第3話『あなたはだぁれ?』
【PM 11:57】
眠気を覚え、ふと顔でも洗って気合を入れ直したくなった。
大学受験本番まではまだ1年あるとはいえ、目覚めている子たちはもう駆けだしている。決して、負けるわけいはいかない——
風呂場と洗面所は、家の1階。
父は出張で不在。母と中学生の妹は、もうすでに明りを消して就寝。まぁ健康的なことで。
私は重い腰をあげて部屋のドアを開け、薄暗い階段へ向かった。
二階の私の部屋から漏れている光が、離れるほど見えなくなっていく。
手当たり次第に電気をつけまくれば怖くないのだが、あとでママや妹にからかわれるのだけは、私のプライドが絶対に許さない。意地でも、目的地までは電気をつけずにたどり着いてやる。
寝静まった一階に降りていくのは、あまり好きじゃない。
お化けなんてないさ、お化けなんてウソさ……
小学生の頃音楽の時間に習った歌を、思い出してみる。
高校生の私が、なぜこんな歌に頼らなきゃいけない?
学校では成績トップの私が、暗いところや幽霊の類が怖いなんて、自分でもヘンだとは思う。そんなの全然科学的じゃない、とか思いながら、それでもやっぱり怖いものは怖い。
何とか、洗面所にたどり着いて、私は手探りで電気スイッチのある場所へ手を伸ばした。馴染みのある突起に指が触れたところで、パチンと力を込める。
1秒ほど遅れて、天井の蛍光灯の光が灯る。
私は水道の蛇口をひねり、水柱に手を突っ込んで水をすくう。
顔にひんやりした液体がかかった瞬間は、何だか一瞬違う世界を感じた気分になるが、数秒すぎるとそこにはただ、濡れた顔をふかないといけない面倒だけが残る。
タオルを顔に当てて拭く間、視線がつい洗面所の大きな鏡に向いた。
そう言えば、二階の部屋を出てくる時に時計を見たら、もうそろそろ午前0時になる頃だったはず。昔、ガキな友人がわざわざくだらない「怖い話」で盛り上がったりするのが、イヤだった。
午前0時に鏡に出てくる 「ブラッディ・メアリー(血まみれメアリー)」。午前0時に合わせ鏡をすると怖いことが起きる、とか。まったくもってバカバカしい。
でも、そんなことを考えるだけで、何となく体の芯が震えてくる。
いけない、いけない。部屋に戻って、もうひと頑張りしないと志望校が遠のく。
部屋に戻りかけてふと、私は何か違和感を感じた。
そこに本来あるべきでないものが、あるような感じ。
私がゆっくりと、鏡の方を振り向くと——
その後、山中澄香は自室に戻れなかった。
朝早く、洗面所で座り込んだままの彼女が、家族によって発見された。
命に別状はないものの、何を問いかけてもしゃべらず反応せず、まるで廃人のようだったという。
【数日後】
「ねぇねぇ、知ってる?山中さんがずっと学校休んでいるわけ——」
休み時間、噂話が生きがいでもあるかのような女子たちが、人の不幸をエサにして自分の興味を満たす。
学校の先生も教科ばかり教えてないで、こういうとこ何とかする教育計画でも立てたらいいのに、と思う。
でも僕はその漏れ聞こえてくる話題に、興味津々に耳を傾けているんだから、人のことは言えない。
井戸端会議の環の中でも、だいたい場の中心になる別名「情報屋」の楢崎が、得意げに自分の独占スクープを披露していた。
「山中さん、表向きはさ、体調不良ってことになってるようだけど——」
楢崎がもったいぶったしゃべり方をするので、皆エサを求めるヒナのように、身を乗り出して聞き入っている。さぁ次の情報をくれ、と言わんばかりに。
「私ね、見たのよ。山中さん、K大病院の入院患者がよく利用する休憩所にいたわ。たまたま親戚のお見舞いに来て、偶然見かけたんだけど」
「何でまた入院を? ケカでもしたのかな? 何かの病気?」
「いやいやいや、それがね——」
いやいやいや、と言った時の楢崎の声が、稲川淳二に結構似ていた。
「あとをつけたらさ、何科の病棟に行ったと思う?」
「ええっ、どこどこ?」
まったく、話は下品でもこういう間の取り方と持っていき方は天才的だ。
「……精神科、よ」
「私たちの出番ね」
急に背後に人の気配がした。これは、振り向かずとも誰かは…
まさか、また事件解決の助手になれ、とか言わないだろうな? そりゃあ、二回はそういうことをしたけれど、だからって三回目もそういうことをしないといけない、なんて決まりなどどこにも……
「問答無用」
細くてきれいなその指のどこから、こんな力が? そう思うほどに、つねられた僕のほっぺがめっぽう痛い。
「安藤。あんたに人権などないんだよ」
我らがエスパー・美奈子ちゃんは可愛い顔に似合わない怖いことを言う。お前は山椒大夫かい!
