ユウゼンギクのせい


 ~ 九月六日(金) 13センチ ~


  ユウゼンギクの花言葉 講和



 幅広の葉が背の低い木から八方に飛び出して、先端をぬかるんだ地面へ浸す。

 家屋は緩い地盤に長く柱を突き立てて、一階分ほど浮かせた姿で屋根にされた葉を揺らしていた。


 そんな北の僻地では男女問わず、褐色であることが常となった肌をほとんど露出させ、髪を獣の牙や骨で飾り付ける。この村も王国も、お互いに自分達が主従の関係であることなど、とうに忘れているのだろう。

 見渡す限りの茶と緑という景色を眺めながら、すでに十日も口にしているのに未だに慣れぬ焼いた果物に目を白黒させて、マールはハエの舞う、屋外の食卓でため息をついた。


 ここならば、確かに追っ手はかからぬだろう。それが証拠に、村長の家には手配書が届いていたのだが、二人が悪人かどうかを決めるのは村の神だからという大時代的な理由で安全を約束してくれた。


 とは言え、さすがに風習が違いすぎて馴染めるものではない。ここでは泥水を飲料水としてすするのが常なのだ。マールにとって、ここでの生活は、野山に身を隠して暮らすより幾ばくか余計な心労を伴うのであった。


「……浮かない顔だな。やはり無理だったか」


 背後から聞こえた声に振り向いたマールは、慌てて視線を元に戻す。

 バロータは、どうにも信じがたいことに、この地でおやつとされるバッタのような昆虫を平気な顔でかじるからだ。


 ……ちょうど、今のように。


「ねえ、あたしのお願いを聞いてくれる?」

「首をくれてやること以外の望みを聞く気はないが……、お前さん、体がこの地に馴染むより先に死んでしまいそうだからな。やむを得ん」

「ありがとう。……まあ、一つ心残りはあるけどね」

「ンヴァリィのことか? あんなの放っておけ。どうせ二度と会いはしない」


 バロータに言われると、マールは寂しそうに肩を落とした。確かに自分ではどうすることもできないが、十日もお世話になったのだ。せめて彼女が抱える恋の悩みをなんとかしてあげたい。


 恋どころか、明日をも知れぬ身だというのに、自らの優しさに押しつぶされそうになっていたマール。そんな彼女の耳に、にわかに怒号が聞こえて来た。

 だが、何事かと慎重に耳を傾けても、ゆっくり聞いたところで半分も理解できない訛りばかりの言葉ではそれも意味のない行為だった。


 マールの目が捉えたのは、隣村の男達。槍で武装した連中の真ん中には、痩せぎすの老人が立っていた。


 そんな連中を見て、慌ててこちらの村長が若者に囲まれて前へ出る。余所者である自分にはその加減は伝わらないが、これが安穏とした会合と思う者がいるとすれば、よっぽどの温室で育ったことだろう。


 一団は、村長同士の血管が切れてしまうのではと思われる舌戦を皮切りに、お互いに嬌声を上げ始める。女子供は家に隠れ、男共は、槍は振るわないものの、肩を突くなど小競り合いを始めてしまった。


「……バロータ。あれは何の騒ぎ?」

「なにやら、作物の出来が悪かったことをこちらのせいにしているようだが」

「酷い!」

「まあ、その反撃に、こちらの村でここ三ヶ月子供が出来ないのを向こうのせいにしているようだ」

「そ、それは……、どっちもどっちね」

「まったくバカバカしい。だが、いつもの喧嘩より派手なことになりそうだな」

「いつも?」

「ここに来てから毎日似たようなことやってるじゃないか」


 それは知らなかった。マールは自分の視野の狭さに軽く下唇を噛んだものの、見知った女性の姿を視界の端に捉えると、慌ててその場を立ち上がる。


「ンヴァリィさん!」


 村長の家から駆けだしてきたのは、自分達の面倒をずっとみてくれた大恩ある友達。村長の孫娘の一人、ンヴァリィ。

 体の半分はあろうかというしなやかな褐色の足に何も履かず飛び出した彼女は、一団の中心へ強引に体を滑り込ませると、喧噪を真っ二つに引き裂くほどの大声を上げた。


「おやめなさい! お互いに怒りを外へ出すものではありません! 怒りは内へ、自らの心へ向けて初めて幸せが訪れると神のお言葉にもありましょう!」


 この勇気に、そして人生の指針たる神の言葉に対して、双方は一旦距離を置く。だが、改めて痩せぎすの男が手をあげると、隣村の男達は槍先をンヴァリィへ向けて構えるのだった。

