第31話 愛の迷路③

 『ホラ、見なさいよあれを!」

 連れ出されたのは入院棟の屋上、理不尽さんは俺の頭をフェンスに押し付けた。

 そこから俯瞰できる裏庭に奇異な人物ものを見た。

 (……はて?)

 男が入院患者らしい女が乗る車椅子を押してやっている。それだけなら微笑ましい光景である。男のほうが従妹とデート中の奴でなければ。


 なぜ埜口がこんな所にいる? しかも幽香以外の女と?

 「大した女たらしよね彼、わたしもびっくりしちゃった。ついさっきまで幽香ちゃんと歩いてたのに」

 ふと、青銅の孔雀と相対した晩の台詞が頭に浮かんだ。

 〝僕の大事な人が病気なんだよ〟

 あの女がそうなのか? 遠目でよくわからないが幽香に似ている。

 二言三言ささやいて、緑の頭が女性の顔に重なり静止する。危うくフェンスを引き裂くところだった。


 顔が離れると埜口は手を振って去っていく。

 こう言うのがかろうじて耳で拾えた。

 「じゃあ先生、またね」

 先生だって? どこの先生だ? あんな人は学校で見たことがない。

 〝僕の御師匠さまさ〟

 再び埜口の言葉が脳裏を駆け巡り――すべて飲み込めた。


 「ねえバカお兄さん、どんな気分? あんな女に手の早い男に自分の妹さんがたらし込まれた感想を聞かせてよ?」

 理不尽看護師が乱暴に肩を揺する。処刑決定だ。

 「ねえ死にたい? 投身自殺にはおあつらえむきの場所よ。落ちちゃえ落ちちゃえ!」

 「黙ってろ屑、男を舐めるのも大概にしとけ」

 「何ブツブツ言ってるの?」

 「怖跳拳、体内に痛苦を伝導させる掌底」

 「げぶっ⁉」

 腹をおさえて下衆女は転げまわった。さぞかし痛かろう。皮膚や筋肉を透過して内蔵へダイレクト跳に振動が届いているのだから。

 「その底意地悪い性根を直さない限り同じ地獄を味わうぜ」

 「こ、こんなことしてっ! 訴えてやるっ……!」

 「何を証拠に訴える。外傷は一切残らない技だ」

 影のように付き添っていたヒトトビが女の顔面へ飛び降りる。

 「げぶぶぶぶのぶっ⁉」

 削岩機のごときキックでとどめを刺した。


 俺は一体何をしようというのだろう。

 雷雲にでもなった気分で病棟の階段を下り、まだ中庭で木漏れ日を愛でている車椅子の女性へ近づいていった。

 (ちょっと問い質したいことがあるだけだ)

 冷静に、落ち着いて、威圧せずを意識したのに表情が険しくなっていたようだ。

 気配を感じた女性は俺を見るなり、ビクンと肩を震わせた。


 「あ、あの何か……?」

 「すみません。お訪ねしてもいいですか」

 「は、はい……」

 長い髪を撫でつけて緊張気味に女性は答える。

 「立誠高校の根室重光です。さっきの男……埜口の友人です」

 「まあ、あなたが根室くん。ロッくんから聞いてるわ」

 先刻承知か、身元を明かす手間が省けるのはありがたい。


 「じゃあ、妖魂や神電池のことも知っていますね」

 「ええ、もちろん」

 にこやかに女性は笑った。明るい場所で見ると幽香とは全然違う。

 ダリヤの花のようにきれいな人だ。

 「わたしの怪我も妖魂にやられたのよ。六くんたちが助けに来てくれなかったら廃人にされていたでしょうね」

 なるほどな。こんな素敵な女性のためなら、ろくに口もきいたことのない同校生やその微妙過ぎるアホ妹なんぞ平気でカモにするだろう。


 「明日にも退院できそうなの。あの子たちのおかげね」

 「埜口がどこへ行ったか知ってますか」

 「幽香ちゃんと言ったかしら、あなたの妹さん? その子を三光宮に待たせているからと戻っていったわ」

 「三光宮ですか。どうも」

 「あ、わたしは岡田……根室くん? どこへ行くの?」

 もう女性の話は聞き取れなかった。

 俺は憤怒に燃えて走り出していたから。


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