「えっ、山椒大夫って、何?」
……国語の勉強を、もうちょっとしたほうがいいね、来年受験を控える身としては。人の心が読めても、山椒大夫を知らないならまだまだだな。
決して小梅太夫じゃないぞ。
「さっき楢崎さんたちが、山中さんのこと話してたけど、あれって事件性あるの?」
もう断る元気もなくなった僕は、あきらめて美奈子ちゃんの話を聞くことにした。
「山中さん、って言えばさ、クラスどころか学年で1、2を争う秀才だろ? こんな時期に続けて学校休むなんて、他人事ながら大変だよな。精神科に入院するほどのことって、どんなことがあったんだろう?」
「呪いだね」
まさか、超能力者の美奈子ちゃんから、そんな非科学的というか、オカルトチックな言葉が飛び出るとは思わなかった。まぁ、言ってみりゃ超能力自体がオカルトと言えるかもしれないが。
それにしたって、『呪い』なんて美奈子ちゃんが口にするのにふさわしくない言葉だなぁ、と勝手に思う。
「呪いってさ、夏に特集組んだりするあのこわ~い番組の、アレ?」
「……アンタ何想像してんの」
山椒大夫を知らないのをバカにされたと心を読んだのか、やたら美奈子ちゃんは突っかかる。
「そりゃあ、国文学の勉強がいい加減だったことは認めるけどさ、呪いってホラー映画かなんかの非科学的なやつじゃないんだからね。あれはね——」
突然、授業開始のチャイムが教室に鳴り響いた。残念ながら美奈子ちゃんは自分の席に戻ってしまい、結局続きを聞きそびれた。
……呪いって、結局何だろう?
僕には、強烈に恨みをもった人が、意図的に特定の誰かに不幸が起こるように念じる(祈る?)こと、としか想像がつかない。他に、定義ってあるんだろうか?
【その日のPM11:59】
私は、洗面所で洗顔していた。
なぜかって? それは最近気になりだしたニキビの対策だ。
青春のシンボルとかなんとか言って、気にするなって向きもあるけど、それは大人たちの勝手な考えだ。とりあえず、お手軽に子どもに自己肯定感を持ってもらうための、大人の詭弁だ。
こっちの身にもなってみろ。対岸の家事なら、どうとでも慰められる。
就寝前にナイト仕様のクレアラシルをすり込んで洗顔しておいたら、何もしないよりはずいぶん違う。薬用成分が、寝てる間にも仕事をしてくれるからね。
洗顔を終えて、私はあらためて鏡で自分の顔を見た。
そこには、決してキライではない自分の顔があった。
でも、私から自分への自信を奪い去るニキビのやつらだけが、赤々と存在を主張していた。
……これさえなければ、好きな男子にも告白する勇気も出てくるんだろうなぁ。
あと、もう少し成績も上げないとかなぁ。
アナタハ ダァレ?
ちょっと待って。今誰か、なんか言った?
お父さんは起きてるけど書斎だし。ママは寝てるし。
私一人っ子だから、他に子どもの声なんかするはずがない!
