出張れ!歌え!モブレイヴ!!

祖父江直人

“モブ”を嫌う少年

第1話 墨守恒は急に歌う

 やはり、坂ノ上咲久さかのうえさくは、ひとりぼっちになった。


 彼女の行動は、誰が見ても正しかったが、まことの行動が常に良い結果と評価を得られるほど、人間は強くなかったようだ。


『アンタだってやってたじゃない』


 いじめの首謀者である部長兼主将からかけられた罵声は、事実だった。


 咲久は、中学女子サッカーMVPプレーヤーとして強豪公立高に鳴り物入りで入部した時から約一年間、一人の二年生が練習に参加させてもらえなかったり、部の雑用や用具の手入れを押し付けられているのを、見て見ぬふりで過ごしていたし、直接の加害はしなくとも、いいように扱っていた。


 だから、咲久の行動はいわば「死なばもろとも」な自爆特攻。告げ口すれば、いじめに加担していた自分も強制退部であろうと覚悟していた。


 しかし、涙の告解が教育者たちの心を変に打ってしまい、一週間の部活動謹慎という温情処置。


「なんであいつだけ部に残れるんだ」


 退部の憂き目に遭った“加害者仲間”は当然面白くなかったし、その不公平感、気持ちの収まりどころのなさは、部活内のみならず、学校中に伝染した。


 で、坂ノ上咲久はひとりぼっちになった。それでも変わらず、放課後はグラウンドに出て、サッカーボールを蹴っていた。


「―――先輩、坂ノ上先輩」

「は……、ひゃい!?」


 数ケ月あんまり人と喋っていなかったせいで、呼ばれたことに気付かなかった上、声が裏返る失態を重ねる。そのおかげで、羞恥心に縮こまった179㎝(自称)の長身と彼の目の高さが丁度合った。


「にゃ……なにかご用です、か?」


 こんな短い文章で噛むんじゃない! あと声ちっさ! と、内心で自分に手厳しいツッコミを入れる咲久に、見たところ入学したばかりの一年生らしい男子生徒はこう言った。


「一年の、墨守恒すみもりつねっていいます。入部希望です。僕は男子だし、マネージャーですけど。これから部員も増やしていきましょう、坂ノ上先輩」


 低くて良い声だな。試合中でもよく通りそう。―――って、そうじゃない!


 いつの間にか、グラウンドで注目を集めていた。


 運動部。

 下校中の生徒。

 好奇の目。

 怪訝な目。

 そして、あからさまな敵意。


 背も高く、髪も短く、見た目こそボーイッシュだが臆病な咲久はそれだけですっかり委縮してしまう。


「あ、あのね、墨、くん―――え!!?」

「うぇ~んにゅ~うぉ~~く」


 何を思ったか、いきなり歌い出した。なにこれ!? ていうか歌うまっ! 声デカッ!?


「ゆ~るねぃ~ばぁ~うぉ~くあろ~~~ん」


 ―――あ、確かこの歌は、“You'll Never Walk Alone”。イングランドの有名なサッカーチームや、Jリーグのチームでも歌われているサッカー界では有名なアンセム。


 どうして急に歌い出したのかは分からないけど、高らかに「あなたはひとりじゃない」と歌われると、少し元気が出てきた。それ以上に、超恥ずかしいけど。……うわ、皆こっち見てる。恐い! お願い! もうやめて! 私、メンタルそんなに強くないから! 試合前、いっつもお腹痛くなるタイプだからっ!


