、古い型のUSBや外国の硬貨が入っていた――彼はその中から缶を取り出し、俺の前に突き出した。
従うままに缶を覗くと、その内面をなぞる様にして、
それらを手に取り、掌で
「――この人がそうですか?」
写真には、
彼は徐に、ベストの右ポケットにかけられた室内用の眼鏡をかけ、眼を少し凝らしながら写真を見る。
「
「この人が――」
そこには目の
「『アルカンジェリ設立以来の優秀な隊員』などと、
まだ全員揃っていた時だな。大馬鹿者しか居なかった。それぞれ、正義を盲信していた。
『アルトレイ・アルトリアス・ジルレイド』――お前の父親の名だ。当時はそう名乗っていた。恐らく彼が最も長く使っていた名だ。
初めて聞いただろう? 彼は他にも偽名を使っていた。仲間内からは「ジョン・ドゥ」と呼ばれる事もあった。過去は誰も知らず。家族も居ない。
その実は、第三期メンバーの中で常にトップの成績を収めていた化け物――にも関わらず、誰よりも不安定な精神構成の持ち主。
それが彼だ。
お調子者として気丈に振舞っていたが、その実は
「父が人格破綻者?」
「症状は退役軍人によく起きるものと同じだ。
周りの人間が信じられない。音に敏感になる。慢性的鬱に、
度重なる任務の末に、平和の中に生きることが出来なくなっていたのか――
そして、お前の母親はそんな彼の心の支えとなっている人物だった。この時代には珍しく、優しい人だったよ。」
まただ。また、彼の物言いは哀しげな雰囲気を醸し、以前の言葉数少ない彼に戻っていく。
俺はその様子を見て心苦しさにも似た感情を覚え、写真を降り畳み、話を切り上げようとした――その時だった。
「待て、写真について話すことがある。」
彼の掌は前回よりも優しく、俺の左手に触れた。彼は写真を受け取ると、写っている十数人の中から、真ん中に居座る老人を指差し言い放った。
「彼が『
その言葉に含まれた意味は、今日これまでに彼が話した全てより純粋で、明瞭な意味を持ち。復讐にも似た悪路として、俺に確かな
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