私は、目の前の鏡が映し出している光景に、違和感を持った。
気付きたくなかったけど、私の後ろに、人形が……
【数日後】
「今度はいっぺんに3人、か」
お昼休み。周りの目を気にして、最近の捜査作戦会議(?)は学校の屋上でやっている。何、学校の屋上に簡単に出られるのか、って? もちろん、普段は鍵がかかっていて侵入禁止だよ。
でも、美奈子ちゃんがエスパーなので、鍵なんて無力だってこと。
「僕らと同じA組の小西さん。C組の高場くん。3年の飯田先輩。確かに欠席だけど、これみんな、同じ事件の被害者って考えてもいい、ってこと?」
美奈子ちゃんが言うには、3人とも山中さんと同じ。表向きは病欠だけど、原因不明の放心状態で、精神科に入院していると調べがついているらしい。
「今のところ、被害者はみなうちの学校の生徒だね。そこの関連が私にはまだ分からない。でも、ひとつはっきりした。この事件の犯人は人間じゃないから、警察には解決できないね」
……うわ、またか。美奈子ちゃんはいいけど、僕はいたってフツーの男の子ですからぁ! 呪われたどうしてくれるんだ?
「心配しないの、安藤。私が守ったげるから」
ニマァッとした不自然な笑顔を向けてくる美奈子ちゃんに、僕は忠実なるしもべでいるしかなかった。
「そう言えばさ、呪いの定義を聞きそびれたままだったよ。結局、この事件の本質って何?」
「安藤、料理を作ったら、最後に料理以外に何が残る?」
突然、美奈子ちゃんから禅問答のような質問が浴びせられて、僕は必死で考えた。
「えっ、料理そのもの、以外で? そりゃあ、ゴミでしょう。野菜の切りかす、剥いた皮、食料品の包装紙とか袋とか……」
「あんた、見かけによらず的確なこと言うねぇ。感心した」
……ひと言余計じゃ。
説明に集中しているので僕の心を読むヒマがないのか、美奈子ちゃんはツッコミも入れてこず、そのまま解説を続けていく。
「人生を、料理と考えて。生きると、ゴミが出るみたいに何が残る? その人が納得できた人生を送ったならいいけど、未練や悔しさ、理不尽感が死ぬ時にあったら? 感情、という名のゴミが残る」
美奈子ちゃんは腕組みをして、しばし黙ってしまった。やや間があって、さらにこう続けた。
「そのゴミが、場所的に一定の範囲内でたくさん出たら? それらは引き寄せ合って、ひとつのエネルギーになる。それは、意識を持ったひとつの生命とは違うけど、ある共通の志向性を持ったエネルギー集合体となって、行動を起こす」
そうか。僕は、人を呪うには特定の個人の意思と目的が必要だとばかり考えてきた。そうじゃなくて、今回は——
「寂しさ、苦しさ、悔しさ……あらゆる感情の残り物が集結して起こしている 『暴走』が、今回の事件の犯人」
美奈子ちゃんは、放課後不思議なことをした。
高校の正門前で、小さなチョコレートを配りだしたのだ。
美少女の美奈子ちゃんが配ると、効果てきめん。男子はこぞって群がった。
「バカ! ひとりひとつだけです!」
いくつももらおうとする意地汚い男子を叱っている。
女子は女子で、甘いものに目がないのか、やはり喜んでもらっている。
僕は、なぜそんなことを始めたのか全く理解できず、ただポカンと眺めていた。
なに、僕も手伝わないのか、って?
バカ言わないでくれ。僕が配っても、多分誰も寄ってこない。
夕方6時。学校に残っている生徒がほぼいなくなり、美奈子ちゃんは空っぽになったカゴを振り回しながら、あ~疲れたと言って戻ってきた。
「あのさ、今の一体何?」
「……ワナを張った」
何で、チョコを生徒に配りまくることが、罠?
