蔦、九葉。

 



 懐から取り出した手紙をクロードは読み返す。


 それは『小鳥の止まり木』より届いたもので、どの地区までが団体の支援がなされているのか大まかな内容が書かれたものであった。一応王都全体ということになってはいるが金銭面と協力者の問題で主に王都のノース側が活動の中心となっている。


 デールの持って来た書類でもノースは浮浪者が多い傾向にある。


 五年前は驚くほど浮浪者の数が多かった。貧民街の存在を考慮しても、だ。どの地区も浮浪者や似たような状況の者で溢れかえっていただろう。


 四年前も然程変化はないが、所々に集中しているのは『小鳥の止まり木』が食事の配給を始めた場所と重なっていることから、それを求めて集まった結果だ。


 手紙によれば当初は年に数回程度の食事や衣類の配給しか出来なかったらしい。


 三年前の資料になると数に変動がみられるようになった。


 恐らくこの頃から本格的に浮浪者を減らす活動に移行していったと思われる。


 二年前までくると数は一気に減った。


 空いた部屋を持て余していた者や支援のために人を自宅に住まわせても良いという者と協力して住居を用意し、人手不足を解消したい職業の店などと連携して職を斡旋し、やがて一人立ちしていくといった流れが一年かけて出来上がったか。


 一年前には、五年前の浮浪者数が全体の三分の一まで減少している。


 他にも慈善団体や孤児院が増えるなどの事情があったにせよ、数年でここまで数を減らせたことは驚くべきものだ。


 五年前と言えばクロードが爵位を継いでやっと一年経った頃だ。当時を思い返してみても浮浪者がそれほどいたとは知らなかったし、その数自体を意識したこともなく、伯爵家の当主としての仕事に慣れるので手一杯だった記憶があるだけだった。


 僅かに苦笑を零して最後の資料へ目を通す。


 これは今年のもので、まだ書きかけだ。


 一年前よりも数は減っているが劇的な変化ではない。


 浮浪者の中でも比較的に意欲のある者は早い段階で団体を利用しているはずなので、数の変動が小さくなったのはあまり意欲がない者や理由があり働くのが困難な者などが残ったためだ。


 団体側が努力しても、自ら動く気のない者ではどうしようもない。


 『小鳥の止まり木』の活動拠点があるノース方面の浮浪者が他よりも減っているのは理屈で言えば不思議はないけれど、三つ目鴉に頼まれた以上はきちんと調べなければなるまい。


 セナが『小鳥の止まり木』より資料を借りて戻って来る予定だ。


 机に置かれていたペンを取って先をインクに浸し、デールが置いていった紙を手元へ引き寄せる。


 後は此方も必要そうな情報を写して持ち帰るしかないか。






* * * * *






 ディアドラさんの家をトリスタンさんと共に後にする。


 次に行く予定の場所が、彼が働いている粉挽屋であり、そのことを告げると「いきなりだとベンジャミンさん、多分入れてくれないから俺も行くっすよ」とありがたい申し出をもらえたので一緒に馬車で向かうことになったのだ。


 しかし普段乗ることのない貴族の馬車にトリスタンさんがはしゃいでしまった。




「うわ、めちゃくちゃ椅子が柔らかいっすね! それに揺れもあんまりない! 中も、俺が住んでる部屋よりずっと綺麗っすよ!!」




 それでもベタベタと触らない辺り、自制してくれているのだろう。


 恐らくわたしより年上だが何だか年下を相手にしているような気分だ。




「いつもこんな馬車に乗ってるんすか?」


「いえ、普段は辻馬車を掴まえていますよ」


「じゃあ今日乗れたのは運が良かったんすね!」




 馬車の中でキョロキョロと見回していたトリスタンさんが嬉しそうに笑う。


 そうして「でも辻馬車の方が涼しいっすけど」なんて言うのでわたしもつい釣られて笑ってしまう。


 こういう箱型の馬車は窓を全開にでもしないと風通しが悪く、その点では辻馬車の方が前面が開いており、人力車のそれと似ているので夏場はあちらの方が涼しいだろう。代わりに冬は寒い。


 そんな取り留めもない会話をしているうちに次の目的地である粉挽屋へ到着した。


 大きく、武骨な石造りの建物はどことなく威圧感があった。出入口はあまり日が差し込まないらしく、薄暗く、昼間でも火の灯ったランタンが一つ下がっている。


 だがここで働いているトリスタンさんは慣れた様子で建物の扉についたノッカーを叩く。




「こんちわー!」




 同時に声を張り上げた。


 ややあって内側から僅かに扉が開く。




「うるせえな、って何だ、お前か」


「そっす! 俺です!」




 呆れた声と共にきちんと扉を開けたのはベンジャミンさんだった。


 トリスタンさんを見て、それからわたしを見つけて、眉を寄せて首を傾げる。




「アンタ、この間のか」


「先日は見学をさせていただきありがとうございました。突然訪ねてしまい申し訳ありません。実は先日の件で聞きそびれてしまったことがありまして、もしお時間がよろしければ少々お話を聞かせていただけないかと思い、本日は参りました」




