第123話 急性大動脈解離1

 残念ながら、スコルは術後に肺炎を発症した。


「あいつらのせいだ」


 ローガンはしきりにそう言う。肺炎と言っても、そこまで重症なわけではなかった。しかし、世界樹の雫の効きはいまいちであり、回復は遅い。


「俺の仲間がすまなかった」

「ベルホルトが謝ることではないよ。それに彼らが手術室に入ったから肺炎になったというのが確定したわけじゃない」

「可能性はあるという事だろう。それは少しでも完全な診断や治療を行いたいという医療者側の不利益になっているではないか」


 僕は何も言い返せなかった。ベルホルトの言う通りだからだ。

 確かに少しだけ手術室に入ったからといって術後に肺炎になる可能性は高くない。すぐにベルホルトが浄化ウォッシュの魔法を唱えたし、消毒もした。だけど、この術後肺炎の可能性には手術室の扉を開けて細菌が混じっている量の多い空気にさらされたことが原因なのか、それ以外が原因なのかで治療方針が変わってくる可能性があった。少なくとも徹底的に滅菌操作を行ったという自信があれば、治療する側が迷うことは少ない。


「俺が止められなかったから……」

「ノイマン、それは絶対に違う。あの状況で力づくで押し通ろうとしたレグスたちが悪いんだ」


 いつものベルホルトではない。それだけ、スコルの術後肺炎に関して責任を感じているんだろう。


「シュージ。レグスたちはきちんと会って謝りたいと言っている。どうしても会ってくれないか?」

「ごめんよ、ベルホルト。僕は術後の肺炎の原因が彼らだとは思っていないけど、その反面、やられた事に対しては思った以上に怒っているみたいなんだ。今、会ってしまうとひどい事を言ってしまいそうだから時間をおいてからにしてくれと伝えてくれ。その代わりにスコルに対してはきちんと謝罪してもらってくれ」

「……分かった」


 その時間が何年になるかは分からなかったけど、とにかく今は会いたくなかった。あの後、手術が終わる前に診療所から出て、許可があるまでこの診療所には絶対に来るなと伝えてある。かなり意地悪な感じがするけど、謝罪をさせないというのも一つの罰則としてありなのではないか。


「レグスたちはコクとセキを追っているらしい。その途中でかなり強い魔物に出会ったようだ。治癒師としての俺の力を求めてこのユグドラシルの町にまで来た」

「それで、ベルホルトはどうするんだい?」

「……俺以外では無理なんだそうだ。力を貸してやりたいと思っている」

「分かった」

「だ、だが……終わったら帰ってくる。その時にはあいつらにも正式に謝罪させよう」


 勇者のパーティーの治癒師として求められていることと、この診療所でやるべき事を見つけたことのどちらも捨てられないのだろう。ベルホルトはここに来て本当に変わったなぁ、なんてぼんやりと人ごとの様に考えていた。しかしレグスたちの事を考えてしまうと怒りがまた沸き起こりそうで、僕は考えるのをやめた。


「分かった。それよりもスコルの治療方針を考えよう」

「そうね。起きてしまったことは仕方ないわ」


 さっきまで黙っていたレナがそう言った。またしても僕は彼女に気を遣わせてしまったようだ。反省しなければならない。


「まず、術後の肺炎というのは麻酔と人工呼吸の影響が考えられるんだ。もともと、人間は陰圧呼吸と言ってね……」


 人は肋骨と筋肉で肺を膨らませたり、しぼませたりしている。この空間を胸郭きょうかくと呼ぶが、胸郭の下側は横隔膜という筋肉である。この横隔膜を上下することで肺の周囲の胸腔きょうくうの圧力を上げたり下げたりすることで、肺の中に空気を出し入れしているのだ。

 つまり、自然な呼吸というのは肺の周囲に陰圧がかかることによって、肺が膨らみ、肺の周囲の圧が上がっていくことで肺がしぼんでいく。それに対して麻酔中の人工呼吸では気道の中の気圧を上げることで無理矢理に肺を膨らませていた。必然的に、膨らみやすい所とそうでない所が出てきて、ムラがでる。


「膨らまなかった肺は無気肺むきはいと言って、せっかく血液がここに来ても酸素を取り込んでくれなくなるんだよ」


 無気肺が多すぎると心臓にも負担がくる。そして肺が膨らんでない部分には痰が貯まりやすく、肺炎になりやすかった。スコルも長時間の手術で肺がしぼんでいた時間が長く、術後の無気肺になっていた。そこから肺炎を合併したようだ。


「ちょうどいい機会だから、抗生剤を変えて投与してみよう」


 僕は王の葉から作り上げた抗生剤の瓶を取り出すと、スコルに投与するために病室へと降りていった。

 ベルホルトは勇者のパーティーとともにユグドラシルの町をあとにした。意外にも近場で目的のモンスターが目撃されているようで、すぐに帰ってくるかもしれない。



 ***




 それからスコルはすこしずつリハビリを行い、快復に向かって行った。少量ではあるが食事ものどを通るようになっている。


「助かりました」

「これで食道癌は全て取り除くことができました。胃が小さくなってしまったので、食べる量も少なくなってしまっていますが」


 たとえば、身体が資本であるスポーツ選手などが胃や食道の手術をしてしまい、食べる量が少なくなってしまうと、筋肉量がかなり落ちてしまってプロとしては厳しくなるという事を聞いたことがある。スコルも騎士というからだが資本の職業であるために、術前のようには動くことができないかもしれない。無理に食べても逆流して吐いてしまうだけなのだ。


「もともと、食べ物がのどを通りにくかったのです。それに、これからは後進の育成と指揮が私の仕事ですから」


 常に最前線に立つわけではないためになんとかなるとスコルは言った。さらには魔法に関しては食べる量というのはあまり関係ないのだとも。


「ずいぶんと前向きになりましたね」

「レナ殿に鍛えられましたからな」

「あれはどっちかと言うと放置に近かったですけどね」

「はは、どちらにせよ私どもがレナ殿に甘えていたという現実を教えてくださった」


 早く退院したいとスコルは言った。王の葉で作った抗生剤は、世界樹の雫では聞きにくかった肺炎を治すことができたようだった。これはどちらが優れているというわけではなく、相性の問題だろう。効きやすい細菌が繁殖していただけか、たまたま治る時期に重なったかのどちらかだ。


「入院はあと数日ですよ。と言ってもすぐに魔法隊に復帰できるわけではありませんけど。そういえば、明日カレラ殿が魔法隊の訓練の途中経過を伝えに寄ると言っていました」

「そうですか。楽しみで仕方がありません」


 一応、勇者のパーティーが手術室に乱入したという事件の事は伝えてある。スコルは特には気にしないと言っていたけど、あとからその話を聞いたアレンがランスター=レニアン領主と話をすると言っていた。特に勇者たちに何かを要求するわけではないと言っていたけど、何を考えているのやら。



「シュージ、この診療所はユグドラシル領が接収する」

「はい?」


 次の日にアレンが領主館の偉い人たちを何人も連れてやってきてそう言った。接収って、なんて意味だったっけ?

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