第29話 愛の迷路

 茜を反射する川へフリスビーを投げた。

 「行けヒトトビ!」

 改めて言うが俺は友人がきわめて少ない。

 放課後に誘い合って盛り場へ繰り出すような仲間もおらず、必然、余暇時間の多くを人外のものと過ごすことになる。


 白銀に光る兎が、どんな礫よりも速く川面を跳ねる。

 見事、向こう岸に達する前にフリスビーを捕まえて戻ってきた。

 「よーし、でかした!」

 俺は夕焼けの川原で玉兎型神電使と遊んでいた。

 不憫な人と思わないでいただきたい。埜口との出会いによって交友事情も変わってきたものの、明日完了する約束の脅獅オドシの修理と新発明に専念してくれているので、無理を言って呼び出すわけにもいかないのだ。


 「重光ちゃん、ねえ重光ちゃんってば」

 おおそうだ。従妹の存在を忘れていた。

 「わたしもヒトトビちゃんと遊ばせてください」

 〝夜歩ナイトウォークく〟からせしめた兎型神電使はヒトトビと改名させてもらった。幸い内部機能には深刻な破損がなかったので、俺の素人修理でも十分間に合った。

 星の宮の霊威をたっぷり宿した神電池を入れて、祝詞を聞かせること数分、全身がプラチナシルバーの玉兎ロボに生まれ変わったのである。


 首まわりにはお洒落のつもりで純白のファーを巻いてやった。

 新名の由来は、兎だけに跳躍力は素晴らしく、6メートルぐらいはひとっ跳びなのでヒトトビである。簡潔に特徴を表わす良い名前だ。


 「おまえの神使はオドシがいるだろ。明日には修理が終わる。受け取ってから思う存分あのワンコと遊べ」

 「ウサギのほうが好みなの」

 「アホがうつるから嫌がるに決まってる」

 「ねえヒトトビちゃん? そんなことないですよねえ?」

 玉兎の返答は単純かつ過激だった。

 「がががっ⁉」

 幽香の元へ飛び移ると見せて、滞空時間三秒内にしっかりキック三回かましてから、ふたたび俺の腕へと戻ってきた。

 「こういうわけだ。本兎ほんにんの意向を尊重しよう」

 「ヒトトビちゃんの襟巻を撫でたいだけなのにい」


 すべては順調だった。順調のはずだった。

 俺と埜口の関係に生じた軋轢は翌日の一本の電話から始まった。

 「はい根室です。埜口さん? 修理完了ですか?」

 昼食の月見蕎麦をすすっていた最中である。出遅れた俺に代わって、位置的にも電話に近い幽香が応対に出るやはしゃぎ声をあげた。

 「はい! はい! すぐ受け取りに行きます! え……?」

 今や骨董品的価値を持つダイヤル式電話のコードを指にからめながら、幽香は含むところのある視線をこっちへ送る。

 「いえいえ構いません! ただちに参ります!」

 言い切って受話器を置いた。


 「オドシの修理が終わったのか」

 「はい、これから受け取るついでにデートしてきます」

 「そうかデートか、よかったな……っ⁉」

 しまった。驚愕を隠し切れなかった。

 初めて勝ち誇ったような目で幽香が俺を見る。

 「何かご不満でも?」

 「不満なんかないぞ……」

 「じゃあ、埜口さんと防空壕ぼうくうごうへ行ってきますね」

 「喫茶店の防空壕か?」

 防空壕とは、終戦後の焼け跡喫茶が前身の老舗カフェのことだ。

 俺も一度入ったことがあるが、よくある〝ここだけ時間の流れがゆっくりな〟という形容がふさわしい隠れた名店だった。


 「はい、そこで新型神使のレクチャーも受けてきます」

 「おまえだけ……?」

 「オドシちゃんの修理を頼んだのは、わたしだからじゃないかしら?」

 「しかし二人きりっていうのは……」

 「本人の意向を尊重してくださいねえ」

 アホの分際で痛烈な切り返しをしやがる。キレかかったが、ここで暴力に訴えるのは下策もまた下策。

 「勝手にしろ。埜口に迷惑かけるなよ」


 「行ってきまーす」

 数分で支度を整え、幽香は蓮華柄のワンピースの裾をはためかせて出ていった。

 胸元で輝く瑪瑙のブローチには、本を携えて左を向く文神ぶんしんの少女が彫られている。俺の叔母さん、つまり幽香の母さんが大切にしていたカメオで、死後に形見の品として娘に譲渡された。

 あれを持ち出すほどめかし込むなど滅多にないことだ。


 体がむずがゆい……嫉妬か?

 この足元からぞわぞわくる感覚は嫉妬なのか?

 だとしたら、俺は自分で思う以上に小さい男だったことになる。

 (いかにも)

 胸中を見透かす台詞にハッと後ろを見る。

 「親父かっ⁉」

 確かに行方不明中の父・根室容保の声が聞こえた。

 しかし室内では、神棚の水晶玉が黙って鎮座しているだけだった。

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