第49話 包虫症5

「こんな山奥に集落があるのかい?」

「隠れ里なのだ。ナインテイルズの生息地がかなり奥まったところにあるというのもあるが、先祖からの言いつけで私たちはナインテイルズを加工する技術というのを世間に広めてはいけないことになっている」


 吹雪がだいぶ落ち着いてきたために視界がかなり良くなってきた。しかし、雪の量が減っているわけではなく、相も変わらず先頭を歩くガルダは大変そうである。それでも力任せなのか魔力を使っているのか分からないが、後から続く僕らのために道がどんどんと切り開かれていった。


「運が良かった。明日には集落につきそうだ」


 あの猛吹雪を切り抜けて歩くことができたのはナインテイルズの弧裘こきゅうのおかげである。そして、ガルダやロキルたちにとってはこのくらいの吹雪は歩くことのできる吹雪であって、それ以上のものが吹き荒れて動けなくなることも多いのだという。どちらにせよ、僕らからしたら動けないどころか命の危険を感じるほどの猛吹雪だった。

 この環境の悪さがかえって彼らの集落を隠れ里としてなりたたさせているのだろうと思う。


 さすがに不眠不休で歩くわけにはいかない。それでもガルダが野営をしようと提案したのはだいぶ日が暮れてからのことだった。


「もしかして、夜目も効くのかい?」

「ああ、ある程度はな」


 ナインテイルズの弧裘こきゅうの効果というのはものすごいものだと実感できた。冷暖房完備の上にカメラまで取り付けてある機械のパワードスーツみたいなものである。その分、消費される魔力というのも多い。


「私たちの集落ではあまり魔法は普及していない。せいぜいが生活に使う程度のものだ」


 知らないわけではないが、魔力は魔法ではなくナインテイルズに使いたいという考えの者が多いとガルダは言う。男女関係なく全ての集落の人間が狩人であり、ガルダの両親はその中でも飛び切りに腕の立つ狩人だったそうだ。


 ナインテイルズを狩りにいけば呪いにかかる可能性も高くなる。生息地で煮沸消毒もしていない生水を飲んだのだろう。その水の中にナインテイルズの糞に入っていたエキノコックスの卵が入っていたに違いない。そして、エキノコックスの卵は人間の消化管に入ると、肝臓で孵化することが多いが、包虫といい成虫にならずにその場で嚢胞を作り出す。


 本来はこの機構というのは寄生虫にとっては次の宿主を見つけるための行為であり、鼠などに感染する場合に起こる現象だった。そしてその鼠を他の狐が捕食することで感染が広がっていく。しかし、エキノコックスにとって狐は宿主であるために狐に害をなすことはほとんどない。人間はその連鎖に全く関係なく害され死んでしまう。



「曽祖父は、水に注意しろと言う人だったという。たしかにあの頃の集落では呪いにかかるものはほとんどいなかったはずだ」


 飲み水を消毒してから飲むという行為はあまり有効性を実感できない。それはこれほどに極寒の地方においては細菌の繁殖はほとんどなく、そして冷えた水を飲むという行為は本来は体の調子を崩す原因となるのであるが、この集落のほとんどの人間がナインテイルズの弧裘こきゅうを着ていて体温に関しての危機感が足りなかった。


 腹を下すわけではないために川の水をそのまま飲んでも特に問題ないと考える世代がでてきてもおかしくない。そして集落全員にナインテイルズの弧裘こきゅうが行き渡るほどになればその考えは加速していったに違いない。


「それもこれも、火などを焚けばナインテイルズにはすぐに見つかってしまうからなのだが」


 ガルダの両親と、さらにその両親の代からナインテイルズの狩りの成功率が上がっているという。先代のナインテイルズの弧裘こきゅうを着て狩りに出ることができるというのもその要因だったらしい。


