第55話 尿管結石5
「治癒師が一人きりで何かができるとは思えないんだけど……」
冒険者ギルドの職員が、ユグドラシルの町でのラッセンの目撃情報を僕の所に持ってきた時に思ったのは、自分一人ではなにもできない治癒師の無力というものである。
基本的には攻撃手段の乏しい治癒師というのは人に害をなそうと思っても単独では無理があるためにパーティーを組んでいなければ警戒すべき相手ではない。
特にラッセンという治癒師はダリア領内での地位があったからこそ、兵士に命じて僕を誘拐することができたのだし、現在はお尋ね者になってしまったために権力は剥奪されている。
「しかし、逆上した人間というのは何をやらかすか分かったものではないから気を付けるようにと、ギルドマスターからの伝言です」
「隣の建物なんだから、診察ついでに直接言いにくればいいのに。」
冒険者ギルドのギルドマスターであるロンは、神経性胃炎を持病として抱えており、管理職に伴うストレスがかなり溜まっている。そしてその仕事量がなかなか減らないために、胃炎もなかなか治ってくれない。
「私どももできる限りギルドマスターの仕事を減らそうと思っているのですが……」
「なんともならないか……」
ふたりでため息が重なる。どうすればいいのだろうかとも思うけど、これは冒険者ギルドという組織の話であって僕が介入できる部分は極端に少ない。
「ともかく、警戒されたし! とのことでした」
「分かりました、ありがとうございます」
ギルド職員が帰っていくと、僕は二階へと上がった。いくつか製薬しておきたい薬があったのと、それをローガンに手伝ってもらっていたのだ。ローガンひとりでは少し魔力量が足りないかもしれないので、早くもどらないといけない。
「先生、遅い」
「ごめんごめん、ギルドの職員さんが用事で来てて」
「用事?」
「ああ、ちょっとね」
ラッセンの事はむやみに怖がらせることもないと思い、ローガンとマインには言わずにおいておくのもいいのではないかと思っている。しかしレナやサーシャさんの意見を聞いてから決めようかと思っていると、またしても来客があったようである。
「レナは買い物で出かけているし、サーシャさんが一人で対応できる用事だったらいいけど」
「疲れたー」
ローガンはそろそろ限界であるようだ。僕はまたしても製薬の作業を止められるのは嫌だなと思いつつも、そういう時にかぎって重要な用事なんだろうとなかば諦めた感じでサーシャさんが二階へ上がってくる足音を聞いている。この間にもできる限り製薬は終わらせておきたいと製薬魔法はかけながらだ。
「先生、お客様がいらしております」
「ど、どちら様で?」
「ダリア領の、コープスという方ですが」
「コープス?」
そう言えばアレンの凶刃から突き飛ばして助けてから、彼とは一度も言葉を交わさずじまいだったっけか。意外と聞き上手だった兵士の顔を思い出して、それでもあいつは誘拐の実行犯だったじゃないかと少しばかり気を許しそうになっていたのを考え直す。
「すぐ降ります。待たせてて下さい」
「はい、お待ちいただいております」
僕の言葉に少し棘があったのを感じ取ったのか、サーシャさんはそんな言い方を咎めるように言いなおした。しかし、繰り返すけど相手は誘拐の実行犯だ。
「ローガン、あとは頼むよ」
「マジかよ、無理だよ……」
「できる範囲でいいから」
製薬をローガンに押し付けて、僕は階段を降りた。コープスはすでに診察室へと入っているのだろう。ドアが少し開いており、中からサーシャさんと話している声が聞こえる。
「……何をしに来たんだよ」
扉を開けて、中にいた人物へと声をかけた。
「シュージ、いやシュージ先生」
くるりと向き直ったコープスはダリア領の兵士の服装をしていなかった。動きやすそうな革鎧に、ところどころを金板で補強しているような機能性重視の鎧を身に着けている。腰に、よく見るとダリア領の兵士が使っていた剣が佩かれていた。公用の任務ではない、もしくはそれを隠しての任務なのかもしれないと思う。
「先日の謝罪をしに来たんだ」
「謝罪、いや、もういいよ。お互い様ってことで」
とか言っているけど、実は僕は彼らをボコボコとなぐって気絶させ、コープスに至っては誘拐しかえしている。さらに言えば砦の西側の壁はレナやアマンダのせいでほとんど壊れてしまっているし、ラッセンを始めとしてダリア領内で罰則を受けた人物は結構な数に登る。こっちはほとんどおとがめなしだったことを考えると、ダリア領の方がかなりの損害を受けたことになっている。
きっかけを作ったのがラッセンだったというだけで、ユグドラシル領はそんなに被害を被っていない。
「いや、そういうわけにはいかない」
コープスはその場で頭を下げた。
「ああ、分かったから。分かったから」
あまり人に頭を下げられるというのは好きじゃない。僕はむりやりコープスの頭を持ち上げて謝罪を受け入れたことを伝える。少しだけほっとしたような顔をしたコープスだった。
「こちらに来たのはそれだけが目的ではなくてだな」
そしてコープスはポケットからBランクのギルドカードを取り出した。兵士のくせにBランクにまで昇格しているというのはどういうことなのだろうかと思っていると、コープスはこう言った。
「私は元々は冒険者なのだ。そして、その手腕を買われて兵士をしていたというわけなのだが、今回ある任務を受けた」
