はじめての外出 2
研究室に就職?
いや無理。どう考えてもムリ、絶対。
変わった人が多いと定評のある研究室は、頭脳的にはものすごーく優秀な人が集まっていて、簡単に勤められるようなところじゃないって知っている。
採用試験の内容だって倍率だって相当だとか聞いたよ?
「私、この国のことも、魔法とかのことも門外漢ですよっ」
「さすがに研究員としてなんて無茶は言わないわ、事務方でよ。室長の秘書も兼ねてくれたら助かるわね」
「ひしょ?」
自分に縁のない単語が飛び出て、思わず繰り返してしまった。
「結局、スケジュール管理とか経理とかをしてくれる人がいないから忙しいのよ。中央との折衝にも時間を取られるし」
「はあ」
え、なに、まさかだけど、ルドルフさんが勤怠管理とか会計処理とかしてるの?
……あの厳しい顔で事務員さん用アームカバーをした姿とか、うっかり想像しちゃったじゃない。案外似合う気がするけど、ミスしたらすっごい冷静に指摘されてへこみそう。
「そのあたりを任せられる人がいれば、室長も私達も、もっと研究に集中できるはずなのよね」
「そうでしょうねえ」
ジョディさんの話には、シーラさんも心当たりがあるようだ。
聞くと、以前に研究室の出金管理をしていた人が、横領とかそれ系の不祥事をやらかしたらしい。
事務・庶務に無頓着なところのある研究室の職員さん達は全く気付かず、発覚がかなり遅れたのだそう。
そんな経緯もあって、財務担当の子爵がことさら研究室を目の敵のように……って、なーるほど。昨日今日の話じゃないのね。
「その事務方は当時の室長の縁故だったから、二人揃って更迭よ。で、今のルドルフ室長が就いたんだけど、あの通りでしょ。身元がしっかりしていて、室長と渡り合える人がなかなか見つからなくて。本人も『面倒を起こす事務方など要らん』って言って、そのまま」
「はあ、そんなことが」
ああ、うん。ルドルフさんなら言いそう。
それじゃあ忙しいのも当然……っていうか、寝てるのかな、あの人。なんか心配になってきた。
変だな、仮親なのは卵相手だけのはずなのに。いやでも、知ってる人が過労死とか普通に嫌だよ。
「リィエなら室長の相手も大丈夫そうだし。それに、もともと事務の仕事がいいって言っていたわよね」
「ええ、まあ。前職がそうだったので」
「ほらぴったり! それにね、研究室も職員寮も王城内だから『魔王』とすぐに会える距離よ」
「うっ、魅力的なお誘い」
流し目ウインク付きで誘われると、思わず頷いちゃいそうだ。
先日の陛下といい、『聖女』退職後の再就職の斡旋をされている気がする。ありがたくはあるのだけど……素直に頷けない自分がもどかしい。
及び腰で言葉を濁した私に気付いて、ジョディさんはさっと話を切り上げた。
「返事は急がないわ。私達は大歓迎だからってことだけ覚えていて。さ、じゃあ、収穫祭当日の説明は後にして、まずはこっちね。ほら見て!」
そう言って、ルドルフさんの置いて行った荷物を開け始める。
大きな紙袋からは、畳んだ布と小さな箱が出てきた。まずはその、細長いシーツみたいな布をファサッと広げてみせる。
「これは、卵を抱く時用の布。我が研究室の最新作よ!」
……色が現在の普通の白から、やや銀色がかった白色に。布の厚さは少し薄くなった、かな。でもほかは同じに見える。
形も一緒で、ジョディさんが胸を張る理由がいまいちピンとこない。
「ええと?」
「今、リィエが使っているそれは、普通の布に魔術を付与しているの」
「あ、はい」
常に身につけているこの抱っこ用の帯布は、ただのベビースリングではない。
卵の落下を防いだり、なにかにぶつかった時は衝撃を吸収してくれるという、ミラクルなオプションがついたマジックアイテムだ。
私がそそっかしくしてちょっと危うい場面でも、素晴らしい回避能力を発揮してくれて正直、大変助かっている。
でもこれ以上、必要な機能なんてあるかな?
防汚機能もついていて、よほど破れたりしなければ交換も必要ないって聞いたのに。
不思議がる私に、ジョディさんは片手を腰に、反対の人差し指を唇に当てて、ドヤ顏……もとい、不敵な笑みを浮かべた。
「これはね、リィエ。アラクネの糸で織った布なのよ!」
「まあ、初めて見ました!」
その言葉に、シーラさんがすっごい驚いた。
アラクネ……って、もしかしてあの、ギリシャ神話とかにでてくる、上半身が人間の蜘蛛の? 実際にいるんだ?
「アラクネの糸なんて、もう今じゃちっとも手に入らなくて貴重品もいいところだけどね、研究室に遊びに来る、あのヴォルセリウスが持ってきてくれて」
「あの可愛いわんちゃんが?」
ヴォルセリウスというのは、豆柴サイズの白いモフモフ魔獣だ。
やっぱり舌を噛みそうな名前で、心の中ではわんちゃんとかヴォルちゃんと呼ばせてもらっている。
ふわっふわの毛並みの子で、撫でたら絶対気持ち良さそうなんだよなあ。
まだ直接は触らせてもらえていないけれど、「取ってこい」で一緒に遊んでくれるようにはなったから、あと一歩だ。頑張る。
しかし……アラクネって、悪強そうで毒もあるイメージなのに。そんな怖い魔物から、糸を貰ってきちゃったりするんだ。
ヴォルちゃんってば、ちっちゃいのにすごい。
「リ、リィエ。ヴォルセリウスは犬じゃないわ」
「え」
かくん、と膝を落としたジョディさんに次いで、おっと、シーラさんからもツッコミが。
「狼です、フェンリルの仲間ですよっ」
「なんと」
フェンリルって狼の魔獣のこと?
小さくて白くてモフモフで可愛いヴォルちゃんは、狼っぽい顔の犬だとばっかり思ってた!
犬じゃなかったんだ……ごめん。
これからの仲良しイメトレでは、骨じゃなくて生肉を投げよう。
「それに、可愛いなんて言ってるのを聞かれたら、へそ曲げられるわ。もう百歳近いはずよ」
「ええっ? それはまた大先輩……失礼しました」
「魔獣としてはまだまだ子どもですけれどね」
「ふふ、シーラさん。その辺は思春期の魔獣にとってデリケートな問題よ」
「あ、そうなん……へえ……」
うん、今日も一つ賢くなった。
異世界という事実をしみじみ噛み締めながら、その後は外出時の諸注意などを聞いたのだった。
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