6 【第淕(ろく)話】 (約2100文字) 【向こう側】

【一口ショートホラー】

6 【第淕(ろく)話】


【向こう側】


 はあ、オオバヨウゾウさん、ですか。

 なんでまた、私のところなんかに?

 え? 話を聞きに来た? 私が体験した奇妙な出来事について?

 ……。どうしてそのことを知っているんですか? あなたとは初対面のはずですけど……。

 え? 知り合いから聞いたって? ああ、そうですか……それじゃあ、誰かが話したんですね。私が酒の席で話したこのことを……。まあ、会社の同僚とかに結構話してますからね……。

 まあ、いいですよ、話すくらいなら。減るもんじゃないし。

 でも、聞いて後悔しないでくださいね……。


 あれはそう、一か月くらい前のことかな。

 その日も会社での仕事を終えて、同僚と酒を飲みに行って、家に帰ったのが、もう深夜零時を回っている頃でした。

 酔っていてものすごく眠かったんですけどね、私の性格的に寝る前は歯磨きしないと、どうしても眠れないんですよね。虫歯とか、歯周病とかが気になってしまって。

 とはいえ、いまにも寝てしまいそうなくらい睡魔が襲っていたので、とにかくさっさと歯磨きを済ませてベッドに潜り込もう……そう思って、洗面所に行ったんですよ。

 洗面所のドアを半開きにして、歯ブラシに歯磨き粉をつけて、さあこれから歯磨きするぞ、と、鏡に向かったときです。

 あれ……何か、変だな……おかしいな……って、思ったんですよ。

 酔いもあったせいか、最初見たときは、何かの見間違いか幻覚かと思いました。飲み過ぎたせいかと。

 それくらい、はっきり見えたんですよ。あったんですよ。いや、いた、と言った方が正しいかもしれません。いたんですよ。半開きのドアに。その……。


 手が。


 不気味なくらい青白い手がね、半開きのドアと壁の隙間から、にゅっと出ているのが鏡に映っていたんですよ。それでドアノブの下あたりのドア板に指を掛けて、いまにも力を込めて開けようとしているんです。

 ええ、はい、とっさに振り返りましたよ。まさかと思いましてね。

 でも……見えないんですよ。そこにはなにもないんですよ。目をごしごしとこすりましたが、やっぱり何もないんですよ。

 ほっと、安心しました。なんだ、やっぱり、ただの見間違いだったんだ、酒を飲み過ぎたせいで幻覚でも見たんだってね。

 それで、また鏡に向き直ったら……。


 いたんですよ。まだ、そこに……。


 しかも、ただいただけじゃない。半開きだったドアがさっきよりも開いていて、手と指だけじゃなくて、ドアにもたれかかるようにして、細くて青白い腕が見えていたんですよ。

 すぐさま、もう一度ドアの方に振り返りました。でも、やっぱり、いないんですよ。

 鏡を見ました。いるんですよ。しかもまたドアがさっきよりも開いていて、今度は骨と皮だけのような肩が覗いている。

 ドアに振り返りました。いない。どんなに目を凝らしても……いないんです……!

 いない、けど、いるんです。だって、ドアが開いている角度が、鏡の中のそれと完全に同じなんですから。いるんです。肉眼では見えないけど、いるんです、そこに、手が。

 鏡を見ました。黒いものが見えました。髪の毛です。顔や首元を覆い隠すくらい長くて不気味な髪の毛が、こちらを覗き込んでいたんです。

 ドアが開いていきます。最初は半開きだったドアが、少しずつ少しずつ、徐々に徐々に、完全に開け放たれようとしていくんです。

 そしてドアが開いていくのと同時に、その青白い腕が、生きているとは到底思えない手が、この世とは別の世界に引きずり込もうとするように指を大きく開いて、私の方に差し伸ばしてくるんです……!

 思わず、叫んでいました。ホラー映画やお化け屋敷とかでも全く叫び声一つ上げない私が、叫んでいたんです……! 分かりますか? この恐怖が。

 とにかく、あの手に捕まったらダメだ……! そう思った私は瞬時にドアの方に振り向いて、鏡の中の手に鏡の外の自分の身体が重ならないようにかわしながら、バタンッ、と、たたきつけるようにしてドアを閉めました。


 ……………………。


 話は以上です。

 ドアを閉めた後、再び鏡の中に青白い手が現れることはありませんでした。この場にいる私を見ても分かるように、何とか助かることができたわけです。

 幸いなことに、あの一件以来、鏡越しに青白い手を見ることもありません。

 いやでも、もしかしたら、あれは、やっぱり酒を飲み過ぎたことによる幻覚だったのかもしれませんね……。

 ただ、まあ、洗面所だけでなく、鏡のある場所にいるときは、必ずドアを完全に、ちゃんと閉めるようにはしていますがね……。

 幻覚にしろ、現実にしろ、もうあんな体験は二度としたくありませんからね……。


 そうそう、いま思い出しましたが、あの手が消えた後のドアを見てみたところ、ドア板の表面に小雨や小雪が降りかかったような、小さな水滴がいくつもついていたんですよ。

 まあ、洗面所ですからね、何かの拍子で水道から出た水が飛び散ったんでしょう。あのときは私も気が動転していましたから。私自身、シャツがびっしょりになるくらい大量の冷や汗をかいていましたし。それこそ、私のその冷や汗が飛び散ったのかも。

 あははは……ははは……はは……。







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