 説明しながら手土産の菓子を渡すとベンジャミンさんの眉間から皺が消えた。


 脇にいたトリスタンさんが「それ美味しいっすよ」と言い、ベンジャミンさんが「食ったのかよ」と返す。




「あー……、中は粉っぽいから外でもいいか?」


「ええ、場所はどこでも構いません」




 ベンジャミンさんは外に出ると扉を閉めた。


 それからベストのポケットから煙草を取り出した。刑事さんと同様に自分で巻いて作っているのかやや歪なそれをランタンの火に寄せ、そして口に銜えると軽く服を払い、出入口の段差に腰掛ける。


 わたしも人一人分を空けて横に座らせてもらう。


 トリスタンさんは建物の壁に寄り掛かっていたが、全員が日陰にいた。


 少し間を置いて吸い込んだ紫煙がゆっくりと吐き出された。




「そんで? 話ってのは何だ?」




 苦味の混じった紫煙がその場に薄く広がる。




「住む場所や就職先を紹介された方の中で、突然出て行ったり仕事を辞めてしまう方もいらっしゃるとリースさんに伺ったのですが、こちらではそういった方がいるのかどうか知りたかったのです。辞めた後はまた『小鳥の止まり木』に就職先を用意してもらったのか、というのも気になりまして」


「そんなモン、ミレアの嬢ちゃんに聞けばいいだろ」


「それはそうなのですが、以前もこういった団体の見学をしたことがあり、その時に援助をして欲しいがために活動内容を多少盛って話されたことがございまして……」


「だから直接俺に聞きに来たのか」


「はい」




 まあ、他の慈善団体を見学したことなどないのだけれど。


 そう言っておけば、直接聞きに来たとしても不思議はないだろう。


 ベンジャミンさんは納得した様子で紫煙をくゆらせている。




「粉挽きってぇのは体力的にも精神的にもつらい仕事だ。粉っぽいし、こんな建物の中に一日中いなきゃならねぇし、臼を挽くのだって重労働だ。生活に必要なモンを作ってるわりに給金は安くて街の奴らからは下に見られちまうしな」




 ふう、と吐き出された紫煙には溜め息も混ざっているような気がした。




「そんなだから辞めてく奴も多い。昨日いた奴が今日は来ない、なんてのもよくあることだ」




 それでは確かに万年人手不足にもなるだろう。


 伯爵から聞いた話の中で、三つ目鴉の傘下に粉挽屋もあると言っていたけれど、もしかしたらベンジャミンさんのところもそうであったりするのかもしれない。


 そうだったとしても、わたしがやることは変わらないが。


 利益を上に納めなければならないのだとしたら人手不足はなかなかに苦しいだろう。




「そういった方々は別の場所を紹介してもらえるのでしょうか?」


「ミレアの嬢ちゃんが紹介してることもある。でも結構な数がどっかに行っちまう。また似たような場所を紹介されたら堪らないとでも思ってんのかもな。実際、人手の足りないところと言やぁ肉体労働ばっかりだろうからよ」


「なるほど。ちなみに、こちらではどの程度の方々が辞めていかれるので?」




 ベンジャミンさんが煙草を口へ持って行く。




「大体、三分の二くらいだ」




 それは予想以上に多い数だった。




「そんなに?」


「ああ、無理だって言って辞めてく奴もいれば、黙ってどこかへ逃げ出す奴もいた。こっちも仕事に穴が開いちゃあ困るから、来ない奴がいると、そいつが厄介になってる家まで確認しに行かなきゃならんのが面倒でな。……そういや、バイロンの爺さんとディアドラの婆さんの家にも行ったのか?」


