第9話 異世界人の日常

 次の日の土曜の朝、予定通りエイルをホテルから連れ出し日常部の部室を訪れた。外国人の容姿でしかも制服を着ていないエイルを横に従え校門から入っていくのは大丈夫なのかと思ったが、守衛には普通に挨拶されるだけだった。二人から話は通してあったのだろうか。


「やぁ二人共、おはよう」


「……おはようございます」


 部室に入ると部長はにこにこ顔で杏里はすまし顔だった。昨晩世紀末に出てくるようなキャラでエイルと戦っていた人物と同一だとはやはり思い難い。ギャップがありすぎて逆にその笑顔が恐ろしい。


「まぁそこに座りなよ」


「はぁ……」


 真也たちが席につくと、杏里が二人分のお茶を出してくれた。


「にしても普通の格好でも結構目立つわねあんた……」


 杏里がエイルの前にお茶を出す時にコメントを残す。


「そうか?」


 エイルは自身の容姿が普通ではないということについてあまり自覚がないようだ。


「それで昨日は彼女、結局どうしたんだい?」


「近くのホテルに泊まらせました」


 部長の言葉に真也が答える。


「そうか、何とかなったならよかった」


「えぇ、それは良かったんですが……」


「ん?」


「昨日貰ったお金だけではそう長くは生活出来そうもないんですよね……」


「まぁ、そうだろうね」


 昨夜から考えていたことだが、真也は生活費を出して貰えないか打診してみることにした。


 真也の家庭環境はとても普通だ。漫画のように両親共に長期の海外出張で家を空けているなんてことはない。いきなり出生も謎の外国人を家に居候させるという訳にもいかないだろう。


 だとしたら事情を理解してもらえてお金にも余裕のありそうな日常部に期待する他ない。


「そして、もちろんエイルを野放しにはできません。彼女はこの都会で魔物を狩って日銭を稼いで生活しようとしてたらしいんで……」


「それは……なかなか異世界人らしい考えだね」


「そのせいで丸一日何も食べれずに昨日死にそうになってたんですよ」


「え……? あはは、そうなの?」


 三人の視線がエイルへと集まる。杏里も少し笑っていた。


「そ、その話はもういいだろう!」


 エイルは恥ずかしかったのか少し顔を紅潮させている。


「エイルさん。先日の通りモンスターはこの世界にも現れないこともないけど、現れても結局僕たちイレイザーが消去してしまうんだ。だから実質いないのと同じだ。例えその肉を食べたとしても食べなかったことになってしまう。元からいなかった事になってしまうんだからね」


「……そうか」


「それと君が暴れれば、その分君のカオス値は上がってしまうだろう。僕たちの消去対象にならないようにその辺りは気を付けてね」


「……わかった」


「で、君が暴れなくても生活できるようにその生活費は我々の組織が負担することになった」


「え……本当ですか」


 お願いする前に部長が話を切り出してくれて真也はほっとした。しかも、それはもう決定したことらしい。


「あぁ、でもそれには条件があるんだ」


「じょ、条件……?」


「そう、その条件とはエイルさんもこの日常部に入ってもらうこと」


「エイルも……?」


「うん。エイルさんとは昨日戦ったけど、さすが異世界の戦士だけあって、その戦闘力は目を見張るものがあった。君がいれば戦闘タイプのカオスの対処は随分楽になりそうだ。それにエイルさんは準イレイザー。イレースの能力はないみたいだけど記憶を引き継ぐことは出来る。一緒に活動していて話に齟齬が発生するなんてこともなさそうだしね」


「ふむ……つまり私に傭兵になれということだな」


「まぁ簡単に言えばそういうことだね。それに君はこの世界のどこかにいる魔族を探しているんだったよね。イレイザーは遭遇したカオス、イレースしたカオスの情報を共有している。この部活に入っていればいずれそれらしき情報も流れてくるかもしれない。エイルさんにとって悪い話じゃないはずだよ」


「なるほど……わかった。そういうことであればぜひこちらからもお願いしたいところだ」


 エイルはあっさりとその条件を飲んでしまった。しかし本当にいいのだろうか、真也には何だか承諾するのは少し早計なように思えた。まだ色々と確認するべきことがあるはずだ。