 そんな彼女の前に、隣村の側から一人の男が躍り出て両手を広げる。あれは、ンヴァリィにとって道ならぬ恋の相手。痩せぎすの男の孫なのだ。


「彼女へ槍を向けるな! 恥ずべき悪魔の所業には、きっと神から罰が下されるだろう!」

「私はいいから! そんな無茶をしないで!」

「いいや、この身に代えても君を守ってみせる! 私には、君を守るだけの資格がある!」


 男の行為に、痩せぎすは怒りの矛先を当人ではなくンヴァリィへ向けると、こちらの村長は口汚く痩せぎすを罵り始める。

 それを皮切りに再び騒ぎは火花を散らし、もはや一触即発の巨大な火の玉と化して、見る者の胸を痛いほどに焦がしていった。


「バロータ! あの騒ぎを止めて!」

「無茶を言うな。……ちょうどいいじゃないか。この騒ぎに乗じて金目のものを盗んで村から消えよう」

「ダメ! あなたは神様に見捨てられても良いと言うの!?」

「ふざけるな。もともと、俺を見る神などどこにもない。悪魔さえ俺の事など見向きもしないというのに、何を誰に恥じればいいのか知りたいものだ」


 目を覆う仮面に刻まれた、神への冒涜の言葉をひと撫でしつつ、肩をすくめるバロータだったが。


「じゃあ、あたしがあなたを見ているから! あなたの行い、生き方、全部を見ているから!」


 マールの言葉を受けると、主の瞳を包み隠す仮面の内で、確かに彼の目は見開かれた。バロータの呼吸は誰の目にも明らかに一瞬停止し、そして優しさを込めた手で、マールの頭をポンと撫でる。


「……冗談じゃないぞ。俺が出来る事なんか、殺すことと、奪う事しかない」


 そんな言葉にも冗談の色が濃いというのに、言われた当人には、それが伝わっておらず。


「そんなことはしないで。あれを止めて欲しいの……」


 大真面目に言われて、バロータは口端をゆがめるに至るのだった。


「……お前はあそこに行っていろ」

「あそこって……、月の見える丘?」

「とっとと行け、のろま。……俺も後から行く」


 バロータは、何度もこちらを振り向いて一向に村から離れようとしないマールを手で払った。そしてようやくその栗毛が見えなくなると、悲壮な表情で――マールの村を焼き払った時と同じ、人の感情を消し去った顔つきで――腰に下げた剣を抜き、一団の前に歩み寄る。


 その姿に気付いた幾人かが槍を彼に向けると、瞬く間にそれらは聖剣による青い雷のような一撃で真っ二つになった。


「この……! よそ者が何の用だ!」

「首を突っ込む気なら容赦はしねえ!」


 そして出口を探して渦を巻いていた怒りの奔流が、客人へと叩きつけられた。


「五十年にも亘り相容れぬ我らの想いが何処にあるか、貴様に分かるはずなし!」

「いいや、分かるさ。石頭の爺どもが取るに足らん意地を張って、自分の孫をいたぶって楽しんでいるだけだろう?」


 図星であるはずなのに、そう冷静に分析できるはずもない両村長。自分たちの誇りを馬鹿にされたかの如き怒りで余所者を見据える。


 だが、そんな男が口にした言葉を聞くなり、怒りの熱は急転直下。永久凍土の墓の下へ叩き落された心地に震えあがることになる。


「……お前らを殺せば、晴れて若い二人の想いが叶うわけだな。よし、今すぐその肩の荷を切り落として、二つの村を俺のものにしてやろう」




 ~⚔~🔥~⚔~




 ベ・デガンの丘から臨む月は、この世で最も大きく膨らむという伝承がある。

 そのホラ話もあながちバカにできないと考えるのは、バロータばかりではなく、マールも同じ。それほどまでに雄大な景色を、二人は見納めとして存分に堪能していた。


「やっぱり、ここにいたのですね」

「ンヴァリィさん?」

「……ああ。最後に見ておきたくてな」


 闇夜にも輝く褐色を伴って精悍な女性が現れると、その背後からは、つい今しがた彼女の婚約者となった男も顔を出し、二人に深々と礼をした。



 人というものは、共通の敵が生まれると、途端に仲良くなるもの。バロータの攻撃は死者こそ出さないまでも苛烈を極め、両村は一致団結して彼を排除するしか生き残る術を見いだせなかった。だが、そんなバロータを追い払う決定打を与えたのは、ンヴァリィとその想い人、二人による説得だった。