「ええ、こちらへ来る前に寄らせていただきました」




 思い出した風に出された名前に頷き返す。


 紫煙を吐き出しながらベンジャミンさんが少し声を落とした。




「バイロンの爺さんのとこも、ディアドラの婆さんのとこからも何人か来てたけど、長続きする奴は少なかったぞ。トリスタンは珍しく長続きしてるけどな」


「俺はベンジャミンさんに拾ってもらったんで、その恩を返すまで辞めないっすよ」


「そうかよ。というか、どうせ来たなら仕事していけ。俺の代わりに中の奴ら見てこい」




 ベンジャミンさんが顎で建物を示せば、トリスタンさんは「了解っす!」と元気に返事をして中へ入って行った。その背はどう見ても嫌々やっているようには感じられない。


 確かに労働環境も内容もキツい仕事だけれど、この二人は上手く信頼関係が築けているから、トリスタンさんも仕事を辞めることがないのだろう。


 意気揚々と扉の向こうへ消えて行った背を見送って顔を戻す。


 少々うるさい足音が遠ざかると静けさに包まれた。




「まだ若いってのに、こんなとこに好き好んでいたがるなんてバカな奴だ」




 煙草の先から落ちた灰と煙が風に攫われて流れていく。


 微かに笑うベンジャミンさんの声は柔らかく、でも苦みの混じったものだった。






* * * * *






 粉挽屋を後にして、馬車に揺られながら先ほどのことを思い出す。


 ベンジャミンさんとトリスタンさんの関係は、伯爵とわたしによく似てる。


 今でこそ恋人同士だが、ほんの少し前まではあの二人のように、拾った側と拾われた側であった。ただ恩を返したくて、与えられたものの礼をしたくて、わたしもトリスタンさんも働き続けている。


 伯爵もベンジャミンさんのように思ったことがあるのだろうか。


 そうだとしても、わたしはこの仕事を辞めるつもりはない。


 きっとトリスタンさんも同じなのだと思う。


 ……それにしても子犬みたいな人だったな。


 だからこそ、ベンジャミンさんも無碍に出来ないのかもしれない。


 大柄なベンジャミンさんの側をうろちょろするトリスタンさんが簡単に想像出来てしまい、わたしは小さく吹き出した。あれだけ素直に懐かれたら放っておけないだろう。


 それにしても三分の二も辞めてくなんて、粉挽きはそれだけ重労働ってことか。


 環境の悪さ、重労働な内容、低賃金、仕事に対する評価の低さ。


 確かにこれだけ短所ばかりの仕事だと辞めたくなるのも分からないでもないが、一度受けた仕事をそんなにすぐに放り出すのもどうかと思う。


 だが浮浪者だった人がいきなり働くのは難しい場所であるのも事実だ。


 ふと馬車の座席に置きっ放しになっていたものを見る。紙袋から出した包みはわたしの両手に乗るほどだ。包んでいた布を開くと、中には手作りのサンドウィッチが幾つかあった。


 ディアドラさんのところを出る際に「沢山作り過ぎてしまったから」と渡されたのだ。


 御者には既に同じ包みを渡してある。


 懐中時計で時刻を確認すれば、丁度昼時だ。


 サンドウィッチの一つを手に取って一口食べてみる。


 野菜とチーズ、燻製肉をパンで挟んだらしく、味付けはシンプルに塩だけだがあっさりとした優しい味で食べやすい。もう一つはチーズとトマトと燻製肉で、最後はチーズとハムを挟んでオーブンで軽く焼いたものだった。


 どれも美味しくて、食欲の落ちる暑さの中でもペロリと食べ切れた。


 窓の外で軽く布を払い、洗ってもらってから返そうと思いながら丁寧に畳んで懐へ仕舞う。


 まるで食べ終わるのを見越したかのように馬車が停まった。


 今度は洗濯屋だ。木造のあまり大きくはない建物の出入り口へ入る。




「こんにちは」




 声をかけたが誰も出て来ない。


 耳を澄ませてみると、微かに人の話し声が聞こえてくる。


 それを頼りに一度外へ出て、前回と同じく建物の裏手に回ると、そこではピクニックのように洗濯屋で働く女性達が適当な場所に腰掛けて昼食を取っている最中であった。




「おや、あんた、この間の子じゃないか」




 女性のうちの一人がわたしに気付いて声を上げる。


 すると全員がこちらをへ振り返った。


 それに若干気圧されつつも近付いて行く。




「こんにちは、お食事中に失礼します」




 浅く頭を下げて謝れば女性達は気持ちよく笑って手を振った。




「いいのよ、どうせお喋りしながら食べてるだけだもの」


「そうそう! それで、今日はどうしたんだい? また見学?」




 そのまま手招きをされたので、空いている場所へ座らせてもらった。


 年嵩の女性ばかりだが全員わたしよりも背も高いし恰幅も良い。


 それでも威圧感がないのは誰もが笑顔だからだろう。




「いえ、先日見学させていただいた時に聞きそびれてしまったことがありまして。本日はそれを聞きに参りました。御迷惑でなければ少しお時間をもらえたら嬉しいのですが……」


「そりゃあ構わないさ。ねえ?」


「ああ、お喋りなら大歓迎だよ」


「アタシらみたいなのは喋るか食べるくらいしか楽しみがないからね!」


「違いない!」




 パッと弾ける笑い声が晴れた空によく響く。


 和やかな雰囲気に促されてわたしは今日何度目かの質問を口にする。



 

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