「ロキル。少なくとも、次の世代からは水筒を持参させることとしよう」

「ええ兄上。私たちは火を焚くのは禁忌と教わった世代ですから、やり方を変えずにいけるならばそれがいい」


 兄弟で考えることも多いようだ。僕はそんな二人を見て、もう一度心眼と探査サーチを発動させた。


 二人ともに肝臓に嚢胞ができてしまっている。まだ大きさはそこまで大きくなく、周囲の胆管や血管が閉塞するほどではなさそうだ。特にロキルの方は簡単な部分切除で問題なさそうである。ガルダもできれば部分切除で終わらせたい。


 二人がこのくらいの状態なのだ。母親というのがもっと多きな嚢胞が出来上がっているのだろう。そして、それは他の場所にも転移しているかもしれなかった。


「お母さんの症状を聞いておいてもいいかい?」

「ええ、体中がやや黄色くなったというのと、右の脇腹に痛みがあって、それで高熱が出ています」


 熱がでているというのは他の感染症も被ったか、もしくは壊死えしが進んだ可能性がある。


「どちらにせよすぐに診療所に運ばないと治療できそうにないな。レナ、昏睡コーマをかけて転移テレポートでお願いするよ」

「分かったわ」

「それに他にも寄生虫が体内に入っている人を探さないといけない。申し訳ないが、村人全員を集めてくれ」

「ああ、もちろんだ」


 明日はかなり大変なことになるだろうと僕は思った。願わくば、ガルダとロキルの母親が緊急で手術が必要なほどの症状ではないことを祈るばかりである。転移テレポートを使ったレナは手術には入れない。であるならばアマンダ婆さんかノイマンあたりに麻酔をお願いしないといけないけど、レナ以上に僕の書き記した医学の本を読みこんでくれている人はいなかった。だからといって魔力回復のポーションを飲ませて無理をさせるのも嫌だった。あれは体にいいわけがない。



 ***



 翌朝、ガルダに起こされて僕らはまだ日が登っていないうちから移動を開始することになった。寝ている間にもナインテイルズの恩恵にあずかれるガルダとロキルとは違って、僕とレナはかなり寒い夜を凄さがるを得なかったけど、二人が交代でたき火の番をしてくれたのか、凍死することはなかった。そしてナインテイルズの弧裘こきゅうに袖を通すと、下がっていた体温が徐々に戻っていくのが分かった。


「これは、本当にすごいね」

「ああ、私たちの村に伝わる秘伝であり、誇りだ」

「ところで、なんで世間に出しちゃだめなのに集落では伝えていっているんだい? これの力が凄すぎてという理由ならば途絶えさせたほうがいいという意見がありそうだけど」

「うむ、言い伝えがあってな。世界を救うために必要となる時がくるとかなんとか。正直なところ、私たちにもそれが本当かどうかは分からんが、今更なくなっては生きていけないというのが本当の理由だ」


 なんとも現実的なことを言う隠れ里の族長もいたもんだと僕は思う。だけど、ガルダはユグドラシルの町に来ても他の人たちとある程度はうまくやっていたし、コミュニケーション能力が欠如しているわけではなかった。もしかしたら近い将来に、このナインテイルズの技術を世の中に出していこうとする若者が集落から出てくるかもしれない。


「見えて来たぞ」


 そんな事を話していると、集落が見えてきたらしい。天候が良くなってそれなりに先が見えるとは言っても、ほとんど雪山しか見えない。そんな中でもガルダたちにはその違いが分かっているようだった。


「さすがに住民全員がナインテイルズの恩恵にあやかれるわけではない。子供たちをふくめて魔力が少ない物は洞窟を生活の中心として生きてきている」


 大き目の洞窟の中に、風が入り込まないようにして住居が作られており、洞窟の外には村の主要な設備がある小屋が数件建てられているとのことだった。雪に埋もれてしまうそれは冬はあまり使い勝手が良くないために、あらかじめ秋の内に冬ごもりの支度を整えるという。ガルダが冬の間にユグドラシルの町へ降りたのも村を出る仕事がなくなるからだった。


