雨音と恋模様

望月 香夜

プロローグ 雨の兆し

 始まってもいない恋を失ったら、それも失恋というのだろうか。

 たとえ答えが否であっても、この胸に残る痛みは、きっと失恋のそれなんだと思う。

 滑稽で惨めで……なのに、今も思い出す、切なく淡い想い。鼓膜を揺らす、雨音。

 過去の出来事になっても、この痛みだけは雨で流されることはない。

 きっと、あなたは覚えていないだろうけど――。

 

 

 ***

 

 

「実は……、ずっと前から、立川のこと、好きだった。良ければ……っ、付き合ってほしい」

 真っ赤に染まった彼の顔を見て、本当に自分のことが好きなんだなと、他人事のように実感したのを覚えている。

 いつも隣のコートで必死に羽根を追う顔しか見たことなかったから、そのギャップには正直驚いた。

 

 バドミントン部の放課後練習後、片付け当番だった私は、同じく当番の夏帆かほと二人で最後に体育館を出た。

 そこで待っていたのが、夏帆と同じ1組で、男子バドミントン部に所属している向坂さきさかだった。

 体育館は男子と女子で交互に使う。月、水は男子。火、木は女子。金曜は合同。

 今日は火曜――つまり女子の使用日で、男バドは外練のはず。

 しかももう夜の七時になる。外練はこんな時間までしていないはず。いったいどうして彼がこんなところにいるのだろう。

 そんな疑問を浮かべていたら、声を掛けられた――しかも、私に。

 夏帆は向坂の出待ちを知っていたかのように、ニヤニヤしながらその場を後にした。

 そして、思わぬ告白。

 向坂 光紀こうき――二年生でレギュラー争いをしている私とは違って、一年生の時からレギュラーを勝ち取っている男バドのエース。

 そんな彼が、いったい自分のどこを好きになったのか、全くわからなかった。大体、男子から告白されたのも初めてだったから。

 向坂と何度か話したことはある。夏帆と同じクラスだし、同じバド部だ。

 合同練習で打ち合った時は、とにかく上手いと思った。一年生からレギュラーが取れるのも納得だった。コツを教えてもらったこともある。

 女バドからも結構人気があり、夏帆を通じて向坂の情報を仕入れている人もいるくらい。やっぱり「二年生レギュラー」という称号は先輩からも後輩からも魅力的に映るらしい。

 一方、私からすればさして特別な称号には思えていない。

「あ、のさ……、私そんなに、向坂と話したこと、ないじゃん? あの、私の……どこが好きなの……?」

 今考えると、気持ちを伝えるだけでリンゴのように真っ赤になった向坂に、酷い仕打ちをしてしまったと思う。

 でも直接聞いてみたくなるくらい、なぜ向坂が私に好意を寄せているのかがわからなかった。

 正直、私より可愛い子は沢山いるし、勉強も運動も、まぁそこそこというくらいだから。

 ただ、自分でも明確にできていない「立川たちかわ 華澄かすみ」の魅力を、彼を通じて言葉にして欲しかったのかもしれない。

 告白相手からの思いがけない質問に、向坂は言葉を詰まらせた。やっぱり決定的な魅力はなく、なんとなく好きなだけなのかなと、少しだけ残念に思った時、リンゴから茹でダコに進化していた向坂はうつむいて一言だけ告げた。

 

「全部」 

 

 さすがに、じわりと頬が熱を帯びていくのを感じた。

 まさか自分の全てを肯定されるとは思わなかったから、何も言えなくなってしまった。

「突然、ごめん……。でも……ちょっと、その、考えてほしい。それからでいいから、返事……聞かせて」

 唖然とする私を気遣ってなのか、向坂はそれだけ告げて、去っていった。

 私は今になって大きくなった心音と共に、ひとり廊下に残された。

 断る理由は特になかった。……でも、受け入れる理由も、特になかった。

 

 ――あの告白から一週間、私はまだ向坂に返事ができていない。

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