人嫌い、お礼をされる

「いらっしゃいませ。」


揉め事が起こった次の日、普通に仕事をしていた秀人。そこへ見覚えある顔がやって来た。


「いらっしゃいませ、何名様で?」


「1人よ。」


「ではこちらへ。」


今回は姿を隠さず、普通に来店した舞。昨日と同じ席に座り、同じ注文をしたのだった。


「では少々お待ちください。」


「ちょっと待って、店員さんは暇かしら?」


「あいにくと仕事中ですから。」


「でも私以外、客はいないみたいだけど?」


「清掃業務に在庫管理、いろいろありますので。」


「はっきり言ってしまえば、昨日のお礼がしたいわ。」


「結構です。」


「おい高山くん!本当に津河山舞が来て…」


「あらどうも。昨日はお騒がせして、申し訳ありませんでした。」


「いえいえ!今すぐコーヒー淹れますから!」


「店長さん、少し彼を借りても?」


「もう好きにしちゃってください!」


「おいおっさん。」


「だそうよ。まずは奢りで、好きに飲んで食べてね。」


秀人は深くため息を吐きながら、舞の反対に座る。


「で、何か用ですか。」


「最初に言ったけど、もう忘れたの?」


「お礼がなんだってのは、聞いたけどいらないし。」


「えー?今ならサインもあげるのに。」


「いらないんだって。君が誰か知らないけど、他人のサインなんて価値もない。」


「…それ本気?」


「君のサインに価値があるの?」


「自分で言うのは恥ずかしいけど、今一番の売れっ子なのよ。」


「で?」


「でって…価値だとオークションなんかで、いい値がつくわ。」


「別に金に困ってないけど。」


「じゃあ2ショットでも撮る?私との写真なんて、なかなかないわよ。」


「それなら風景でも撮った方が、今後何かに使えそうだよ。」


「君無欲なの?」


「欲しいものは孤独と平穏くらいだけど。」


「…何か私にできることは?」


「今すぐ僕を解放して、放っておくこと。」


舞にとってこんな体験は初めてだった。思い出にと学生の時オーディションを受け、受かってからは流されるような人生だった。

最初は小さな仕事だったが、一度ドラマの主役になってからはそれまでになかったような仕事も舞い込んできた。そんな人気絶頂の自分を知ることも、知ろうともしない目の前の人物はいったい何者だろうか。


「はいコーヒーお待たせ!」


「店長が持ってくるなんて…宝くじ当たるくらい珍しいですね。」


「ふざけんな。高山くんが来るまでは、ずっと1人で回してたんだからな。」


「そうだ店長、この人にお願いしたいことあります?」


「そりゃあ決まってるさ。サインが欲しい!」


「じゃあそれで。」


「…ごめん放心してた。サインが欲しいのね!やっぱり君も男の子なんだ。」


「いや僕は欲しくないけど。こっちのおっさ…店長が欲しいみたい。」


「おっさんて言おうとしたか?」


「じゃあ君のお願いじゃないじゃん!」


「だから、今すぐ僕の解放を。」


「高山くん。ここは適当に、握手とかでいいんじゃないか?」


「いやなるべく触りたくないんで。」


「もーなんなのよ!」


ついには頭を抱える舞。秀人が他人に求めるものは、静寂くらいだ。それを理解してる者は、付き合いのある麗華たちくらいなものだろう。


「はあ、分かったわ。今日はサインだけにする。でも!次来るまでにしてほしいこと、考えなさいよ!」


「なんで偉そうに…」


「おっとそこまでだ高山くん。舞さん!ぜひまた来てください。」


舞はサイン一枚を置いて、次の仕事場へと向かっていった。


「店長、それどうするんですか。やっぱオークションで?」


「んな事しねえよ!こうやって…飾っとけば家宝だろ!」


「それに、有名人が来たって宣伝になりますからね。」


「…平常運転だな高山くん。」


「店長は熱がすごいですね。」


呆れる店長と、特に変わりない秀人だった。

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