「あのチョコには、ある化学物質が仕込んである。あれを食べた誰かが、波長の異常に強いエネルギーパターンと接触したら、私には感知しやすくるから。それを目印に、退治に飛んでいけるから」
なるほど、そういう理由か。大事なことが分かったら、あとはくだらないことに興味が行くのが僕の悪いところだ。
「チョコを配って、よく先生方が文句を言ってこなかったよね。あと、こんなすごい数のチョコレート、どうしたの? お金がかかったはずだよ」
美奈子ちゃんはあきれ顔をしながらも、聞いたらちゃんと説明してくれるところが好きだ。
「……先生方は、一種の催眠術で文句を封じた。チョコは経費で、全部警視庁直属の機関・SRI(科学捜査研究所)もち」
【同日 PM11:58】
僕は、自宅の洗面所にいた。
高校生の被害者の共通点は、皆12時を刻む時に、何らかの形で「鏡」の前にいたこと。そして皆一様に放心状態になり、無気力になっている。
ほとんどしゃべらないが、時折「人形」という言葉を口にする。
美奈子ちゃんが言うには、犯人は感情エネルギー集合体だとして、それは直接この次元の物体に触ったり、動かしたりすることができないらしい。エネルギー波動でものを吹き飛ばすことはできても、微調整ができない。だから、自分たちの手足となる「道具」が必要になる、と。
「生きた人間は、精神支配が面倒。だからモノというか、無機物が一番言うことを聞かせるのが楽。わざわざ人形を選んだのは、そんなもんが深夜の暗闇にプカプカ浮いてたら、相手に恐怖心を引き起こさせるにはもってこいだったからかしらね」
そんなことを考えながら、僕は何気なく鏡を見ていた。
後から振り返ると、この時の僕は本当にバカだった。
自分が、美奈子ちゃんと一緒に事件を追いかける立場だから、すっかり勘違いしていた。自分だって、襲われる可能性のある対象なのだと考える視点が、すっぽり抜け落ちていた。
だって、だって……
アナタハ ダァレ?
後ろを向かなくても、鏡に映っているものでイヤでも分かる。
僕の首筋の後ろに、に、人形が……
一瞬、自分のこれまでの人生の出来事が、走馬灯のように頭を駆け巡った。
最後に、薄れゆく意識の中で、ひとつだけ考えたこと。
ああ、僕は美奈子ちゃんのチョコを食べてなかった。これじゃあ、僕の危機に気付いてはもらえないな。
ああ、僕もあれもらって、食べておけばよかった。この思い残しも感情のゴミになって、僕が死んだ後も残って誰かに悪さするのだろうか?
そんなことを、最後に考えた。
【翌日】
僕と美奈子ちゃんは、最近すっかり常連になったファミレス、ロイホの客席で向き合っていた。
事件の解答編を聞きだす時には、ここに来るということがすっかり習慣付いた。
「まずさ、どうして……僕は助かったの?」
そうなのだ。僕は、人形に襲われたあの瞬間、もう人生の終わりだと思って気持ちの「総ざらい」だってしたのに! またこの世界で、生きて目覚めることができたんだから。
「そ、その答えは……話の最後に。他のことを先に聞いてくれない?」
いつも堂々としていて強気の美奈子ちゃんには珍しく、本当に言いにくそうにモジモジしている。
美奈子ちゃんがモジモジしているなんて天然記念物級に珍しいから、写メにでも撮っておきたいな……なんてことを考えたら、ゲンコツが飛んできた。
「余計なことを考えてないで、さっさと質問してっ」
僕にはクリームソーダ、美奈子ちゃんにはチョコバナナパフェ。
注文が来たタイミングで、事件の疑問点を整理して順に聞いていった。
「まずさ、何でよりによって僕らの地域だけでこの事件が起ったの? あと、どうして同じ学校の高校生ばっかりが被害に遭ったの?」
美奈子ちゃんは学生カバンの中から、写真付きの資料を取り出した。
「これは科捜研の資料だけど、うちの校区一帯はその昔、製糸工場だった」
製糸工場と聞いて思い出すのが、「ああ野麦峠」というノンフクション文学。『女工哀史』という作品も有名だ。当時の貧しい家の娘たちが、どれだけ過酷な環境を生きたかを伝える、重要な資料である。