「あの谷を越えると小屋と洞窟が見える」


 ガルダの歩く速度がすこし上がった。まだ余力を残していたというのに驚くばかりであるけど、この隠れ里の族長というのはそれだけ凄い存在なのかもしれない。



「ガルダ様!」

「帰ったぞ」

「お早く!」


 集落の人間の動きからするとガルダとロキルの母親はまだ生きているようである。しかし、その容態は悪いのだろう。もし、かなりの範囲に包虫が転移していたとしたら、手術では取り切れないかもしれない。だが、魔法を駆使すれば最小限の切除範囲で行けるはずだと思う。



「シュージ、急いでくれ」

「ああ、分かった」


 僕はナインテイルズの弧裘こきゅうに吸い取られていた魔力を回復させるために魔力回復ポーションを飲んだ。レナはまだ余裕があるようで、そんなそぶりはない。

 ガルダについていくと洞窟の中に建てられた小屋に案内された。扉を開けると中は暖炉が作ってあり薪に火が灯っている。それなりに暖かい小屋の奥には寝台が置いてあり、女性が横になっていた。


「母上、今帰りました」

「もう、意識がないんです」


 ガルダの母親はかなりの高熱を出し続けていたようで、脱水が進んでいた。いつ死んでしまってもおかしくない状況である。黄疸もかなりひどくなっていた。


 僕は心眼と探査サーチを発動させた。肝臓の右側を大きく占める嚢胞と、そこから腸の一部にまで転移してしまった包虫が見える。熱の原因はおそらく肝臓の一部が壊死えししてしまっていることだろう。


 助かる方法は切除だけである。そしてその間に彼女の生命力がもつかどうか。点滴を行い、人工呼吸を行い、抗生物質を投与することでどこまで体がもつか分からない。それほどに状態は良くなかった。


「とりあえず移動させないといけないけど……。他に同じくらい悪い症状の人はいないんだね」


 僕の質問に村人の一人が頷いた。ならば彼女の治療を優先させて、数日後にここに戻ってくればいい。



 やる事は沢山ある。しかしここでは何もできない。


「レナ、意識ないからこのまま転移テレポートするよ。ガルダは僕らとともに来てくれ」

「ああ、分かった」

「数日後にまた戻ってくるとしよう。治療しなければならない人は多いみたいだ」


 レナが転移テレポートの体勢へと移る。


「ロキル、こんどこそ村を頼んだぞ」

「はい、兄上。こちらはお任せ下さい」



 次の瞬間、ガルダやその母親を含めて僕らはユグドラシルの町の診療所へと転移テレポートした。サーシャさんがすぐに出てきてガルダの母親の移動を手伝ってくれる。あとからローガンとマインも手伝ってくれた。


 これからやるのは肝右葉切除術および上行結腸切除術である。だが、肝臓の右側全部を取り切ってしまって、代謝が上手く回るかどうかは分からなかった。日本でこの手術を受けるときには肝機能を検査するからである。もし、ガルダの母親の肝機能がもともと悪かったならば、手術をしたことで代謝がまわらなくなる。


 まだ、十分ではない。僕はそれを実感した。この患者には間に合わなかった。

 次の患者までには、肝臓の機能を測る魔法なり魔道具なりを開発させると決めて、僕はガルダの母親をベッドに寝かせた。状態からしてすぐにでも手術を始めなければならないが、それ以上に脱水の補正をしなくても命に関わる。


「手術は明日だ。サーシャさん、点滴の準備を」

「はい、わかりました」

「ローガン、世界樹の雫はあるかい?」

「アレン様が登ったついでに採ってきてくれたやつがあるから一回分はいける」


 よし、なんとかなるだろう。点滴を確保して薬を投与し、すこしだけガルダの母親の血圧とか脈拍数が元に戻ってきた。


 だけど、僕は一番重要なことを忘れてしまっていたのかもしれない。ここは異世界であり、さらにガルダは隠れ里の人間だった。薬で治療を行うというのも慣れていないのである。そして、それは考えてみれば当たり前の反応だった。



「母の腹に刃を入れるだと!?」



 医者を知らない人間に、手術を理解できるはずもない。


 まずは説明と説得だ。

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