第91話 ナットクラッカー症候群3
「このままだと手術が必要になるかもしれないんだ。手術ってのは体を切ってお腹を開けてね、君が思っている「呪い」の原因を取り除くことだよ」
リンクはお金が必要になるくらいならば診察は受けないと言っていたらしいけど、僕は無理矢理に彼の務めているライヒさんのお店にいって彼を連れ出した。ちょうどレナがジェラール様に魔力遮断水を届けている頃だったためにリンクと二人である。
連れ出した先は冒険者ギルドの酒場である。王都襲撃の件があって少し活気がなかった酒場だったけど、数日もすると何事もなかったかのようにうるさくなっていた。ピアノの演奏者であるリンクはここまでうるさい酒場に来たことはなかったようで、まわりをキョロキョロしながら僕の話を聞いてくれている。
「その前に、どうしてそこまでお金にこだわるんだい?」
「えっと、僕はライヒさんに恩があるんです。それなのにさらに負担になるような事は絶対したくない」
「負担ねえ……」
ライヒさんはリンクのことを息子同然だと言っていた。これは単純にコミュニケーションが不足しているだけじゃないのかと、あの酒場の物静かなマスターを思い出しながら、どう説得したものかと思案する。
「じゃあ、もしお金はいらないと言ったら治療は受けてくれるのかい?」
「それこそ見ず知らずのあなたの負担になってしまうでしょう」
どうしてそういう思考回路になるのか僕が理解に苦しんでいると、ソフィアさんが飲み物を運んできた。僕は昼間だったけど診療は終わったからエールを頼み、彼はお酒は飲めないからといってお茶を頼んでいた。
「まあ、とりあえずは料理を頼もうか。ここは僕が払うからさ」
「いえ、そんな。ごちそうになる理由がありません」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。こういった話をしているときに人生の先輩に恥をかかすものじゃないよ」
君が何も言わずにおごられなければ、僕が恥をかくんだという謎理論で反論を封じる。リンクは言い返す言葉を見つけられなかったようで、しぶしぶうなずいた。
「それじゃあシングさんのおすすめでおねがいします」
「はいよ」
ユグドラシルの町の冒険者ギルドの酒場の食事というのは安い上にうまい。他の店であればもっと価格が高いのに、良心的な価格で提供できているのは冒険者ギルドに持ち込まれる食材がそれなりにあるからだった。例えば剥ぎ取りした魔物の肉とかは冒険者から直接買うことになるために、仲介業者などを経由して仕入れる他の店に比べるとかなり安くなる。
そして料理そのものはシングとソフィアが考案したレシピが優秀ということもあり、ランクの低い冒険者たちでも体を作るために十分な量を食べることができるようになっていた。
運ばれてきた料理を食べながら、リンクがライヒさんのことをどう思っているのかを聞いてみる。そして説得も追加する。
「君が倒れたらライヒさんが悲しむと思わないのか」
「……」
「肯定も否定もしないってのはだいぶズルいと思うんだけどね」
僕はエールの追加をしながら言った。
「手術を受ける受けないに関わらず、診察だけでもさせてもらえればライヒさんも安心すると思うんだ」
「でも……」
僕はリンクの反応を見る。何が彼をかたくなにさせているのかというのは、もしかしたら彼自身にも分かっていないのかもしれない。一番大切なのは、僕の治療ではなくてリンクがライヒさんと十分に話すことじゃないだろうか。
なんだかカウンセリングのようになってきた。
「ところで、もう食べないの?」
「ええ、もとから小食なもので」
リンクは料理を一人前分も食べていない。成人男性にしてはかなりの小食である。そしてこの冒険者ギルドでは一人前どころか数人前を当たり前のように食べる冒険者がほとんどだった。
僕も彼らに比べたら食べる方ではない。しかし、それでも一人前はかるく食べることができる。レナだってミリヤだって二人前くらいなら食べられる。
普段運動をしない一般人としてもリンクの食事量は少ない。
「そんなんじゃ仕事もできないだろう?」
「そうでもないですよ」
そうでもない、とか言いながらも背部痛と血尿に苦しんでいるはずだ。僕は「もっと食べろよな」と心の中で思った。顔にでてなければいいけど、おそらくは出てしまっていた。リンクはなぜ僕がそんな顔をしているのか分かっていないようだ。
なぜなら、今回の病気はそれが原因なのだ。
病名はナットクラッカー症候群である。原因不明の背部痛と血尿が出ることで見つかることが多い。
この病気は、左の腎臓から血液が帰ってくる左腎静脈が腸に血液を送る
腎臓に血液がパンパンになってしまうために背中や腰の痛みと、腎臓の細かい血管が破けることによって尿に血が混じるのだ。ひどいと尿の色が変わって血尿だと分かるほどになるし、腎臓の機能が落ちてしまって血液を作り出すホルモンが低下し、
ナットクラッカーとは、くるみ割りという意味である。CT検査などで、左
そしてその原因の多くは
要は、太れば治る、ことが多い。
「もっとしっかり食べて肉をつけた方がいい。あと運動不足だ」
「はあ、そうですね」
「そうですね、じゃなくて。君が今のその状態になってしまったのは食事量が少ないのが原因の一つだよ」
「そうなんですか?」
「うん。ただし、体質上食べられないという人もいるし、食べても肉がつかないという人もいるのは分かっている」
診察と検査を受けて欲しい。貧血の程度が軽ければ手術はせずに体重が増えるのを待つことができる。しかし、極度の貧血があるようであれば手術を含めて何かしらの対処を行わなければならなかった。
「僕としてはもう放っておいてほしいんです」
「何故なんだい?」
「……」
「そこは言いたくないのか」
彼という人間が全く分からないまま、僕の説得は失敗に終わった。
***
「モヤモヤするぅぅぅぅぅー!!!!」
結果を診療所で報告しているとローガンが叫びだした。僕の方がよっぽどそう叫びたいんだが。
「理由を言えよな!」
「そうね、一切の理由を言わずにだんまりだなんて人としてどうかと思うわ」
ローガンの主張にマインも賛同のようだ。サーシャさんも苦笑いしているけど、同意見らしい。そして僕の方がよっぽどそう叫びたい。
でも、たしかにたまにこういった人はいる。日本でもたまにいたし、検査は受けないけど説明はしろだとか言われて困ったこともある。
世の中には様々な考え方の人間がいる。自分だけが正しいとか、ほとんどの人間がこう考えているからそれが正しいとか思ってはだめなのだ。たぶん。
「ローガン。昔の人はね、医は仁術なりという言葉を残したんだよ」
「どういう意味?」
「要は病気だけを見ていてはいけないという意味だ」
昔の人は医学というは単なる技術ではなくて人を救うための学問であるという事を言ったらしい。だから、この場合はリンクの病気を治してそれでおしまいというわけにはいかないのだ。彼を本当の意味で救うというのが医者である、と昔から求められている。
本音を言うと、とてもめんどくさい。本人が治療をしてほしくないと言っているのだからもうそれでいいじゃないかとも思う。
だけど、ライヒさんは店でこう言った。
「リンクは息子も同然です」
だからこの場合はリンクだけではなくてライヒさんも救ってあげて初めて僕は僕の仕事をしたと言えると思う。ちょっと傲慢な考え方かもしれないけど、この世界で彼らを救えるのは僕だけだった。
「よしローガン。彼を本当の意味で救うためにはどうしたらいいかを考えよう」
僕は弟子に仕事を半分押しつけることにした。
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