 結局三分ほどフルコーラスで歌い切ってしまった一年生押しかけマネージャー男子―――墨守恒は、露骨に白い目を向けられながら満足気に微笑み、咲久の方に向き直った。


「というわけで、改めてよろしくお願いします」

「どういうわけでっ!? 今の、ひょっとしてキツいタイプの自己紹介だったりした!?」

「あははっ、みんなの視線が釘付けでしたね」

「称賛の眼差しはほぼゼロだったと思うんだけど!」

「二、三人は笑ってくれてました。あとで勧誘しましょう」

「どうしよう、すごく前向きだよぅ……」


 物怖じしない。目立つことに恥じらいがない。自分とは正反対の人間だ。


「あー、恥ずかしかった」

「あれっ?そんなことなかった!?」


 あっけらかんと告白した守恒に、やおら咲久の声も大きくなる。


「ですけど、いつまでも首を引っ込めてうじうじしていたら、モブ共の思う壺ですから」

「も、モブ?」


 後半よく分からない単語があったが、素直に「すごいね」と呟いた。


「私には、できないな」

「何を言っているんですか。先輩がやっていたことじゃあないですか」

「え?」


 いつの間にか、広い校庭に夕焼けが差し込んでいた。守恒の眼差しに、朱が差す。


「あなたは、まだモブ共に負けてない。こうして諦めず、ボールを蹴り続けてる」

「……!」


 守恒は、一人シュート練習で散らばったボールを拾いに走りながら、言った。


「お手伝い、させてください。モブじゃない先輩の力になりたい」


 その“モブ”という言葉が何なのかは分からなかったが、咲久は結局、その新入りマネージャーを受け入れた。


※※


 それから約一年が経った。


 2030年の春。日本代表に招集され、ベンチで見つめる試合は、アウェーの東亜民共和国戦。


 全体主義の独裁国家らしい大応援と大ブーイングを受けた選手の動きは固い。長身のFWフォワードである咲久が投入されるのは後半の大事なところだろうが、上手く動けるイメージがまったくできない。


 前半を終えて、0-1。厳しい展開のまま、ロッカールームに引き上げてきたチームメイトの一人がこんなことを言った。


「ねぇ、スタンドに日本人の男の子がいたんだけど」

「え? 嘘」

「マジ。下がるとき、日本語で「後半勝負ですよ!」ってめっちゃいい声で話しかけてきた」

「いくつくらい?」

「高校生じゃない?」


 “めっちゃいい声”の、“高校生”。


「ここ東亜だよ? どうやって入国したの?」

「っていうか、危ないから渡航しないでって言われてなかったっけ」


 矢も楯もたまらず飛び出した。控え選手として、練習に参加しながら、彼を探す。


 ―――いた。


 相手ゴール左手のメインスタンドの最前列。やたらと目立つ木瀬川高校サッカー部のジャージ。


 どんな魔法を使ったのか。はたまた居候先の喫茶店で働く勤労高校生としていくら使ったのか。


 それは知るよしもない。そんなことは、どうでもよかった。


 行ける。


 確信と共に、咲久は後半の頭から代表初キャップのピッチに立つ。


 ―――今思い出しても恥ずかしい、いつかの試合前の会話。


「あ、あのね、墨くん。……ありがとうね」

「改まってどうしたんですか?」

「君のおかげだから。こうしてまた、サッカーできてるの」

「そんなことは―――」

「そっ、それにねっ!?墨くんが試合を観てくれてると、すごく、頼もしい。不安とか怖さとかがなくなって、勇気が出るの」


 しどろもどろな咲久の声に、彼は「そうですか。なら、僕は先輩が出る試合は全部観なきゃいけませんね」と応えてくれた。


 ―――本当に、来てくれたんだね。


 相手が、全員小さく見えた。身長だけじゃない。精神的に上回っている感覚。


 カッコ悪いところ、見せらんないよね。


 後半開始早々、日本代表がボールを奪う。ぴたりと静まり返るスタジアム。丁度いい。刀のように研ぎ澄まされた緊張が、集中へと変わる。


 ボールを、私に集めなさい。


 気弱なストライカーの背に、鬼が宿る。


「―――!」


 そのときだった。沈黙のサッカー場に、たった一人の“日本サポーター”から、大きな歌声が響き渡った。


 敵も味方も呆気にとられた。そのなかで、咲久だけが、笑っていた。

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