 神の声を唱え、涙ながらに訴える二人。すると、急に興が失せたような顔をわざと作ったバロータは、歓喜の叫びを背に聞きながら村を後にしたのだ。


「……この人、何も話してくれなかったので。ようやくもやもやが晴れました」

「バロータさんは寡黙なのですね。神も寡黙を民へ課します。良いことです」


 ンヴァリィが笑顔を浮かべると、途端にバロータは腰を上げた。

 そして二人が抱えた荷物と干し肉を乱暴に掴むと。


「よせ。……下らん話だ」

「いえ。神は、いつもあなたのおそばにおわせます」


 頭を下げるンヴァリィに向けて鼻を鳴らし。


「…………ああ、そうだな。意外と近くにいるもんだ」


 マールの手を掴んで強引に立たせると。

 そのまま闇の中へ消えて行った。



 二人の、次代の村長は。

 月に照らされた金糸がその輝きを森に溶かして消してしまうまで。


 ずっと、ずっと見守っていた。




 ~🌹~🌹~🌹~




「まったく、貴様らはいつもいつも……」


 秋の始まりは意外と早く訪れて。

 ずいぶんと過ごしやすくなった今日この頃ではありますが。


 ……過ごしやすいからと言って。

 楽しい気分になれるかどうかは別の話なのです。


「先生。なぜ俺を立たせます?」

「だまれ主催者」

「そして先ほどから気になっていたのですけれど」

「きーにしない気にしない! あたしも主催者!」


 緊急ホームルームとなったこの時間。

 俺の隣で教室の前に立たされているのは野口さん。


 実は、俺とは違う形で。

 ダンジョンゲームを推し進めるために暗躍していたらしく。

 反対派の皆さんを説得して歩いていたようなのです。


 その甲斐もあって。

 さらに、昨日のガス抜きも手伝って。


 クラス全体の希望は、ダンジョンゲームにまとまっていたりするのですが。


「いまさら気づいたんだけど。これ、ダンジョンでも何でもないの」


 そんな俺たちの正面で。

 ぼけーっとシナリオを読んでいるのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を和風に結って。

 ユウゼンギクを一輪、かんざし代わりに挿しています。


「あーついわよね穂咲! この物語がどうやってダンジョンものになるのか想像が大爆発よ!」

「……よくわかんないの」

「静かにしろ、邪魔をするな」


 そんな二人ののんきな会話を。

 先生の咳払いがぶった切ります。


「あー、お前らの文化祭の出し物だが……」


 先生が何やら話し始めたのですが。

 何をどうやったところで。

 すでにダンジョンゲームに決定なのです。


 もう、毎度過ぎてなんとも思いませんが。

 開催まで、たったの二週間。

 ぎりぎりの土俵際。


 ここで妥協しないなんて人はいないのです。


 なので、先生の仕切りとなった本日のホームルームは。

 あっさりと終了するものと思っていたのですが……。



 意外過ぎる一言が。

 先生の口から飛び出したため。

 教室内は、大パニックに陥ったのでした。



「お前らも、もうすぐ社会人。社会人としての立場上、心からのバカ騒ぎなどできなくなる。……どうせ今年もバカなことを考えているのだろう。責任は俺がすべて俺が持つ。人生最後のバカげた花火、ドカンと上げてこい!」


 いやはや。

 先生。


 このクラス相手にそんなことを言った日には……。



「「「「うおおおおおおおお!!!」」」」



 総員によるスタンディングオベーション。

 そして浮かれてハイタッチから、抱き合って喜ぶ人まで現れて。


「……ただ、受験勉強も手を抜くな。必ず毎日机に向かえ。それぞれが、勉強するやつらのことも尊重しろ」


 先生の、締めの言葉が耳に入るはずもなく。


「なんでも先生が責任持つって言ったぞ!?」

「よし! めちゃくちゃやるわよ!」

「待つんだ。俺は勉強のことを……」

「校庭に穴を掘ろう!」

「校舎に穴をあけてしまえ!」

「待て! 節度を持ってだな……」

「泣いても笑っても、俺たち最後の文化祭だ!」

「おお! 最後に一花咲かせるぞ!」


 そして溢れんばかりのエネルギーが声の形で教室をパンパンに膨らませ。

 いまにも爆発せんばかりになってしまったので。


「……先生。ドアを開けて熱気を逃がさないと大爆発です」


 一声かけて、二人で廊下へ出て。

 立ちっぱなしで、愚痴をずっと聞き続けてあげました。


「貴様たちはいつもいつも……」

「……着火剤になった人が、何を言いますか」


 そんなチャッカマンは。

 いつもよりおでこが広く感じられたのでした。



 ~🌹~🌹~🌹~



『全部盛り込むぞ!』

『スタッフが足りねえ!』

『一年二年も巻き込め!!!』


 チャッカマンが、後は任せたと言って帰ってしまったので。

 もはや暴走列車と化した教室へ戻ると。


「よし! みんな、やりたい事は全部言ったわね? 瀬古、まつりん、週末付き合って! みんなの希望を全部盛り込むわよ!」

「う、うん」

「ん。……がんばろう」


 信じがたい単語がずらりと並んだ黒板を背に。

 野口さんが仕切って、会議はあっという間に終わっていたのです。


「……これを全部シナリオに盛り込むのですか?」

「う~ん、三人でやるのはきついか……」


 腕組みをする野口さんが、ちらりと神尾さんの方を見たのですが。

 首に下げた瓶から錠剤をこりこりとかじっているその姿に肩を落とすと。


「しょうがない! じゃあ、秋山が手伝って!」

「は?」

「逃がさないわよ?」

「ちょおっ!?」


 急にこの人。

 腕組みなどして来たので。


 教室中から冷やかしの嵐。


 ……そんな中で。

 穂咲はそっぽを向いて。

 イワシ雲のウロコの数を数え始めたのでした。



 やっぱり。

 毎度のことですが。


 文化祭は。

 波乱の予感なのです。


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