# The tenth case:Hell's vengeance boils in my heart.―復讐の炎は地獄のように我が心に燃え―
揺らめき、一つ。
寒さが和らぎつつある五月。
日によってはまだ冬のように寒かったり、かと思えば初夏のような暑さを感じたり、季節の移り目にはありがちな気温の変動に衣類の選択を悩みながらもわたしは今まで通り使用人生活を送っている。
『
日持ちのするものは届いた当日中に使用人全員に配ったのだが、それでも余りあるほどの量で、わたしに宛がわれている二人部屋の今現在使用されていない家具の上にはそれが山積み状態だ。使用人のサロンにも置いたが消費し切るには
植物紙の方はそれなりのもので良かったのだけれど届いたものは高級品だった。
それも一気に全てを届けるのではなく、毎月一定量を一年間送ってくれるらしい。
今まで使っていた植物紙よりも表面が滑らかで薄く、羽ペンと手製の鉛筆モドキでそれぞれ試し書きしてみたところ、ビックリするほど書きやすくて「やはり値が張るものは違うな」と感心した。
お蔭でやや分厚かった手帳も今は厚みが三分の二ほどになり持ち運びしやすくなった。
使用人の午後のティータイムを
『食人鬼肉屋、マイルズ=オアの処刑日公開』
同時に頭の中で記憶が呼び起こされる。あの事件から既に半年が経とうとしていた。
日々の忙しさで最近は随分と時間の経過が早いような気がする。
……公開処刑、か。
ジンデル元伯爵、本名ハワート・リアム=ティンバーレイクは既に処刑された。
本来であれば薬物の製造や所持などは罰金刑と重くとも禁固数ヵ月というのが法で定められているが、彼は数年もの間、違法薬物と平民貴族問わず売り捌いたために依存者があまりにも多く、それを重く見た女王陛下は温情をかけなかった。
薬物に依存させただけでなく、依存者やその親族を脅したことも脅迫罪に当てはまる。
他にも色々と悪事に手を染めていたそうで、親兄弟と妻子と共に法に則った罰を与えられた後に宣言通り一週間ほど磔にされたという。その間に薬物に依存させられた者や亡くなった者の親族らがやって来て彼と彼の親兄弟や妻子に心行くまで石を投げつけた。これは昔からある刑罰の一つで被害者や人々の感情を晴らすために行われるものだ。
そうしてボロボロになった彼の目の前で一人ずつ親兄弟と妻子が処刑されていく。
斬首は処刑人の手で刃物による切り落とし方法が選ばれた。
ギロチンと非常によく似た処刑道具も存在するものの、処刑人の手による斬首の方が屈辱的で恐ろしい方法であるが故にこちらとなったようだ。完全固定型の処刑道具と違うので一度で死ねるかは処刑人の腕次第。腕が悪かったり腕力のない処刑人に当たると首の骨を断ち切ることが出来ずに死ねず、耐え難い苦痛の中で、更に二度三度と刃物を味わうこととなる。娯楽としてはこちらの方が人気があるそうだ。
処刑は広場で行われたが、わたしは仕事もあって見物には行かなかった。
「お前もそのうち見に行った方がいいぞ。旦那様や俺達が捕まえた罪人がどうなるのか見届けるのも必要なことだと思うし、嫌かもしれないけど、お前はもっと人の生き死にに慣れないと今後も
旦那様と共に見に行ったアンディさんが詳細に処刑について語った後にそう締め括った。
死体を見ることと、人の死の瞬間を見ることは違う。
わたしの望む望まないに関わらず、これから先も人の生き死にを目にするだろう。逮捕した犯人が処刑されるとなれば思うところは少なからずある。未だにヘレン=シューリスの夢も見る。
この世界で生きていくならば、そろそろ覚悟を決めなければならない。
ヘレン=シューリスの時に決意はした。
苦しくとも、辛くとも、生きるために、守るためには時にそれも厭わない。
……マイルズ=オアの処刑を見に行こう。
処刑日は奇しくもわたしの休日と同じ日付だった。
* * * * *
ティータイムの後、わたしは警察署を訪れた。
まだ日の高い時間とは言えども風が吹くと肌寒く、羽織っていたケープの前を合わせながら正面玄関の階段を上がり、扉を開けて中へ入る。
受付で刑事さんに用事があると告げれば少しの間待たされ、本人が姿を現した。
何時もと変わらずヨレヨレの服装に自分で巻いているらしいやや歪な形のタバコを咥え、ガリガリと頭を掻きながら近付いてくる。この間のピシッとした恰好は本当に珍しいことだったのだ。
「悪いな、坊主。助かったぜ」
「いえ、お気になさらず。こちらが頼まれた書類です。御確認をお願い致します」
持ってきた封筒を刑事さんに手渡した。
受け取ったそれの封を切り、中身の書類を出して素早く確認する。
どのような内容かは分からないが眉を顰めつつ中へ戻し、頷いた。
「ああ、頼んだモンで間違いねえ」
「……あの、もしよろしければどういった書類かお聞きしても?」
声を落として問う。渡される際に伯爵から「然程重要な書類ではない」と前置きをされたが、そう言われると余計に気になる。重要ではないのにわたしに直接持っていかせるなんてどんな内容のものなのか。
刑事さんはちょっと考える仕草を見せてから、封筒片手について来いと言わんばかりに手招いて廊下を歩き出す。
その後を追って一般人の立ち入らない場所まで来ると口を開いた。
「今担当してる事件でちょいとお貴族様御用達の奴隷商に用があったんだが、ああいう所は貴族には丁寧な対応をしても、俺らみたいな平民は門前払いでな。旦那に調書を依頼したんだ」
「奴隷商ですか……」
「……すまん。坊主には嫌な話だったか?」
「あ、いえ、大丈夫です。今はもう関係ありませんので」
そういえばわたしはどこかの奴隷商に無理矢理、非合法に連れて来られた他国の貴族の子という設定だった。今は使用人として働いているのでついつい忘れそうになる。
この国には合法的な奴隷制度がある。
重罪人や借金で首が回らなくなった者、他国から流れてきたが行く当ても仕事もなく自ら進んでなる者、元傭兵で腕に自信はあるが雇用主を探している者など様々らしい。
ちなみに傭兵でそれなりに腕っ節があれば貴族や金持ちな商家の専属護衛として、体力があれば労働力として、重罪人であればキツい重労働や人々が厭う仕事をさせるといった感じだそうだ。他国から来た者は奴隷になることがこの国での滞在や居住を認められる最も簡単な方法なのだとか。
奴隷は基本的に使用人に近く、あまりに劣悪な環境で働かせることは禁じられている。
ただし重罪人だけはその限りではない。
そして非合法な奴隷もまた扱いは酷いものらしい。
だから刑事さんは気を遣ってくれたのだろう。
わたしの顔色を窺った刑事さんが少しだけホッとした表情を見せる。
「まあ、そういう訳だ。あの奴隷商もまさか
だはは、と笑う声は気分が良さそうだった。
「しかし奴隷商から調書を取るとはどのような事件なのですか?」
奴隷が主人を殺したとか、その逆とか?
