聖女なんて勘弁してください 4
「卵……え、冷たっ!?」
触れた卵は、まるで冷蔵庫から出したばかりのように冷え切っていた。
あんなに乳母車の中はホカホカで、これだけ毛布にも包まれていたのに、どうして?
「こ、これっ?」
「はい、死にかけてまーす!」
「やだ不穏!」
上司のルドルフさんに横目で睨まれても、わあ室長こわーい、で済ますキラキラ金髪のフィルさんは大物……というか、大型わんこみたいな無邪気さだ。
その上、軽口を叩きつつ、ぐいぐいとさらに押し付けて私に卵を抱かせようとする。
うわ、本当に冷え冷えよ? 大丈夫なのこれ?
心配になって、ちらりとルドルフさんを見上げた。
「あの……これを世話? するっていうのは、つまり、孵す必要があるんですよね、多分」
「そうだ」
いやいや私、ヒーターでも親鳥でもないから。
ちなみに自慢じゃないが平熱は三十五度台、万年運動不足で筋肉もない冷え性なモヤシっ子でしたわ。
今の体はどうか分からないけれど、少なくとも現在は絶賛不健康だぞ。
「ずっと必死で温め続けてこれなんですよー。だから聖女様があっためてくださーい」
「フィルさん、『だから』の意味が分からないでーす」
あ、語尾が伝染った。
「『聖女』でないとー、魔王は育てられないんですよぅ」
「え?」
「だから、必死で探して召喚したんですー」
どういうこと?
頭の中は疑問でいっぱいだが、皆さんからの「そのまま抱いていろ」の無言の圧に押されて、空気を読める私は大人しく卵を深く抱えた。
冷え切った卵を、寝間着越しにぴったりお腹にくっつけて、その上から毛布をかけ隙間なく両腕で抱き込む。
やや楕円のバスケットボールといった大きさと形なのに、不思議なくらい私のお腹にジャストフィットだ。
密着していたほうが温まるかなぁって思ったんだけど、しかし、あー、冷える……。
ぶるりと震えた私に気付いたシーラさんが、さっとショールを肩にかけてくれた。感謝です。
もぞもぞやっている間、待っていてくれたルドルフさんが説明を再開する。
「……精霊や霊獣と人間との間に生まれた『魔王』は、古来、人の手に託される習わしだ。だが、育て親は魔王自身が選ぶ。その選ばれた仮親のことを、我々は『聖女』と呼んでいる」
こちらも、昔からそう呼ばれてきたから、という単純な理由だそう。当然、時には男性の「聖女」もいたが、有史以来の呼称はそのままとのこと。
召喚システムに入力した、ただ一つで絶対の条件は「魔王が望む聖女」だった。
「歴代の聖女は、全員この世界の者であったはずなのだが……青竜は今もこの国を許していないらしい。二百年前の馬鹿どもの尻拭いをさせられるとは、実に迷惑なことだ」
「ええと、お疲れ様です……?」
ルドルフさんは独り言のように呟いて眉をひそめた。部屋の空気も、ずーんと重くなる。
要するに、大昔に起きたトラブルのせいでこの世界の中で聖女が見つけられなかった、ということなんだろうな、これって……とりあえず、深入りしないでおこう。
過去の件に関しては完全に部外者だし、どこの世界もなにかしら事情があるものだよね、うん。
「魔王は多大な魔力を有する、と先に話したが」
「あ、はい」
「卵を孵しそこない死なせてしまった場合、親である精霊や霊獣からの制裁は免れない。この国土は焦土と化し、亡ぶだろう」
「ほ、ほろ……」
「卵を孵せても、『魔王』が人と相容れぬ性質に育てば、その膨大な魔力はやはり人間にとって脅威になる」
「……なかなか物騒ですね」
ともかく、この卵を無事に孵し、健やかに穏やかに育てなくてはならないのだと、シーラさんを含む皆さんが表情を硬くする。
「こーんなに冷たくなって死にかけちゃって、今まさに危機に直面している状態なんですよー。困りましたねえ」
フィルさんが言うと困ってなさそうに聞こえてしまうけど。
さっき「これ以上冷えるとヤバい」って言ったのは比喩ではなくて、本当に卵は瀕死ギリギリで――だからこそ、この突撃訪問が決行されたのだと。
「でも私、卵を孵したことなんて……ん?」
その時、お腹に抱き込んだ卵の僅かな変化に気が付いた。冷たい殻が、ほんの少しずつだけど温まってきているみたい。
毛布の下に手を潜らせて殻に触れると、気のせいじゃなく冷たさが和らいできている。それも、私の体温が移ったというのじゃなくて、内側からほんのりと……。
あ――この子、生きてる。
突然そんな思いが湧いて、胸の奥に固まっていた何かが、ほわっと解れた。
それに、なんだか……そんなことあるわけないのに、卵のほうからも私にギュってくっついているような気がする。
んん、気のせいじゃなく、本当にちっちゃい手でもありそうよ?
え……かわいい。なんだこれ。
生まれる前の卵の、しかも瀕死の状態で私にしがみついてるの?
ちいさい。可愛い。愛おしい……守らなきゃ。
言葉にしづらい、今までに感じたことのない気持ちがどっと溢れてくる。
やだ、死なせるなんて絶対ダメ――国の存亡とか聖女の役目とか関係なく、無性に手離し難くなってしまった。
「聖女の精神状態や感情が、魔王に伝わると言われている。だから、強制されて任に就いた聖女の元では魔王の健全な成長は望めない。それゆえ、」
「あ、ハイ。やります」
「リィエの意志を尊重し自ら……は?」
「聖女の役目、お引き受けいたします」
気づけば勝手に口が動いていた。それまで渋っていた私の突然の方向転換に、ルドルフさんは目をまん丸にする。
あ、その顔はちょっと和むかも。
「ぃやったー! 聖女様っ、あーりがとうございまーすぅ!!」
「ああ、よかった……これで眠れる……」
「きょ、今日こそ家に帰るんだ俺……っ」
フィルさんを皮切りにまた切実な内容を含む歓声が沸いて、部屋の中は初日の再現のようになったのだった。
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