7-1(36)
カビ臭さが漂う地下2階、僕は緊張の面持ちでゆっくり資料部の
扉を開けた。
自身の机に見慣れない資料が山済みされてる様子に多少違和感を
覚えたがすかさず引き出しを開け、中を確認した。
〔資料部・宮下空〕(ふぅ――、辞めてなかったんだ)
普段使う事がない名刺1枚手に取り、置かれている資料に目を
通していると扉の向こう側から聞き慣れた柴田部長の鼻歌が……。
〈ガチャ!〉
「おはよう! 宮下くん」
「お、おはようございます」
終始ご機嫌の部長は鼻歌まじりに鞄から新聞を取り出し
ルーティーンのごとく机いっぱいに広げ摘み読みを始めた。
その後も奥からお決まりの歴史書を数冊小脇に抱え、小難しい
表情を浮かべながら精読するいつもの姿に僕は心地よい
安堵感のようなものを覚えた。
2年間平穏に時が経過していたという安心感と嬉しさから時折
部長に視線を送ってると突然目が合ってしまった!
「どうかしたの?」
「いえ、すみません」(あれ? なんか以前より言い方が優しいような)
「何かアイデア浮かんだ?」
「えっ?」
「アイデアって知育玩具のですか?」
「そうだよ」(え~ やったらダメって言ったじゃん)
「えっ、いいんですか続けて」
「いいよ、いいよどんどんやっちゃって!」
(なんだよ~ 迷惑かけちゃいけないとかさんざん怒っといて~)
部長のお許しを得た僕は再び中断していた企画書を取り出した。
すると部長は読書を中断し鞄の中からコーヒー豆の袋を取り出し、
不自然な笑みを浮かべ奥にあるコーヒーメーカーにセットし始めた。
「どうしたんですか、そのコーヒー?」
「いやウチの奥さんの弟の息子が卒業旅行からちょうど戻って
来ててそのお土産に貰ったんだ。これがけっこうウマくってさ~
ぜひ宮下くんにご馳走したくって……これでいいのかな? よし!
スイッチオン」
(なんかえらく優しいな)
しばらくするとコーヒーのいい香りがカビの臭いを追い払う
かのように部屋中に漂い始めた。
「なっ! いい香りだろ」
「ハイ! すごく」「でも卒業旅行って羨ましいな。ところで部長は
若い頃、卒業旅行に行かれたんですか?」
「卒業旅行というより一人で結構色んなとこ行ったよ」
「海外とかですか?」
「海外も国内も両方だよ」
「え~ 意外」
「意外ってどういう意味だよ、失礼な」
「す、すみません」
「でも当時お金がなかったから安いバス乗り継いだりしてね。だから
海外では結構危ない目に遭ったりもしたけどなんせ若かったのと
旺盛な好奇心のお陰で懲りずに暇を見つけては何処かしら旅に出てたよ」
「へぇ~ そうなんですか」(ちょっと尊敬)
「宮下くんも面倒臭がらずに出来るだけ色んな人や文化に
触れる機会を持った方がいいと思うよ」
「やはりそうですかね」(昨日体験したばっかりなんですけど)
「絶対そうだよ~ さまざまな体験をし、糧にする事で今の何にも
しない私が出来上がったといって過言じゃないからね。ははっ!」
「はぁ……」(ここ笑うとこ?)
〈しゅポ〉〈ポ〉〈ポ〉〈ポ〉……
(良かった、コーヒーメーカーが突っ込んでくれて)
「おっ! 出来た出来た」
部長は自身の椅子を引っ張りながら出来立てのコーヒーを
小さなトレイに乗っけ僕の隣に腰掛けると笑顔でカップを差出した。
「どうぞ!」
「なんかすいません、全部やって貰っちゃって」
「いいんだ、それよりどう? 旨いだろ!」
「ハイ! なんかこうバニラの香りとコーヒー独特の香ばしさが
絶妙ですね」
「そうなんだよ、宮下くん、中々鋭いね」
「いや、そんなでも」
「ところで宮下くんがここに来てかれこれどのぐらいかな?」
「4年はお世話になってると思います」
「そっか~ もう4年も経ったんだ」
「色々あったけど4年も経つと家族みたいな感じしない?」
「は、はい」(ちょ、ちょっと顔近いんですけど~)
「いくつになったの?」
「30です」
「そっか~ 30か~ まだまだこれからだね」
「そうですね」(って顔近いから)
「あの~ そろそろ企画書続き始めたいんですけど……」
「おっ! そうだったな、私も仕事に戻るとすっか」
(ふ~ 助かった)
それから2週間が過ぎ、柴田部長の僕に対する一連の
不可解な行動の謎が明らかになる事となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます