聖女最後のお役目です 3

 私が青竜夫妻と会っていたのは、上位の精霊たちが住む世界との狭間の、緩衝地のような異空間だったらしい。

 気がつくと、エドナさんの家のリビングで、皆に心配そうに覗き込まれていた。


「リィエが抱えた卵が急に強く光って、なにも見えなくなったの。眩んだ目が元に戻ったら、卵じゃなくて赤ちゃんを抱いて気を失って倒れているじゃない。驚いたんだから」


 こちらではほんの数秒の出来事だったと、介抱してくれたジョディさんからそう聞いた。

 これまでの書物にも卵が孵る時の詳細はなく、また、殻がそのような使われ方をするということも、今回初めて分かったことだった。


 私は、殻の残りもしっかり持って帰っていた。

 喉から手が出るほど欲しがっている人がいるのは承知だが、違法行為を働いてまで入手しようとした閣下に、はいどうぞ、と勝手に渡すわけにもいかない。


 そもそも魔王の卵の殻というもの自体とても貴重で、売買するにしても値段など付けられない。

 扱いに困るが、今回に限っては「本来の持ち主」がここにいる。


 というわけで、卵の殻をどうするかは、魔王本人が決めた。

 割れた殻を砂遊びのように小山に積んで、半分は自分に。残り半分をまた二つに分けて、国王陛下とルドルフさんの前にずい、と押し出し「あげゆ」と。気前のよい子です。


 関係者各位を交えての検討の結果、陛下に譲渡された分は、聖女召喚の時に消費してしまった国宝級の魔石の補填および、魔王の後見を引き受ける見返りとして、トラウィス王家が受け取ることになった。

 そしてルドルフさんに渡された分は、研究材料として扱うことに。殻を分析することによって、魔力基礎研究の底上げを図るのだそうだ。


 その研究の一環として成分調査と臨床実験も兼ね、例の薬が作られることとなった。

 治験の対象者は、オルフェリア様だ。

 実際には誰も使ったことがなく、効果も定かでない薬。場合によっては逆効果になる可能性も分かった上で、それでも試すのは勇気がいることだと思う。


 製薬には魔女の手が必要だ。所在が確認できている魔女はエドナさんしかいないから、必然的に彼女に依頼することになる。

 条件付きでどうにか引き受けてもらえたとはいえ、エドナさんのご機嫌はよろしくなくて。


「下ごしらえの手間も多いし、面倒な薬だよ。リィエ、アンタも手伝いな」

「えっ、私?」

「迷惑をかけた詫びくらいしてくれないとね」

「うう、それを言われると」


 というわけで、私はエドナさんの家で薬作りを手伝うことに。

 薬師の助手としては本当に雑用しかできなくて、ほぼ家政婦だったけど。私の作る食事を気に入ってくれたみたいだったのは、うん、嬉しい。


 そして、公爵閣下の処遇はといえば、世情不安を煽るとして罪状の詳細こそ公にされなかった。

 が、払った代償は少なくない――王位継承権の放棄と所持領地の返上、さらに多額の賠償金を支払っての臣籍降下、当面の間の監視付き謹慎。

 今は、服薬により病状が改善しつつあるオルフェリア様と二人で、王都から少し離れたところで静かに暮らしている。


 閣下が担当していた公務の一部は、引退していた前国王陛下と王妃様が臨時で復帰して受け持つこととなった。

 渋々帰国なさった王妃様が主導で陛下のお妃様探しにも本腰を入れ始めたそうだが、こちらは一筋縄ではいかないようで。

 強引にセッティングされるお見合いに疲れた陛下が「やっぱり結婚しないか?」と、私に会うたび挨拶のように言ってくる……まあ、がんばれ。愚痴は聞こう。


 そんなふうにしているうちに、卵が孵ってから半年が過ぎた。

『魔王』の成長スピードは人間と変わらない。ヨチヨチ歩きがだいぶしっかりして語彙も増えたものの、舌足らずなのはそのまま。

 その可愛らしい声に呼ばれて、私は庭先で薬草を束ねていた手を止める。


「りぃえままー! こえ、おはな。どーじょ!」

「わあ、きれい。ルカ、ありがとう!」


 小さな手に白い野花を掲げて、一生懸命に、でも時間をかけて走ってくる小さい子を抱き上げてくるんと回る。

 きゃっきゃと楽しげな声を上げて、ぎゅっとしがみついてくるこの子がやっぱり可愛くて仕方がない。


 ルカ、という名前はこの子が自分でつけた。というか、魔王や精霊は、生まれながらに自らの名前を持つのだそうだ。


 陛下が後見をしているが、住んでいるのは王宮ではない。

 グリナウィディの町外れにある、魔女エドナさんの家が私たちの住まいだ。


 埒外な魔力量の持ち主である魔王のルカは、特に幼少期にはその魔力制御が未熟で周囲への影響が大きいため、大抵の人と一緒にいられない。

 一度王宮に戻ったものの、色々と支障が出すぎて、これは無理だ、となるのは早かった。


 王宮から目の届く距離で、周囲に人が少なく、魔力的に耐えうる人物の監督下で、防犯面も考慮して――などの条件に合うのがこちらだったのだ。


 例の魔法薬の依頼時と同様、交渉に当たったのはルドルフさんだ。

 いやあ……外交の駆け引きとかは知らないけれど、前回に引き続き、なにやらすごいものを見せてもらった気がする。

 エドナさんとルドルフさんが合意して握手を交わした時なんて、二人の背後に虎と龍が見えた気がしたね。敵に回しちゃいけない人達だと思う。


 そんなわけで、卵を孵す『聖女』の役目は終わったものの、ここでエドナさんの手伝いをしながら魔王ルカのお世話係をしている。


 庭先ではしゃぐ私たちの声を聞きつけて、家の中からエドナさんが姿をみせた。


「はん、相変わらず仲がよろしいことで」

「あ、エドナおばあちゃんがヤキモチ焼いてましゅよー」

「だーれが焼きもちなんか!」

「照れてましゅー、可愛いでしゅねー」

「……リィエ」

「おばーちゃ、だぁめ! りぃえまま、いじめちゃだめなのー!」

「やーん、ルカ大好きー!」


 やれやれ、と呆れて顔をしかめるが、目は笑っている。

 ぶっきらぼうな態度をとるエドナさんに「実は優しいですよねえ」と言って、つい最近も嫌な顔をされたばかりだ。実に愛すべきおばあちゃんである。


「……今日もあざといな」

「む。やーの、きた」


 きゃっきゃと笑っていると、玄関側から客人が回ってくる。

 先に気付いたルカがぷうっと頬を膨らますから、顔を見ずとも誰が来たのか分かってしまった。








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