「……断定はできないけど、おそらくそれが事件の始まりとみていいと思う。もちろん、それだけでは今回の事件を引き起こすほど莫大なエネルギーにはならなかった。その時から半世紀以上の時間を経ることで、やっとこの世界に自在に干渉できるだけの力をかき集めた。
まるで、500円貯金がいつのまにかひと財産になっていた、って感じかしらね」
なんと、昔からの怨念が、世代を超え蓄積され熟成されて現代で甦ったのか。何とも恐ろしい話だ。
「なんで同じ学校の生徒ばかりが襲われたのか……その原因は、タモリにある」
時々美奈子ちゃんは、理解不能な言い回しをする。
「タモリって、あの芸能人の?」
頼まれもしないのに、美奈子ちゃんは突然歌いだした。
トモダチのトモダチは、皆トモダチだ~♪
世界に広げよう、トモダチの輪~
「輪っ!」 ってところだけは、美奈子ちゃんだけに恥ずかしい思いをさせるのもかわいそうなので、僕も一緒に手で輪っかをこしらえた。
「単なるエネルギー体のくせに、やることはやたら法則性があるのよね。きっと、最初の一人は無差別でしょう。でも、その後からは制約事が出来た。何かっていうと『前の被害者の関係者』でないといけなくなったの」
なるほど。一連の事件の被害者を調べると、それぞれに同じクラスだったり、過去に同じクラスだったりと、何かしら面識がある者同士ばかりであった。
「さらにもうひとつの、被害者の特徴——」
僕の顔をじっと見て、指摘するかのようにズバリと言った。
「自分に自信がないこと」
その一言で、やっと分かった。
学年トップの秀才・山中さんが被害に遭い、クラスでも目立たず成績も悪い小西さんが被害に遭ったことで、一体犯人はどういう基準で人を襲うのか、理解に苦しんだからだ。
「そうか! 小西さんは、自分の容姿や成績のことで、文字通りに自信がなかった。一方の山中さんは、本当は自分に自信がないからこそ、それを必死で隠すために勉強を頑張ってきた、ってことか!」
「まぁ、そういうこと」
そう言いながら、美奈子ちゃんはパフェのクリームがついた口の周りを、おしぼりできれいに拭った。
「次に安藤君が聞きたいのは、人形の攻撃方法と、どうやって私がそれを封じたか、でしょ?」
「うんうん!」
「もちろん、霊験あらたかな魔除けのお札を使ったとか、陰陽師顔負けの悪霊退治バトルをした、ってわけじゃないから。本当に地味な話だから、あまり期待しないでくれる?」
そう前置きをして、美奈子ちゃんは事件の真相を語りだした。
あの人形は、わざわざ自分に自信のない人間を選んで、「アナタハダァレ?」と聞くわけ。
どんな霊だってエネルギー体だって、相手の許可なく強制的に自由を奪ったり、操ったりすることはできない。相手を手中に収めるためには、相手の心をつかまなければならない。それも、一番弱いところをね。
自己アイデンティティーがしっかり確立されていないと、心の準備もなしに 「あなたは自分を何者だと考えていますか」 なんて聞かれても、返答に困るわけ。「さぁ、そう言えば自分って何なんでしょうね?」ということになっちゃう。その心の隙に、つけ入ったのね。
だから、安藤君の救助に駆けつけた私がやったことは、本当に単純。
人形に、「じゃああなたこそ誰?」って堂々と聞き返してやったわけ。
「アア ワタシハ ソウイエバナンダロウ」
人形は自分でそう言って、苦しみだした。
私はサイコメトリーをつかうために、その人形に手を触れてみた。
おぞましい記憶の数々だったわ。受け止めるの、大変だった。
その感情たちの主が、どれほど辛い目に遭ってきたのか本当に分かったから、私は事件を解決しようとか人形に勝とうとかいう考えを忘れて、人形を抱いたの。
「もういいのよ。あなたは悪くない。私は、あなたが大好き——
寂しかったんでしょ? 誰かに、その気持ちわかってほしかったんだよね?
今、私が全部読み取った。同情とかそんなんじゃなくて、私もあなたたちの記憶を共有したから。もう、これで終わりにしましょ?」
そう言ったらね、人形は制御する主を失って、ボトッと床に落ちた。
数え切れない人の「アリガトウ」の声が、次々と頭に響いてきた。
その瞬間、山中さんや小西さんをはじめ、被害者たちは皆意識を取り戻したんだと思う。術者が消えたので、魂縛(コンバク。魂を縛ること)も解かれたわけね。
美奈子ちゃんは、あらかたの説明を終えて疲れたのか、座席深く背中を預けて、ため息をついた。一生懸命上を向いている美奈子ちゃんに、僕は声をかけた。
「いいんだよ、別に泣いても」
目に溜めておききれない涙が、頬を伝って首元まで、ひとつの筋をつくった。
「安藤にそんな言葉をかけられるなんて、癪だわ」
それだけは頑張って言って、あとは静かに泣いていた。
「60年分くらいの、大勢の苦しみを分かち合ったんだ。美奈子ちゃんじゃなくたって、誰でも耐え切れないさ」
美奈子ちゃんがいかに強くても、どこかではやっぱり高校生の女の子。
今は静かに、付き合ってやるしかない——
ロイホを出ると、外はすっかり暗くなっていた。
夜の6時過ぎともなると、この季節なら暗くて当たり前。
吐く息も、心なしか白く見える気がする。
「あ、最後にアンタに言っておかないといけないことが」
急に思いだしたように、美奈子ちゃんが歩を止める。
歩道には結構人通りがあったので、僕らは道のわきにどいた。
「え、話って何」
「なぜ私が、安藤の危機を察して駆けつけることができたのか、だけど……」
そうだよ! それ、一番聞きたかったのに、あまりにも事件の真実が衝撃的過ぎて、すっかり聞くのを忘れていたよ。それが最後に残った究極の謎。
美奈子ちゃんがSOSを監視しやすいという、化学物質入りのチョコを食べずに、どうやって危機を察してもらえたのか? いよいよそのわけが明かされる。
「……安藤のことを考えていたから」
「は?」
「もうっ、ちょうどその時安藤のことを思っていたんだってば! そうしたら——」
ちょうどその時、僕の存在がエスパーの関心の的になっていたので、何かの助けがなくても危険に気付けたんですとさ。でもそれって、それって……
「こら。脈がある、とか考えない。10年早いぞ」
「……へいへい」
経験上、からかうと修羅場になると分かっていたので、おとなしく引き下がった。でも、僕の本心がうれしがっていることは、どうやっても隠せないだろうなぁ。
美奈子ちゃんは、真っ赤な顔をしてもうひとつの驚くべき真実を告げた。
「テレポーテーション(瞬間移動)で安藤の家まで跳んだんだけど、座標間違えてさ……あんたのお父さんが寝ている上に落ちた」
「はぁ!?」
「寝ぼけてたけどさ、案外肝の据わったオヤジさんだよね。これはこれは、息子の彼女ですか? なんて聞いてきた」
ああ、それでか! 朝、やたら僕の顔を見ては「そうか、お前がなぁ、お前がなぁ……」ばっかり言ってニタついてたのは、そのせいか!
「それで、藤岡さんは……何て?」
まさかとは思うが。まさかね!
「はぁ、まぁそのようなものです、って言っておいた」
僕は立ちくらみしそうになった。
「コラ、誤解するな。これも捜査活動を円滑にする一環で……」
言い訳をする美奈子ちゃんと、彼女に体を支えられて歩く、ふがいない僕。
普通逆だが、美奈子ちゃんに家まで送ってもらった。
別れ際に、「ああ、これ悪いけど明日まで預かっておいて」 と言われて、ある包みを渡された。
包みを掻き分けて中を見た僕は、ぞっとした。
「あの……人形じゃない?これ」
「明日、供養のために人形寺の住職に渡す手はずになっているけど、それまでとりあえずアンタが持っといて」
「何で僕が……」
ブゥブゥ文句を言う僕に、美奈子ちゃんはとんでもないことを言う。
「私は、人形の気持ちを理解してトモダチになったんだから。アンタも、一晩くらい親交を深めなさい」
「一体どういう理屈なんだっ」
結局、人形を僕に押しつけて美奈子ちゃんは帰っていった。
「やれやれ。今夜はお前と一緒か——」
気のせいかもしれないけど、何だか人形がニタァって笑った気がした。
そんな僕の頭上で、夜空に雪が舞い始めていた。
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