その方がいい。
@tsuboy
第1話
ある日曜日の出来事である。僕はソファーに横になって読み残した朝刊の細かい所に目を通していた。読者の声、人物紹介、政治欄などといった部分だ。
「今晩、何食べたい?」
そう台所から聞いた彼女に
「親子丼」
と僕は言った。気軽に、何も考えず『親子丼』って。
妻は、しばらく考えた様子で、それから黄色い花柄のエプロンを外して
「でかけるわよ」
と機敏な声を上げた。普段買い物にいかない僕は
「えっ?おれも行くの?」
と信じられないような声で応える。にっこりと彼女は笑う。
「そう。あなたも行くのよ」
久しぶりに、僕らは日曜の午後に外に出た。
まだ暗くなる前の国道に僕は車を走らせていた。すぐ先の信号を右に曲がろうと、後方を確認して車線変更をした。
「そこじゃないの。この先の大きいスーパーに行ってくれない?」
と彼女は言う。
「ここじゃ駄目なのかい?こっちの方が近いじゃないか」
「欲しいものがないのよ。いいじゃない、ドライブだと思えば。」
彼女は助手席で、身体をこちらに向けてそう言った。「まあ、いいか」と僕は思う。たまにはそういう時間があってもいいさ。妻がカーペンターズのCDをかけ、僕は「悪くない」と心でつぶやいた。
そのスーパーは、僕がよく知っているスーパーに比べると桁違いに広くて明るい。品揃えも良い。これほどの量が必要なのかと思われるほど、そこには品物が並んでいる。そこに来ると、なぜかため息をつきたくなる。妻は「それじゃ、醤油と三つ葉と玉子をお願いね。」と言い残し、買い物かごを抱えて陳列棚の間に姿を消した。「なんだ、結局一人で買い物するんじゃないか」と僕は思った。
三つ葉と醤油まではよかった。愛知県産や千葉県産、本醸造とか蔵造りの違いはあったものの、妥当なものといつも使っているものを手に取って選択を終えた。でも僕は玉子の売り場で、全くの・・・困惑の渦中に巻き込まれることになった。
有精卵と無精卵の違い、茶色い玉子と白い玉子の違いまではわかった。でも大きさや形に違いのないものが十円もあれば七十円のもあって、四十円だの、十五円だの・・・それらしい宣伝文句はあるけれど、玉子に違いは全く見出せなかった。
一パック一〇〇円、ひとパック一五〇円、四〇〇円、ひとぱっくナナヒャクエン、ハッピャクエンきゅうひゃくえんセンナナシャクエン・・・ミタメニ、チガイハミラレナイ。
一パック一〇〇円、ひとパック一五〇円、四〇〇円、ひとぱっくナナヒャクエン、ハッピャクエンきゅうひゃくえんセンナナシャクエン・・・ミタメニ、チガイハミラレナイ。
一パック一〇〇円、ひとパック一五〇円、四〇〇円、ひとぱっくナナヒャクエン、ハッピャクエンきゅうひゃくえんセンナナシャクエン・・・ミタメニ、チガイハミラレナイ。
とにかく困ったので、僕は玉子自身に聞くことにした。
「おいっ」
と玉子に声をかける。
「おまえは一体どんな『たまご』なんだ?」
玉子たちは声をあげる。
「ぼくは有精卵だよ!この近くで産まれたんだ。」
「俺だって有精卵さ!平飼いで、動き回ったあげくに産まれたのさ」
「わたしは無精卵だけど、大きな農場で産まれたの。ママたちは丸太で作った小屋のなかで育ったんだから、」
「だけど無精卵なのかい?」
「パパだっていたわ」
「それでも、無精卵なの?」
七十円の玉子は、恥ずかしそうに笑った。
「だれもがそうなる訳じゃないの・・・。あれが必要なのよ」
「あれ?ああぁー、なるほど、アレね・・・。」
僕は深々とレディーに頭を下げる。
「ずいぶん静かなのがいるね、」
僕は十円の玉子に目を向ける。
「あいつは駄目だよ」
「玉子マシーンの子供なんだ。」
「玉子マシーン?」
「玉子を産むために生まれた、生物機械さ」
「生き物じゃないわ」
十円の玉子は虚ろな目でこちらを見つめている。
「あいつの親は金網に囲われて、一生を送る。」
「動くことも、眠ることもままならない。」
「眠りかけた頃に、電気をつけるの」
「朝だと思って」
「それで産むんだよ。」
十円の玉子は、こちらをじっと見つめていた。
「きちんと選べたかしら?」
そう僕に声をかけたのは妻だった。
彼女は幾つかの商品をかごに入れ、にっこりと僕に笑いかけた。
「玉子って、選ぶの難しいんだから。」
彼女は産地や値段の書かれたラベルを覗き込んだ。
「単に値段で決めるのもどうかと思うのよね・・・。飼料や飼育方法、経営の規模や仕入れルートなんかで値段が変わるから高けりゃいいってもんじゃないの。」
彼女に「どれがいいと思う?」と聞かれて、僕は迷ってから一つを指差した。「はずれ」と妻は言った。
「表示されてる情報が不十分なの。いきましょう」
そう言うと彼女は、さっさとレジの支払いを済ませて外に出た。
「いいんじゃない?玉子ぐらい、どれでも?」
車に向かう途中で僕が言うと、
「駄目よ!あなたは『親子丼』が食べたいって言ったのよ。」
僕の口真似をして、『親子丼』と彼女は言った。
それから彼女は、僕を一軒の店に連れて行った。そこは小さな間借りスペースの、開けるとカラカラって音の鳴るガラス戸の店だった。赤いバンダナを巻いた女性が陽気な声で「こんばんは」と声をかけてくれた。そこで僕らは、同じ農場で飼育しているという若鶏のもも肉と玉子を買った。家に着いてから、彼女は夕食の支度を始めた。その頃にはもう二十時をとっくにまわっていたと思う。それでも出来上がった『親子丼』はほんものの親子丼で、三つ葉が湯気に揺れていた。特別美味いと言うわけではなかったが、美味かった。時間と手間はかかったけれど、いつもと違う味がした。
それは何かしらが生きている味だった。
まあ確かに、
時間と手間はかかった。
けれども・・・
その方がいい。 @tsuboy
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