「任務内容を僕なんかに教えていいの?」
「もちろん、普段ならば部外者に教えてはならない規則だ。しかし、今回は特別であるし、シュージ先生にも関わってくることでもあるしな」
なにやら嫌な予感がするけど、僕はコープスの言う事を止めることはできそうもなかった。
「私の任務はラッセン様の捕縛と、シュージ先生の護衛なんだ」
「僕の、護衛?」
「ただしくはラッセン様の行動の阻止というところなのだが」
ダリア領の方で突き止めているラッセンの行動というのに、僕を何かしら害そうという形跡があったらしい。そして、それが前回同様に僕の命に関わってくるような内容であるということだった。
「詳細は教えられない。だが、私はラッセン様のなさろうとする事を止め、場合によっては殺害まで許可されているのだ」
ダリア領主は今回のことを重く受けとめ、またラッセンが完全に自制を失って暴走していると認識した。そこでコープスにラッセンの行動の阻止、できなければ殺害を命じたのだという。
「待ってよ、普通は前回の誘拐の実行犯なんかに任命はしないでしょ」
「私は、少し特別なのだ」
コープスはどこまで話すかというのを思案していたようだが、踏ん切りがついたのか話始めた。
「もともと、ダリア領にはこういう仕事のために雇われていて……」
「暗殺業ってこと?」
「いや、そこまで露骨なものではない。斥候業というか、何でも屋に近い」
暗殺も仕事の内に入るということだよな、と僕はなんと答えたらいいのか分からなくなる。暗殺者がこんなに簡単に職業をばらしてしまっていいわけがない。
「もともと、そんなに凄腕だとかではないのだ。シュージ先生にも太刀打ちできなかったわけで」
慌ててコープスは言った。暗殺らしい暗殺なんかしたことはないという事と、やるならば山賊などに化けて郊外で行うことが多かったという事、ほとんど一人で任務を行った事はないということなどである。僕を説得しようとして、墓穴を掘っているような気がしないでもないのだけど、コープスの言葉を借りるならば、汚れ仕事の何でも屋という所らしい。
「それに私は少し特殊な技術があって、それが今回の任務に役立つのではないかと思われたということで……」
「特殊な技術?」
しまった、とコープスの顔に描いてあった。明らかに喋り過ぎたのであろう。なんて脇の甘い奴だと思う。
「ええい、どうせある程度はばれることだ!」
そして自暴自棄になって喋るのか。どうなんだ、これ?
「実は魔法ではないのだが、手のひらを通じて、皮膚は破壊せずに内臓だけに傷害がくる術というのが使えるのだ。私たちはこれを「気」と呼んでいる。まあ、私の「気」はある程度の障害は与えられても殺害できるほどに強くはないのだが」
達人になれば外側からは何もないのに内側から殺害なんてこともできるようになるという。
「どのくらいの威力なんだい?」
「それは、その辺りの小石くらいなら粉砕できるが、人体の内部になるとだいぶ威力が落ちるな」
小石を粉砕? なんだかちょっといい事を聞いたような気がする。
ダリア領では門外不出の技術というわけでもないらしい。だから、ここまで話したのだとか。だけど、そう簡単には習うことができないのは事実で、弟子を取る際にはかなり気を付けるようにと師匠からは言われているのだとか。
「我々の教えの中に「道」というものがあってだな、その「道」には技術だけではなく心構えというのも含まれて……すまん、話が大幅にそれたな」
「いや、面白い話だった」
「それで、ラッセン様はどうにかしてシュージ先生に何かを仕掛けてくると思われているんだ。だが、ラッセン様は治癒師、何か事を為そうとするためには仲間がいる」
「その通りだね」
僕の思ったのと一緒で、ラッセン単独では何もできそうにない。しかし、コープスたちはそう思っていないようだった。
「仲間を集めるとなれば時間がかかるだろうし、どこかで足がつくかもしれない。そこで私の上司たちはあまり考えたくない可能性についてまで考慮したようだ」
「考えたくない可能性?」
「ああ、ラッセン様がもうはや後先考えずにシュージ先生を害することだけを目標とした場合……」
すごく回りくどくコープスが言う。要するに自分は死んでもいいから僕を殺そうと思った場合ってことか。
「人ではない他の何かに、身体を作り替えるかもしれない」
「は?」
あまりに想定外の言葉に、僕はあっけにとられてしまった。
***
魔法の起源というのは誰も知らない。太古の昔、神々の時代にはすでにあったとされる魔法であるが、それは誰かが何かをしたいという強い欲望から生まれたのではないかとも言われている。
回復魔法の起源はなにであろうか。その欲望という説が正しかった場合、何を求めたのであろうか。
もし、深い悲しみの中、誰か大切な人を失う苦しみから逃れるために魔法という手段を思いついた人々がいたとして、その卓越した技術というのは最終的にどこに向かうのだろうか。
死んだ者は生き返らない。だが、本当にそうだろうか。そこに欲望があったのならば。
ユグドラシルの町の城壁の外で、そこに建てられた墓場の間を夜な夜な歩く者たちがいるという噂が立ったのは数日後のことだった。
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