第44話 守恒とお化け
一人になりたい。それが“お化け”の願いだった。他人に怯え、また、“他人”ができたことによって生じる“自分”を嫌悪している。
行き過ぎたひきこもりだ。
守恒は、ソリチュードワールドに渡ってからずっと、彼―――性別などないが、便宜上そう呼ぶ―――のカウンセリングに努めた。
「確かに、僕らの世界には、モブも多い。でも、それは気持ちひとつでいつでも卒業できるんだ」
そして、守恒が話す謎の“モブ論”を下敷きに行われるそれは、難航を極めた。
「僕だってそうだ。あのアホな父親がやらかさなかったら、きっと高校生になってもモブのままだった。……先輩にも、会えなかった」
しかし、粘り強く“語らい”は続いた。自分の内側に向けて、語り続けた。
「あれは色んな意味できつかったな」
しみじみと、そして、切々と言葉を紡ぐ。柔らかなバリトン。力強い低音が、『一人ぼっちの世界』で反響する。
「「他人がいる世界が怖い」って気持ちは、よく分かるよ。僕だって、ずっとそうだからね。今も。うん、
でもね、と続け、少し、沈黙する。
守恒は、時間の感覚すら曖昧な孤独の世界で、自分に憑りついた“お化け”のことを、嫌いではなくなっていた。
少なくとも、彼がモブであるわけではない、と。ならば、適当なことを言ってはいけない。何故なら、守恒もまた、モブでは無いからだ。
「どうか、僕にチャンスをくれないか」
視界がぐらりと傾き、身体が、微かだが確かな震動を感知する。世界の扉が、開く感触。
「僕の世界を、もう一度君の目で見て欲しい。失望はさせないよ。約束する」
そう言い終えると、大きく息を吸い込んだ。横隔膜の奥まで、下腹に力をぐっと入れて、高らかに歌い始めた。
「You'll Never Walk Alone―――」
一人じゃない世界。一人になりたいときもある世界。だからといって、一人きりではいられない世界。
「まずは、先輩に会いに行こうか」
守恒は歩き始めた。彼を愛してくれる人たちに向かって。
※※
迎えた県大会決勝。これに勝てば全国大会。木瀬川女子サッカー部は前半を0-0で折り返した。
背番号10の
「あるあるだよな。楽勝だと思ってる試合で上手くいかなくて、ズルズル行っちゃう展開」
観戦する
「このままだと、どうなるんですか」と、絵斗那。
「向こうもガチガチに守ってるから、このまんまだとPK戦だな。嫌な予感がするぜ」と、一馬。
一方、ハーフタイムのベンチ。
「攻めは出来てるよ。あとは最後のところだけ」
咲久が檄を飛ばし、一奈も「カウンターだけ注意ね」と続ける。が、監督の
圧倒的に攻めている展開で決めきれず、PK戦。「なんかいやだ」と思っている時ほど、予感が当たってしまう。サッカーに限らず、スポーツ全般のジンクス。
そして、もう一つ。
「咲久。ちょっとエンジン全開過ぎるから、緩めろ」
「ほぇ?」
間の抜けた返事。まさかギアが入った自分に「緩めろ」などという指示が飛ぶとは思わなかったのだろう。
チーム全体と比べて、咲久のリズムが少し早い。超感覚型監督である咲希らしい見立て。
「遊んで来い」
そう、妹を送り出した。
※※
焦りも、気負いもない。
ただ、身体が軽すぎるとは感じていた。
後半キックオフ。咲久は
すると、冷静な頭が、心の奥にある感情を探し当てた。
―――寂しい。
家族も、友達も、チームメイトも埋められない、“彼”がいない穴。今の今まで考えないようにしてきたのが、良い証拠だ。また、自分を誤魔化していた。
どうやら、寂しさを振り払うために費やしたエネルギーが、戦う力に変換されていたようだ。
―――いや、どんな構造だよっ!
自分にツッコミを入れながら、ある意味“適当”にプレーしていると、仲間との噛み合わせが良くなってきた。
と、ボールが足元に来た。今まではフォワードの一奈に渡すプレーばかりだったから、少しやんちゃにドリブルで持ち込んでやろうっと。
一人、二人、相手ディフェンダーを、易々とかわしていく。両校の応援団が詰めかけた会場が最高潮に盛り上がる。野山に囲まれたサッカー少女そのものの、自由奔放なプレーだった。
「先輩、ここで打ったら、入りますよ」
「そだね。えいっ」
少し遠めから、ミドルシュート。モタモタしていた相手ゴールキーパーは一歩も動けず。あっさりと先制点が決まった。
しかし。
「やりましたね、先輩」
「うんっ! やっぱり守恒くんが見てくれると違う―――」
「あれ、なんかえらいところにでてきちゃったな」
「……………………」
ええええええ!!!!と、世界中に響き渡るような大絶叫。続いて会場も大混乱。一奈は口をあんぐり。一馬は大爆笑。絵斗那はあまりのショックに気絶。
ピッチのど真ん中に、いきなり現れた少年。困惑しきった審判の笛。ルールブックを開くまでもない。ゴールは無効。
「……あなたは、誰ですか」
その審判が、辛うじて試合の秩序を維持すべく声をかけた。守恒は、こう答えた。
「マネージャーです」
「ならベンチに戻りなさい! 退場にしますよ!」
普通なら一発退場ではあるが、どうやらレフェリーも相当混乱していると見える。守恒は、これ幸いと咲希たちの待つ木瀬川ベンチへ。
「それじゃあ、頑張ってください、先輩」
「待って。二週間ぶりの守恒くんをちょっと補給させてほしいな」
「僕を補給? って……んっ」
頭一つ分小さな男子を、咲久は乱暴に抱き寄せ、半ば強引に唇を奪った。無論、これも大分反則だが、女性レフェリーは、予想外過ぎる状況を前に、完全に固まっていた。
「……ぷはっ。じゃあ、勝ってくるからね」
「……はい」
ちょっと癖になりそうだと思いながら、守恒は頷いた。そして、自分の中にある“お化け”に向かってこう言った。
「ね? 悪いもんじゃないでしょ、この世界」
出張れ!歌え!モブレイヴ!! 完
―――試合終了。木瀬川高校が14-0で勝利した。仮にも県の代表を決める決勝の試合ながら、無惨なスコアだった。
「はぁ、勝った勝った。どうだった、守恒くん、私の活躍っ」
「先輩は鬼ですか」
「違うよぉ。敬意だよ、敬意」
人懐こい飼い猫のように甘えた声を出す咲久。
「さぁ、全国だよぉ。モブは全部倒すよぉ」
「いや、対戦相手はモブじゃないですから」
「いいの。守恒くんにとって、私以外の女の子は全員モブなんだから」
「……Oh,Jesus」
―――僕の彼女が、怖いことを言うようになってしまった。
出張れ!歌え!モブレイヴ!! 終
守恒と咲久が共に歩む道は、続く。
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