第102話 消化管穿孔3

 気が付くと森の中に寝ていた。近くに泉があるのか、水が流れる音がする。


「は?」


 こんな所で寝込んだ覚えはない。さっきまで僕はホテルの客室にいたはずだった。もしかしてあのあと寝てしまったのだろうかと一瞬だけ思ったけど、それにしては場所が違い過ぎる。屋外で寝るなんてことは子供の頃以来ないはずだったし、なによりもこんな場所に見覚えもない。


 突然、背後からガサゴソっという音がしてびっくりして振り返った。繁みの奥からなにやら音がする。もしかしたら動物なんかが飛び出してくるのではないかという勢いだった。

 周囲の状況があまりにも変わり過ぎていて頭が混乱している。ここはどこだ、僕は何をしていたんだ、もしかして記憶が飛んでしまっているのだろうか。

 冷静になろうとするには時間がなさすぎて、その音の正体がこちらに近づいてきている間に考えがまとまることはなかった。


「ギャァ!」

「ぎゃあぁ!」


 次の瞬間に繁みから飛び出してきたのは小型の竜だった。驚いて変な声が出た。大きさは幼稚園児くらいしかない。後々よく考えると、それはフェアリードラゴンというかなり稀な魔物であって、小型であるくせに討伐対象になればAランクという危険なやつだった。しかし、この時はそれが何か全く分からなかった。


「な、なんだ、こいつ……」


 まるで映画だと思う。特殊なメイクを施された動物か、もしくは機械なのだろうと思うけども、近くに撮影スタッフがいるわけでもなく、その質感というのは本物以外に形容のしようがないものだった。

 手を伸ばす。それを攻撃動作と受け取ったのか、フェアりードラゴンは威嚇の姿勢を取った。


「うわっ!」


 十年近くゴキブリだって対処したことがない人間が急に動物と触れ合えるわけがない。僕はその姿勢にびっくりして尻もちをついた。するとフェアりードラゴンは僕に興味がなくなったのか、どこかへと去っていった。後から調べるとフェアりードラゴンは肉食ではなく、果実などを主食としている魔物であった。それが幸いした。


 取り残された僕は途方に暮れた。


「ここは、なんなんだ……」


 眼鏡がずり落ちる。しかし、ここで僕はさらなる異変に気付いた。


「視力が、戻っている?」


 さっきからやけに視界がおかしいと思っていた。混乱していて、それが「正常な視力をもった人間が度の強い眼鏡をかけた時の視界」であるとは気づけなかった。

 近くに泉があった。僕はその泉に駆けよって自分の顔を見た。


「若返っている?」


 あきらかに僕は若返っていた。おそらく、年は二十歳前後ではないだろうか。十五年も違えば、顔には明らかな変化がある。しかも、僕は二十歳の時にはすでに眼鏡をかけていたはずであり、単純に若返ったわけではなさそうだった。


「な、なんだよ、これ」


 自分の顔をぺたぺたと触りながら、さらに混乱する。そうだ、これは夢だ。おそらくはライトノベルを読みながら寝てしまったために、自分が異世界に転移したいという希望が夢に反映されてしまったのだろう。そうすると起きなければ学術集会の発表に間に合わない。


「……いや、それはもうどうでもいいか」


 あの病院に未練はない。発表をすっぽかしたとしても僕はもう辞めるのだ。もうこれ以上ストレスフルな生活なんてごめんだ。


「それより、この状況を楽しむとするか」


 しかし、僕は今まで「夢の中でこれは夢だと認識する」なんてこと、今までしたことがなかったことに気付いていなかった。そしてそれは今現在でもそうである。



 結論から言うと、僕の夢は覚めなかった。それどころか、転ぶと痛かったし、夜は寒いしお腹は空くしで辛かった。ここまで感覚が現実的な夢なんてないと気付くまでにそれほど時間がかかったわけではなく、そうであればここはどこで僕は何をしているのかということをもう一度考えだしては混乱するのを繰り返した。


