第34話 愛の迷路⑥

 「ケンカする人は嫌いですっ!」

 「ゆ、幽香か⁉」

 エコーがかかってはいたが声は幽香のものだった。

 しかし一体何なのだこの異形は?

 もっさりした黒髪は白銀に輝き、顔や手先など肌が露出している部分は蝋のごとき半透明で、両の瞳は真っ赤に燃えている。

 体全体も普段よりひとまわりは大きい。


 「わたしになら、わたしになら、どんなひどいことをしても許します! でも、わたしほど頑丈でも力持ちでもない人に乱暴する重光ちゃんは最低です!」

 青白い火の粉が涙のようにこぼれ落ちた。

 「俺がやられかかってたんだぞ」

 「でも、ケンカしてたんでしょう!」

 「聞け幽香、こいつはおまえを神音力供給の道具に……」

 「わたしが埜口さんのために差し出せる物は差し出すのは当然です! 重光ちゃんの命を助けるために貴重な薬師如来の神電池を使ってくれたんだもの!」


 「だからって命と引き換えにするほどのことか⁉ あのままだとおまえが干からびるまで体力を吸い取られていたかもしれないんだぞ!」

 「ウサギは……ウサギは自分を焼いて帝釈天に食べさせたんですよ……?」

 「何言ってる⁉」

 唐突な仏教話に俺は一瞬言葉を失った。


 「ウサギさんを御使パートナーにしてる重光ちゃんがそんなこと言うなんてショックです。それならわたしにだって考えがあります。いい子やめます!」

 燃える涙を飛び散らかせて恐るべき宣言をした。

 「グレてやる! 淫売になってやる! これから街へ出てハゲタカのように悪いオトナの餌食になってやるーっ!」

 涙を飛び散らしてワンピースの従妹は走り去る。


 「待て幽香!」

 淫売とは、これまた身の程知らずといおうか世間知らずといおうか。

 ともかく止めるのが先決と思ったが、ダメージをひきずった体では追いつきようもなく、たちまち幽香は鳥居から落ちる水幕を破って結界の外へ消えてしまった。

 「おまえに売値がつくとでも思ってるのかー!」


 「見たかい? 君の妹の正体を」

 崩れた石燈篭の下から埜口が這い出した。変身は解除されている。

 「星願寺で妖魂を倒したのも僕じゃなくて彼女だよ」

 「何だって⁉」

 全身を稲妻で撃たれる思いだった。

 まさか! まさかそんなことが!

 「師匠の助っ人に星願寺へ駆けつけたとき、すでに幽香ちゃんはあの姿になっていた。君がやられて理性のタガがはずれたんだろう。さっきのようにね」


 病室で生死の境を彷徨う最中さなか、おまえが妖魂をやっつけてくれたのかという質問に対する返事がどこかうつろだった理由はこれか。

 俺の記憶が曖昧なのを良いことに自分が命の恩人だと思い込ませたのだ。

 そのほうが何かと好都合だと判断して。


 「幽香のあの姿は何なんだ⁉ 教えろ!」

 「悪遮羅あしゃらだよ」

 アシャラ? アシャラって何だっけ? 

 いやいや覚えている。星願寺の境内の下に埋められた巨大な鬼女だ。

 その躯が放つ瘴気が無害な浮遊霊と合体して、妖魂を生み出す諸悪の根源、いわば俺たち退魔チームが最終的に打倒すべきラスボス的存在。


 「幽香が化け物の仲間だってのか? 冗談も程々にしろ!」

 「事実だよ。あの青白く光る体と燃える瞳は、伝説に現れる鬼女そのままだ」

 「あいつの親はれっきとした人間だ!」

 「悪遮羅は死ぬ寸前まで呪いの言葉を血とともに吐いて、人類に自分の種子を潜ませることに成功したんだよ……痛い! ナキワスレ頼む!」

 メカ金烏が主人の頭上へ来ると第三脚を格納した腹のハッチから吊り輪を垂らした。埜口がそれを握り、呻きながら立ち上がる。


 「今日はこれで帰らせてもらうよ。等身大の悪遮羅の攻撃になら耐えられる設計だったのに一撃で変身解除とはね……やっぱり彼女が底力を発揮するのは君が危機に晒されたときに限られるようだ」

 「待てよ! 事情通ならもっと説明しておけ!」

 「やなこった。君も国際的な民俗学者の息子なら自分で調べろよ」

 ナキワスレが羽ばたくと奴の爪先が地面から浮いた。


 「一つ誤解をといておこう。あの車椅子の女性は僕の師匠じゃない。あれは信南子しなこ姉さんさ。僕の従姉いとこ

 「でも先生って……」

 「近々、立誠高校へ赴任するはずさ」

 「教師か? 学校の先生なのか?」

 「もう答えてやる義理はないね。それより妹さんを追いかけな」

 暖簾のように沙幕をかき分け、神使に牽引される形で埜口も神域から退場した。

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