「えっと……ちょっと待ってください」


 真也は軽く片手を挙げて部長へ目を向けた。


「ん……?」


「エイルが日常部に入るって具体的にはどういうことなんですか。戦闘に参加するだけでいいんですか?」


「いや、毎日放課後にこの部室に来てもらうし、合宿、その他の活動にも参加してもらうよ」


 そんな活動なんて日常部にあったのか。イレイザー同士の会合でもあるということだろうか。


「……っていっても彼女はこの学校の生徒じゃないですよね。っていうか日本人でもなければこの世界の住民でもないんですが……」


 そんな人間が部活だけやるなんてことが学校的に許されるのだろうか。


「うん、それはそうだね。だからエイルさんがこの話を飲むなら彼女の身分はこちらで用意させてもらうよ。彼女にはこの学校の正式な生徒になってもらう」


「え……生徒にって、そんなことが出来るんですか」


「あぁ、イレイザーはただカオスと戦っているだけの組織じゃないんだ。裏でこの国を動かせるだけの力を持っている。もちろん今すぐというわけにもいかないけど。彼女は見た目が日本人のそれではないからまぁ……外国、ロシア人ってことにでもしようか」


「え……なんでロシアなんですか」


「エイルさんは日本語以外は喋れないんでしょ? 英語圏内の国だとみんな色々と質問とかしてくるかもしれないし。ロシア語だったら周りの人も全然分からないだろうから都合がいい」


「なるほど……でもなぜそこまでしてもらえるんですか」


「本人の前で言うのもなんだけどエイルさんは準イレイザーであると同時にカオス値が100を超えかねない危険人物でもあるからね。であれば出来るだけ目の届く範囲に置いておきたいだろう? おそらくその方がカオス値の危機管理もしやすいはずだ」


「なるほど……」


「それに彼女もお金だけもらってこの国で何の身分も持たず一人ホテル暮らしをするのはきっと孤独だと思うよ。人間関係なんて桐嶋君以外にないんだから」


「それは……そうですね」


 部長はそう言ってお金を工面させるように組織に言ったのか。部長の本心はどこにあるのかは真也にはイマイチ分からなかった。しかし表面的にでも部長の言うことには概ね納得出来た。


「わかりました。エイルも賛成のようですし、僕からもお願いします」


「うん。じゃあ、これからよろしくねエイルさん」


「あぁ。色々と苦労をかけてすまないな。昨日は戦いなってしまったが、お互い水に流すことにしよう」


 エイルは杏里と部長の二人と握手をした。これで真也の中にあった不安の多くは解消された。


「ところで桐嶋君、君は銀行の口座を持っているかい?」


「え? えぇまぁ」


「ならそれを教えてくれ」


 真也はポケットから携帯を取り出し、口座の情報を部長へと教えた。


「よし、送金が完了した。確認してみてくれ」


「……!」


 真也はアプリで自分の口座の残高を確認して目を見開いた。


「こ、こんなに……」


「まぁ当面の生活資金だ。しばらく彼女はホテル暮らしになるからそれくらいは必要だろう」


「そうですか……。分かりました。ありがとうございます」


「これで今日の要件は一応終わったわけだけど、明日またここに集まることは出来るかな?」


「また明日ですか?」


「あぁ、さっそくエイルさんの入学の準備でも始めようと思ってね」


「え……」


「教科書や制服を受け取ってもらおうと思う。そして学生証のために写真撮影が必要だ」


「……そんなに早く用意出来るもんなんですか」


「あぁ、桐嶋君も気づいてると思うけどうちの学校は完全にイレイザーの息がかかってるからね。公的な証明書は時間かかるけど学生証やら制服やら、その辺りのフットワークは軽いよ」


「……そうですか」


 イレイザーとは本当に底が知れない存在だ。味方である分には心強そうだが……


 日常部とは相反する考えを心の中に持つ真也は少し不安になってきた。


「じゃ、私が採寸してあげるわね。ちょっとエイルそこに立ってみて」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 杏里によるエイルの採寸が終わると四人はその場を解散し、正午も近いので真也は駅前のハンバガーショップへと立ち入りエイルと昼食を取ることにした。


 エイルは出されたハンバーガーを案外普通に食べていた。聞けば異世界にもパンに肉や野菜を挟んで食べるという料理はあるらしい。それより何よりも驚いていたのは真也が注文したコーラという飲み物だった。


「真っ黒で泡が無限に沸いてきている……どう考えてもまともな飲み物には見えないが……」


「ちょっと飲んでみるか?」


「……いや、やめておこう。少し勇気が出ない」


「……俺にはあの蜘蛛にかじりつく方がよっぽど勇気が必要に思えるけどな」


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