第43話 根室重光が岡田信星老師に会うこと

 「あ、ああっ! や、やはり男の体はい!」

 本日最後の授業は信南子先生への嫌がらせで始まった。

 「ジョ……ジョセフィーヌは……戦場での勝ちどきにも似た雄叫びをあげた……」

 今にも消え入らんばかりの先生の声は不憫に尽きる。

 「あ……ああん……貴公のを……お、お、おくれ……」

 「キング先生、もっと情感を込めて読んでくださいませんか」

 顔にガーゼを当てた如斎谷が注文をつける。


 奴が死ななかったことは言うまでもない。あれだけの大爆発の中心なかにいながら、保健室での手当てで事足りる程度の怪我しかしなかった耐久力と治癒力に誰もが戦慄した。

 そして教室へ戻るや、負傷の責任は組員の乱入に気づかなかった教師の怠慢にありと信南子先生を糾弾、自作の長編小説『秘密の王宮・百戦錬磨の王女ジョセフィーヌ』の朗読を要求したのである。


 これがまた赤面もののエロ小説で、コンドル王国の王女で魔法騎士でもあるジョセフィーヌが王国を脅かす外敵と戦うために、性交の悦びを知るたびに新たな力を獲得するおのれの体質を活かして、様々な男性遍歴を重ねるという筋書きだ。

 とてもお嬢様教師には声に出して読める代物ではない。


 「うう……ジョセフィーヌは王女としても騎士としての誇りも一時いっとき忘れ、ただの雌に戻り、卑しく涎を垂らし、自分から……に……むしゃぶりついて……」

 「聞こえませんぞキング先生」

 ちなみにキング先生というのは、信南子さんのヘアースタイルがトランプの王様を連想させることから如斎谷がつけた仇名だ。

 「許してください。わたし、こんないやらしいこと口にできません!」

 如斎谷はやれやれと肩を揺すった。

 「殿方と手を繋いだこともない箱入りさんはこれですからな」

 「手、手ぐらい繋いだことはあります!」

 「先生⁉」

 生徒間に驚愕のさざ波が広がる。

 如斎谷昆におびえる一方だった先生が真っ向から反論したのだ。


 「ほう? いつ繋がれたのですかな?」

 ニヤニヤしながら問い返されると、先生はぐっと喉を詰まらせて、

 「き、昨日だって、金吾と……」

 「金吾とやらが犬でないといいのですが」

 的中だったようで先生は塩をかけられたナメクジみたいに縮んでゆく。

 「他には?」

 「ほ、他には……他には……」

 顔中に汗を浮かべて先生は四苦八苦している。

 遺憾ながら二十五年間の記憶を総動員してみても、如斎谷を黙らせるだけの経験は発掘できずにいる様子であった。


 「どういうことですかなあ。挨拶がわりに男とまぐわう女学生が普通にいる時代に、性体験で生徒に遅れを取る教師に教えられる側は、いい面の皮だとは思いませんかな?」

 「ううう……」

 とうとう涙が先生の頬を滑り落ちた。

 これは先生いじめが過ぎる。俺は助け船を出すことにした。

 「如斎谷! あまり先生を困らせるんじゃない!」

 「そうだ根室くん、君が先生を抱いて差し上げたまえ」

 「抱っ⁉」


 抱けときやがった。もはやこの女から、どんな正気を疑う発言が飛び出しても驚くまいと思ってはいたが、いくら何でも教室で抱けとは。

 「君の初めての女になりたい私としては複雑な思いだが、恵まれぬ者に施すのも沙門の仕事だ。岡田先生を女にしてあげたまえ」

 「悪ふざけはやめろ! おまえのやってることは授業妨害だ!」

 「岡田先生は欲求不満でいらっしゃるんだ。だから、生徒が生命を削る思いで書き上げた文学をポルノもどきのごとく嫌悪なさるのさ」

 「ポルノそのもだろうが! 第一、先生はもっと聡明な大人の女性だ。俺みたいなガキを相手にするはずがない」

 「覚悟完了でいらっしゃるようだが?」


 馬鹿をほざくなと信南子先生のほうを見ると、もじもじと乙女な仕草で、何かを期待する熱っぽいまなざしを俺へ向けていた。

 「あの先生……?」

 「い、いけないわ根室くん。わたしたちは教師と生徒よ」

 「だから、おかしな関係は持てませんよね?」

 「その通りよ。でも、ここで如斎谷さんに逆らったら、あなたまでどんな迷惑を被るかわからないのよね。生徒を守るために一線を越えるのもやむを得ないことなのかしら。それに根室くんなら……やだ、わたしったら馬鹿みたい!」


 「よう色男! 先生までたらし込むたあ俺もあやかりたいねえ!」

 嫉妬まじりの冷やかしが投げかけられる。

 手の届く距離にいたら一発ぶん殴っているところだ。

 「根室くん……年上は嫌いですか?」

 駄目だこの人。馬鹿みたいじゃなくて馬鹿だ。

 ついでに殴って目を覚ませてあげたい。

 「すぐ学内へベッドを運ばせる手配をしよう」

 「冗談じゃない! こんな淫行奨励教室にいられるか!」

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