 結局、そのあたりの木の下で夜を明かした僕は、ふらふらになりながら森の中をさまよい、たまたま森に採取に出てきていた村人に助けられたのである。


 僕はその村に住まわせてもらえることになった。その代わりに生まれて初めて農作業をすることになったのだけれども。




 ***




「ミヤギ、ばば様が呼んでいたぞ」

「分かった、今いくよ」


 村で助けてもらって一か月程度が過ぎた。僕は空き家だったところに住ませてもらって、村人の助けを借りながらも生きていた。今まで自給自足の生活なんてしたことなかったから、かまどに火をつけることもできずに村人たちにずいぶんと迷惑をかけた。

 その中でも僕を見つけてくれて何かと世話をしてくれるのが木こりのステインという男だった。


「ばば様の機嫌が悪いから、早くな」

「ステイン、そういう重要な情報は早く言ってくれ」


 ばば様というのはこの森の中の村の長老である。昔は冒険者をやっていたこともある治癒師で、様々な知識をもっており、村を導く一人だった。僕はそんなばば様の所で、魔法の勉強をすることにした。

 魔法があるということを知った時には本当に驚いた。まるでライトノベルの世界だ。僕は何日もここで生活をしたにも関わらず、まだ夢を見ているのではないかと思ったほどだ。さすがに夢の中で夢は見ないだろうから、ここが現実なのだと受け入れることはできた。


「ミヤギ、そろそろ回復ヒールはできるようになったか?」

「ばば様、それがまだ……」

「このたわけがっ! その辺りの幼子でも、もうちょっと筋が良いわっ!」


 ばば様の杖が僕の頭に直撃する。元冒険者ということもあって、見た目に反して身軽なばば様の杖を避けられたことは一度もない。めちゃくちゃ痛い。


「ふん、その分じゃと他の魔法は全く駄目なようじゃの」

「ええ、おっしゃる通りで回復ヒールはまだなんとか魔力っぽい何かを感じる的なところがあってもよさそうですが、他の魔法はさっぱり」

「時々、何を言っておるのかさっぱりじゃのう、おぬし」


 こっちに来て、僕は自給自足の生活をしつつも充実していた。

 朝は日の出まで寝てても誰にも怒られないし、夜は暗くなれば寝てもいい。むしろ蝋燭がもったいないから、すぐに寝ることになる。自給自足はつらいけど、森の中は採取できる植物が多く、村からあまり遠くに離れなければ魔物もいなかった。他の村人の仕事を手伝う事で、何かしらの食糧を分けてもらうこともある。朝、早起きして川で釣りをするのが好きだった。

 僕がいままで感じていたストレスから解放された生活というのは、本当に良いものだった。まだ、僕はこの生活の辛い部分をあまり体験していないけど、それでもここが好きだった。


 町から離れているけど、ここの村は豊かだった。それを為しているのがばば様の知識であるという事に気付いたのは早かった。とにかく食料が安定しているのである。森を開拓してできたこの村の農業は水路もしっかりしていたし、個人ではなく村人総出で管理をしている。僕みたいなよそもの一人を食べさせることなんて造作もないほどに収穫があるようだった。

 それに加えて村の狩人の腕も良いようだ。魚を釣ってくると肉と交換してくれる人もいた。すごい余裕があるというわけではなかったけど、その分、皆で助け合って生きているから仲が良かった。僕はそんな中に入れてもらえたのだ。


「魔力はある。それはわしには分かる。あとはお前のセンスじゃ、センス」

「意外と優秀なつもりだったんですがね」

「優秀なのは認めようぞ、ただし魔力に関してはそうでもないの」


 ばば様は僕の適応能力に関しては褒めてくれる。ちょっと頭を使えば川で魚を取ったりするのは効率が良くすることはできるし、村で必要そうなものを優先して採取してくるということもしたから僕は村人に感謝されることもあった。

 だけど、ばば様に習っている魔法に関してはあまり上達していない。理由はなんとなく分かる。


 もう、医療とかやりたくない。


 心のどこかでそう思っていたのだろう。だから、回復ヒールという魔法があると知った時には嫌な感じがした。でも、他の魔法ができるようになるとも思えなかった。


「おぬしはまずは回復ヒールじゃ、治癒師向きの魔力をしとる。他の魔法は回復ヒールが使えるようになってからじゃな」

「はぁ、そうですか」


 それじゃあ、僕はいつまでたっても魔法が使えるようにならないじゃないか。でも、それでもいいや。僕は今が充実していて楽しいから。



 ストレスから解放された僕はそんなことを思っていた。それが一生後悔することになるとは、思いもよらずに。

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