蔦、八葉。
「ここ数年の王都の浮浪者数だ。どの地区に、いつ、どれだけの数がいて、分かるのであれば別の地区へ流れた浮浪者の数なども知りたい。言ってしまえば王都の浮浪者に関する情報全般だな」
「何だってまたそんなモンを?」
「
「アイツらですか……」
デールが露骨に嫌そうな顔をする。
どうしたところで警察とは相容れない組織なのでそれは仕方がない。
この男も世の中に多少の悪が必要なのは分かっているので
どちらも関わる時は大抵クロードを通してである。
今回の件の概要を手短に説明するとデールは諦めた風に息を吐いた。
「分かりました。探して来るんで、ちょいとお待ちいただけますかね?」
「ああ、気にせずゆっくり探すといい」
「お優しいことで。助かりますよ」
嫌味とも受け取りかねない言葉を零してデールが部屋を後にする。
ティーカップに口を付けつつ、クロードは揺れる紅茶へ視線を落とした。
……何か手掛かりになる情報が見つかると良いのだが。
* * * * *
バイロンさんの家を後にして、わたしは馬車の中で揺られていた。
恐らくバイロンさんや他の二人の話に嘘はないのだろう。
人間が嘘を吐く時の特徴は欠片も見受けられなかったし、言い淀むこともなく、三人とも本心で語っていたと思う。勿論、これで完全にシロと決まった訳ではないが偽っていたとしたら相当なものだ。
だがバイロンさんのところのように良い場所であっても離れていく人はいるんだなあ。
まあ、あれこれ話しかけられたり世話を焼かれたりするのが嫌だという人もいる。
次に行く予定のディアドラさんの家も似たような感じなので、やはり別の場所へ行く人もいるのだろうが、個人的にはああいう家の方が良いと思うんだけど。そこは人それぞれか。
止まった馬車から降りて白い可愛らしい家を見た。
一度目の訪問からあまり間が空いていないから忘れられているということはないだろう。
玄関へ行き、扉を四度叩きながらやや声を張り上げた。
「すみません、どなたかいらっしゃいますかっ?」
一拍の間を置いて中から「はい」と返事が合った。
それから少しの後、扉が開き、ディアドラさんが顔を覗かせた。
「あら、貴方はこの間の……」
「はい、セナといいます。この間は見学させていただきありがとうございました。今日は少しお聞きしたいことがあり参ったのですが、お時間はよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ。中へどうぞ」
突然の訪問にも関わらず嫌な顔一つせずに招き入れてもらえた。
バイロンさん達に渡したものと同じ手土産を出すと、嬉しそうに笑って「お茶の準備をしましょう」と箱を大事そうに持ってキッチンへ向かっていった。
前回と同様に通された居間のソファーに座って待つ。
暖炉の前にある揺り椅子の上には前回よりも大きくなったレースが編みかけの状態で置かれている。
そう時間をかけずにディアドラさんがティーセットの載った盆を持ってきたので受け取ると、すぐに今度は持って来た菓子が盛り付けられた皿を手に戻って来た。
今回はわたしが紅茶を淹れて差し出すと朗らかな笑みが返される。
「他の人が淹れてくれる紅茶もいいものねえ」
淹れたばかりの紅茶を二人で一口飲んだ。
「突然の訪問、失礼いたしました」
先に謝罪を述べるとディアドラさんが首を振る。
「いいのよ。普段、お客さんなんて滅多に来ないから嬉しいわ。それで、聞きたいことがあると言っていたけれど、何かしら? 私で答えられることなら良いのだけれど……」
僅かに眉を下げたディアドラさんに少しだけ申し訳ない気持ちになりながらも質問をする。
前以って「前回見学させていただいた方々に伺っていることなのですが」と付け加えておくのも忘れない。
「『小鳥の止まり木』でこちらを紹介してもらった方々の中で、別のところへ移ってしまう方や出ていかれる方はどの程度いらっしゃるのでしょうか? そういった方々がいるとお聞きしたのですが、その後の支援がされているのかと疑問になりまして」
「こういう話をリースさんの前でするのはちょっと……」と言葉を濁せば納得した様子で返される。
「そうね、確かに聞き難いことね。私は長いこと支援させていただいているから受け入れたのは四十人以上いたと思うわ。でも半数近くが出て行ったり別の場所に行ってしまったかしら」
「……意外と多いですね」
