第110話 スティーブンス・ジョンソン症候群2

「貴方、きちんと本を読んだのでしょう? なんでもかんでも熱が出たからといって世界樹の雫を使うなとシュージ先生はいつも言ってるじゃないの」

「だが、感染だろう。であれば抗生剤だ」

「そんな単純なものではないって、初日に言われたじゃない。忘れたの? それとも覚えてないの?」

「ちょっと、ヴェール。そこまでよ」


 事件というのは数日経ってから起こった。それはほんの些細な言い争いであるけど、確実に最初の事件だったと気付いた者はいなかった。


「しかし、前回は世界樹の雫を処方していた。同じ、喉の痛みと発熱だろう」


 僕の診療を後ろから見学していたのはベルホルトとヴェールである。ローガンとレナも診察室にいるけど、彼らには雑用をしてもらっていて、ベルホルトとヴェールは何もすることがないから僕の処方を予想するということをしだしていた。

 患者が診察室を出ていったあとに、僕の処方を確認したベルホルトとヴェールで意見が対立したらしい。やる気が空回り気味なベルホルトは、前に扁桃炎で高熱を出していた患者に世界樹の雫を使ったのを見て、今回のウィルス性の上気道炎の患者にも同じ処方をすると思ったようだった。ヴェールは、ウィルス性の上気道炎と扁桃炎に違いをよく読んでいて、僕が患者の喉の奥を診察した時に「扁桃の腫大」と「白苔はくたい」というキーワードをつぶやいたのをよく覚えていたらしい。白苔はくたいというのは腫れあがった扁桃の表面につく白い膿のようなものだ。今回は特に扁桃は腫れていなかったけど、喉の奥は真っ赤っかだという事のみを言ったのだった。


「くそっ!」


 レナが間に入って、おそらくは扁桃炎とウィルス性の上気道炎の違いだろうという話をした。僕はそれを見てにっこりと笑って肯定したのだけども、ベルホルトは自分の診断が間違っていたという事に苛立った。苛立つ気持ちは分からないでもないけど、それでは先に進まない。

 僕はこの時にベルホルトに何が足りないかが分かっていなかった。


 ちなみにだが、ウィルス性の上気道炎でも現代日本で抗生剤を処方する医者は少なくない。理由としては、日本人が抗生剤を処方されると安心しやすいという事が一つある。分かっていて、あえてあまり効かない薬を処方するという悪い習慣だった。

 そしてもう一つの理由が、ウィルス性の上気道炎が主体だったとしても、そこに細菌感染が合併して起こる可能性というはむしろ高く、それの予防および合併していた場合の治療としては有効だからである。そんな使い方をしていては抗生剤に対する耐性菌が産まれてしまって最終的に薬が効かない菌が繁殖してしまう。

 医学的にはいらない抗生剤を処方するというのは駄目な行いである。だが、効くかもしれないというのも事実だった。


「なあ、先生」

「なんだい? ローガン」

「ちょっと後で相談があるんだけど」

「分かった、診療の後でね」


 なにやらローガンがその様子を見ながら、僕に言いにくそうに言った。こんな表情をしたローガンというのは最初に出会った時以来である。あの時はどんなクソガキかと思ったけど、いまでは僕の一番の弟子であり、将来の外科医候補というから面白いものだ。


「ベルホルトにさ、医学を学ばせるのはよしたほうがいいと思うんだよ」

「それは、なんで? 一応聞いておくけど、ベルホルトが嫌いとかそういう事じゃあないよね?」

「そ、それはもちろん。まあ、嫌いだけど……」


 診療が終わって、ベルホルトとヴェールが控室で医学書を読みながら、また何かを言い合っている間にローガンがやってきた。一人では言いにくかったらしく、後ろにマインもついてきている。ちょっと、情けない。


