第44話 根室重光が岡田信星老師に会うこと②

 「待つのだ根室くん!」

 「誰が待つか大馬鹿野郎」

 俺は廊下へ飛び出すと、転がるように走ってグランドへ逃げた。

 日頃の鍛錬のおかげで息切れもしない。若さ最高。


 一息ついて校舎を見上げる。立誠りっせい高校は昭和二十年代竣工の区立小学校を改築、内部こそ清潔かつ未来的にリフォームされたが、バルコニーや玄関のアプローチ周辺にインド寺院風の装飾が彫られた校舎は端々が黒ずみ、建物が重ねてきた歳月を感じさせる。

 四階は一年生の教室が並ぶフロアだ。幽香は信南子先生の言うとおり学校へはちゃんと通っているようだが、いつまでも先生の下で厄介になるわけにもいくまい。

 アシャラの件もある。明日にも校内で捕まえて、家に帰るように説得しなければと考えていると妙なものが目に止まった。


 グランドの隅に雑草を生やした煉瓦の井戸がある。

 とっくに使われていない枯井戸だが、木製の蓋が動いている。

 ほうっておくのが無難と直感が告げるも目が離せなかった。やがて下から蓋が押し上げられ、井戸の中から二人の人間が現れた。

 まず長いポニーテールの女が出て、小柄な女が這い出るのを手伝う。

 如斎谷の仲間で、永野と片岡という奴らだ。嫌なことには、こいつらまでここの制服を着ている。


 「おい、何してんだ」

 何やらよからぬ予感がして、つい咎めてしまった。

 「あ、ダーリン!」

 チビの片岡がこっちへ駆け出そうとするのを長野が止めた。

 「ばったりダーリンに会えるなんて運命かな~!」

 「よせ杏! 痴愚きわまりない劣等生物のオトコだぞ!」

 永野は以前と少しも変わらぬ殺気だった目つきで俺を睨む。人のことを痴愚だの劣等だのと男性憎悪は健在だ。


 「離すかな~ん! ダ~リ~ン!」

 片岡の甘ったるいロリボイスも不気味さに磨きがかかっている。

 「おまえらも転校してきたのか。それより井戸の底で何やってたんだ」

 「気安く話しかけるなオトコ風情が」

 永野が唾を吐き捨てる。さすがに腹が立ってきた。

 「おまえらのリーダーが襲撃されたのを知ってるのか?」

 「よくも昆さまを!」

 速い。長野が背負った竹刀を振り下ろしてきた。

 とっさの白刃取りで対応するも両手が痺れる。


 「俺じゃない! 蘇鉄組の組員がクーデターを起こしたんだよ」

 「貴様が先導したのだろう」

 「ヤクザどもとは一面識もねえよ!」

 「昆さまの危難は理由によらず貴様の責任!」

 何を説いても無駄だなこりゃ。完全に俺への憎悪に凝り固まっている。竹刀を止めはしたものの地力の差でじわじわ圧される。

 如斎谷ほどの大女ではなく、幽香よりやや小柄なぐらいなのにすごいパワーだ。こいつもアシャラの眷属か?

 今は上着の下に菩提銃がある。片手が使えたら超近距離射撃で彼方へ吹き飛ばしてやれるものを。


 「やめんか永野!」

 再び神使ヒトトビを呼んで助太刀願おうとするより速く、つむじ風のごとく現れた如斎谷が手下を蹴飛ばした。竹刀の餌食にされずに済んだのは助かるが追いつかれてしまった。

 「昆さま! ご無事でしたか!」

 起き上がった忠臣をまたも蹴り倒す。


 「私の暫定フィアンセをいじめる奴は許さんぞ」

 「何ですとぉ⁉ よりによってこんな男を?」

 「リーダー、杏にもチャンスおくれよ~」

 「駄目だ駄目だ。この世の色男はことごとく私のものだ」

 奴らが言い争ってる間にトンズラを計るも、大女に前へ回り込まれる。

 「授業中へどこへ行くのだ根室くん?」

 授業を台無しにしておいてよく言いやがる。


 「だから、先生を抱けだの、おまえのフィアンセだの、馬鹿馬鹿しい話にはつきあってられないって言ってるのがわからねえのか!」

 「もしかして妹君に遠慮しているのか? ならば本人に承諾を得よう」

 「一年生の授業を邪魔したら射殺するぞてめえ!」

 「そこにいるんだよ。ちょうどいいじゃないか」

 あろうことか四階の窓が開いて、長い黒髪を垂らして顔をのぞかせていたのは、数日ぶりに見る我が従妹に他ならなかった。

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