失礼だが、バイロンさんのところよりも少ないイメージがあった。
ディアドラさんの家は綺麗だし、食事の提供もあり、洗濯やお菓子作りといった共同作業は社会に馴染むための第一歩となる良い環境で、ここに入りたがる人が多いのは当然だと思っていた。
しかしディアドラさんは残念そうに溜め息を零してティーカップを傾け、紅茶を眺める。
「私が悪いのよ。最初の頃は勝手が分からなくて来た人の生活に色々と口出ししたり、あれこれ構い過ぎたりして、きっと鬱陶しかったんでしょう。気を付けてはいるけれど今でもつい世話を焼き過ぎて迷惑がられてしまって。……いい歳してダメね」
居間に広がった沈黙はどことなく気まずいものだった。
励ましの言葉をかけるのは簡単だが、それが気休めでしかないことはきっと彼女自身が分かっているだろうし、安易に「そんなことはないですよ」と慰めるのも良くない気がする。
何と言えば良いのか悩んでいると居間の窓が外からガタリと開かれた。
「ばーさん、肥料撒き終わったっすけど次は……って、あれ?」
振り向いて窓を見遣れば、そこには見覚えのある顔があった。
彼は確か粉挽屋にいた――……
「トリスタンさん?」
「この前の人?」
わたしとトリスタンさんの声が重なった。向こうもこちらの顔を覚えていたらしい。
やや赤みのあるブラウンの髪が日の光の下でより赤みを増して輝いている。前回会った時は室内で、薄暗かったせいで気付かなかったけれど、薄っすら顔にそばかすがあり、思っていたよりも実年齢は下に見えた。その頬には少し土がついている。
どうして彼がここにいるのかと疑問に思っているとディアドラさんが席を立ち、窓へ寄るとトリスタンさんの頬についた土をハンカチで拭ってやった。
それに気付いたトリスタンさんが照れた風に笑う。
「お知り合いですか?」
わたしの問いにディアドラさんが振り返る。
「ええ、彼は以前、此処に住んでいたのよ。一人立ちした後も時々会いに来てくれてね」
「まあ、ばーさんももう歳だから心配なんすよ」
ニッと笑うトリスタンさんからほのかに甘みのある臭いがした。
何の臭いだろうかと思わず窓の外を見たが、そこには小さな庭が広がっているだけだ。
「そうそう、肥料がまだ臭かったから戻したけど、また今度来たら撒くよ」
ああ、肥料の臭いか。食べ物や要らない野菜くずなどを堆肥にでもしてるのだろう。
それならこういう独特な臭いがしても不思議はない。
ディアドラさんが頬に手を当てて眉を下げた。
「あら、ごめんなさいね。せっかく来てもらったのに」
「いいよ、別に。代わりにバラの棘取っといた」
「ありがとう、ずっと座ってると腰が
ディアドラさんとトリスタンさんの仲は良好らしく、親しげに話している。
自分が悪いと言うけれど、単に合う合わないの問題だっただけで、トリスタンさんのような人にはディアドラさんくらい世話焼きな人の方が丁度良いこともある。
「お菓子? いいね!」とトリスタンさんが慌ただしく窓を閉めて離れていった。
それを仕方がないとばかりに苦笑してディアドラさんが元の席へ戻る。
「落ち着きのない人でごめんなさいね」
「いえ、元気なのは良いことですよ」
くすくすと笑い合っていると手を洗ったトリスタンさんが家の中へ入って来る。
当たり前のようにディアドラさんの横に座り、彼女に淹れてもらった紅茶に口を付け、菓子に手を伸ばす。
その前髪が微かに湿っているのはついでに顔も洗ってきたのだろう。
「そういえば、何でここにいんの?」
二つ三つと菓子を食べてから思い出したようにトリスタンさんは首を傾げた。
元気だけどマイペースな人だ。
「前回の見学中に聞けなかったお話をしたくて参りました」
口の中のものを飲み込んでトリスタンさんがやや身を乗り出して来る。
「ふーん? どんな話っすか?」
「住む場所や職を紹介してもらった方々の中で家を勝手に出て行ってしまったり、仕事を辞めてしまったりしか方がどのくらいいるのか。そういった方への支援はどうなっているのか、という内容なのですが」
「あー、なんだ、アイツらのこと? 俺はああいうの嫌いっすね」
途端に嫌そうに眉を
「何かあったのですか?」
「うーん、別に何もないけど。雨も風も入って来ないあったかい寝る場所とか飯とか、働く場所もあるのに真面目に働こうとしないで文句ばっか言う奴もいるんすよ。……俺なんてベンジャミンさんに拾ってもらえなかったらきっと今も物乞いかスリのままだっただろーから、めちゃくちゃ感謝して働いてるのに」