「嫌いなんだけど、それは関係なくてさ」

「なんとなく、言いたいことが分かるような気がするけど、言ってみなよ」

「あいつ……頭悪いんだよ」

「…………」



 なんだか、うすうすそんな気がしていた。ベルホルトは治癒魔法の天才だ。治癒だけではなく製薬や鑑定の魔法も天性のものを持っている。そしてそんな彼は貴族出身ということも相まって、いままでほとんど挫折というものを知らない人生を送ってきたはずだった。

 魔法が全てを解決してくれるこの世界で、魔法の天才にできないことはない。



 しかし、医学は学問だ。そして現代日本でもそうであるように、医者というのは誰でもなれるものではない。頑張ったからできるようになるという領域ではなく、理解力はかなり高めでないと成立しない。


「だから、何故こうなるのだ!?」

「ここに書いてあるでしょ? 読んでる?」


 ヴェールはかなり頭がいい。レナもローガンも僕の言うことをしっかり聞いて応用できる。サーシャさんとマインは看護師として働いてくれているけど、僕の指示をしっかりと聞いて補助をするという役割をきっちり理解していた。ミリヤも手術の内容を教えると僕の助手ができるほどに気が利く。


 だが、ベルホルトは根本的に医学を理解するためには時間がかかる頭の構造をしていたのかもしれない。先ほどからヴェールがいくら説明しても分からないの一点張りで、さらによく理解しているレナが助け船を出してなんとか納得するという事を繰り返しているけど、同じような質問が多い気がする。


 日本で医学生を指導していた時に、どうしてもできない学生というのはある程度いて、なんど説明してもダメだったし、そもそも勉強もしてこないという奴らがいた。だが、ベルホルトはそういった種類の人間ではない。受験の段階で医学部に入る事のできない人間なのだろう。

 

「おい、シュージ。今回の患者の薬は何故こっちだったのだ?」


 そしてプライドがめちゃくちゃ高い。レナに教わることすら嫌になって僕のところにやってくる。


「彼の病気はたしかに薬で治すことができるけど、それ以上に病気になった原因をどうにかしないといけないからね。まずは食事と運動からだよ。まだ若いから、薬に頼るのは良くない。だから軽めの薬を処方するだけにしたんだ。超高齢であったなら、薬でなんとかするしかないんだけどね」

「できるだけ薬を投与しないほうがいいのだな?」

「その患者によるよ。中には薬を出すべきだろうけど、お金がなくて薬代が払えない人だっている。そんな人には他の方法を探してあげなくてはならない。だから、しっかりと話を聞いてあげるんだ」

「むむむ……」


 ベルホルトは融通が利かない。それは間違いない。しかし、それならばそれでできる医学というのもあるはずだが……。


「ベルホルト、医学ってのはかなり長い時間をかけて学んでいくものだ。僕がローガンを弟子にしたのも、ローガンが大人になった時に医者として独り立ちさせるつもりだからだし、今の所はレナやミリヤを医者ではなくてあくまで僕の手助けをする立場の人間として扱っている。君が医学に興味を持ってくれたことは非常にうれしいけど、すぐにできることじゃない。……僕も十年以上かけて勉強したんだから」


 こんな事を言ってしまっていいのかどうか分からなかったけど、焦るベルホルトを説得するには仕方がなかった。年齢的に計算が合わないはずだけど、それ以上は答えずに誤魔化すしかない。


「俺が治せないものがあるというのが許せない」


 ボソッとベルホルトがつぶやいた。それを聞いて僕はなんだか安心した。

 非常に気に入らないやつだと思っていたけど、根っこの部分は治癒師だった。彼は、自分が誰かを治すということを誇りに思っていて、他の治癒師たちと同様に「呪い」で治らない患者たちを見ながら歯がゆい思いをしてきていたのだ。

 だから、勇者パーティーを抜けてまで僕のところで医学の知識を手に入れようとした。彼は「呪い」を治す僕が憎かったのだろうけど、今では「呪い」を治すことのできない自分が憎いのだろう。それが表情に現れていた。


 僕はベルホルトの肩に手を置いて言った。



「頭が悪ければ、できるまで勉強するしかないよ」

「誰の頭が悪いだと!?」


 いかん、怒らせてしまった。反省反省。

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