「『小鳥の止まり木』に紹介してもらったのではなく?」
「うん、食べるものもなくてもうダメだーって座り込んでたらベンジャミンさんが拾ってくれたんだ。それで、ばーさんがここに住まわせてくれて。だからベンジャミンさんのとこで働くのは恩返しなんだ」
「頑張ればいい暮らしが出来るのに頑張らない奴は嫌い」とトリスタンさんは言う。
それにディアドラさんが「貴方はいつも頑張って偉いものねえ」と穏やかに微笑む。
「出て行った人の中には戻って来た人も少なからずいたけれど、大体は『小鳥の止まり木』で別の場所を紹介してもらったり……残念だけど、元の生活に戻ったりされたのではないかしら。出て行った人のことをとやかく言うのは良くないと思ってあまり深くは聞かなかったのよ」
「そうですか。では出て行った後のことは分からないのですね?」
「ええ、ごめんなさいね……」
申し訳なさそうな顔をするディアドラさんに「いえ、参考になりました」と頷き返す。
住む場所が問題で出て行ったのであれば家主であるバイロンさんやディアドラさんから話が聞けると思ったのだが、どうもそれは期待出来そうもない。
トリスタンさんの言うように、今まで乞食や小さな物盗りなどで食い繋いできた人達が住む場所と働き先を用意されたからといって、誰もが真面目にやっていけるとは限らない。新しい環境は色々と制約があったり覚えることが増えたりして大変な分、元の生活の方が貧しくても楽だったと感じることもあるだろう。
そうした理由で出て行った人は戻らない可能性が高い。
そしてどこかで顔を合わせるのが気まずくて別の地区へ行ったかもしれない。
もし、そうであったなら他地区の浮浪者の数が増えないのはおかしいが。
現状ではこれだと思えるような手掛かりはない。
今回の件はちょっと時間がかかりそうだ。
伯爵の方で何か良い情報を見つけてくれているといいんだけどなあ。
* * * * *
応接室で待つこと約一時間弱。
扉が叩かれ、入って来たデールの両手には資料が山のように積まれていた。
その後ろには数人の警官がおり、彼らの手元も同様の状態である。
ドンとそれらの書類を机の上に置いてデールが凝った肩を軽く回す。
「いやあ、お待たせしてすみません。思ったより多くて手間取っちまいました」
「そのようだな」
書類を机の上へ置くと他の者達は一礼して部屋を出て行った。
適当に一番上にある書類を手に取り、クロードはそれを流し読みする。
「いかがですかい?」
「これで問題なさそうだ」
「持ち出しは出来ませんので、読むなら此処でお願いします。帰る時にもう一度声をかけてもらえれば、こっちで片付けておくんで。あ、書き写すならこの紙を使ってくださいよ」
「ああ、分かった」
頷いたクロードに、一仕事終わったとばかりに欠伸を零してデールは出て行った。
足音が遠のいたのを確認して、改めて書類へ目を通す。
まず一番上にあったのは各地区の浮浪者数を纏めた今年分のものだった。
ザッと確認しただけでも過去五年分は引っ張り出してきたようだ。
「アルフ、お前はこの書類に目を通せ。全体の数と各地区の数、増減した数と時期を纏めておいてくれ」
「畏まりました」
指示を受けたアルフがクロードより一つ空けた席に座り、渡された資料を片手に作業に取りかかる。
クロードの方は各地区にいる浮浪者の特徴が書かれた書類を読んだ。
浮浪者と言っても日雇いで安ホテルなどに泊まれる程度には暮らしぶりがまともな者もいれば、日々の食事にすら困るような者もおり、それは地区によって差が生じることが多い。
貴族の邸宅がある王都の中心部付近にはあまり浮浪者はいない。
だが、そこから一歩離れると浮浪者がグッと増える。貴族の屋敷では主人の食事で余ったものを使用人が口にし、それでも余ると浮浪者への施しとして下げ渡されるため、彼らはそれを目当てに近隣の地区にいるのだ。
だから中心部の周りは比較的密集している。
その後は数が一旦減り、そして王都の外側へ行くほど少しずつ増えていく。
これは王都の中心部には王侯貴族や裕福な者が住み、外側へ向かって段々と貧しくなっていくので、そのような広がり方になるのだろう。
闇市や貧民街のある場所は全体がほぼ浮浪者に近いため数が跳ね上がっていた。
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