そうだとしても奴隷商に調書を取る必要はないだろうし。
刑事さんがガリガリと頭を掻きながら何とも言えない顔をする。
「……ああ、なんだ、正直胸糞悪い話なんだけどな……」
「大体の事件は胸糞悪いものでしょう? 誰かに話すだけでも気が楽になりますよ」
「……そうだな、坊主なら問題ねえか」
胸の底に澱んでいたものを吐き出すように重い溜め息が吐かれる。
廊下にある椅子を勧められて腰掛ければ、隣に刑事さんも座った。大柄な体躯のせいか座った拍子に椅子がギシリと軋んだ音がやけに大きく聞こえた。
座った状態で両足に肘をつけ、前のめりな恰好で刑事さんが正面の壁へ視線を向ける。
もう一度小さく息を吐くと書類に関係する事件について語り出した。
* * * * *
ベイジル=ガネルは十五歳の少年だった。
商家の生まれで、貴族の子息が通うスクールにも行けるほど裕福な家庭である。
財力だけで見れば下手な下位貴族よりも良い暮らしをしていた。
商人の才が確かな父親と、美しく社交的な母親と、兄である自分を慕ってくれる三つ年下の弟がおり、父親の商売について行ったり手伝いをしたりと忙しい日々を過ごしていたが、それが苦にならないくらい彼は幸せだった。
だがそれは母が病に倒れて終わりを告げる。
治療する間もなく母親が急死したのは彼が十歳の時。
父親は愛する妻を失い、その悲しみから商売に殊更力を入れるようになったが、それでも二人の息子を愛情を持って育てた。彼もまた父親の手伝いや弟の世話をよりいっそう行った。
そして彼は十二歳になり、スクールに通う年齢になると父親に言った。
「父さんもまだ若いんだから、自分の幸せも考えてね」
母親が亡くなって以降、周囲から父親に後妻を娶らないかと度々打診されていたのを彼は知っていて、それを父親が頑なに断っていたことも知っていた。
二年間、父親は亡き妻のために独り身を貫き、商売を大きくしていった。
その努力と愛情を彼も弟もきちんと分かっていたのだ。
けれども父親はまだ若く、再婚をしたって問題のない年齢だった。
彼の母親は亡くなった母親だけだが、生きている父親にも幸せになってもらいたい。
何より父親が商売の関係で知り合った女性に少なからず惹かれていることは気付いていたし、その女性とは彼も何度か顔を合わせており、この人が継母となるならそう悪くはないとも思った。
そのことを彼は素直に父親に話し、そして一年後、父親と女性は結婚した。
継母は優しく、母親ほどではないが美しく、彼や弟を我が子のように可愛がってくれる。
父親には笑顔が増え、弟も声を上げて笑う回数が増え、かつての幸せな日々が戻ってきた。
彼も安心してスクールへ通うことが出来た。
しかし再婚して半年ほど経ったある日、父親が突然暴れだした馬に蹴られて亡くなるという悲劇が起きてしまう。当時、その原因は不明で、馬の足元を鼠か何かが突然横切って驚かせたのだろうと処理された。
報せを受けて急いで家へ戻った彼は弟と共に父親の遺体に縋って泣いた。
継母も共に泣き、何とか三人で父親の葬儀を終えた。
継母は商売のことは分からず、彼もまた父親の商売を引き継ぐには若過ぎて、結局商会は父親の補佐をしていた男が継母と結婚することで跡を継いだ。
弟は父親まで失ったショックで家に引きこもり、通い始めたスクールにも行かず、彼は何度も説得したが耳を傾けずにとうとう自室から出て来なくなってしまう。
血の繋がらない義理の両親と弟と彼はバラバラになり、顔を合わせる機会も減った。
そして彼は弟と話をしようと帰宅した時に義理の両親の会話を聞いてしまった。
「こんなに上手く行くとはなあ」
義理の両親の部屋の前を通りかかった彼はその上機嫌な声に足を止めた。
酔っぱらっているのか扉越しにもよく聞こえてくる声に、やはり楽し気な声が返す。
「あら、私に任せれば大丈夫って言ったじゃない。信じていなかったの?」
「信じてたさ。だからこうして商会を乗っ取ることが出来たんだろう?」
「それもそうね」
その会話を聞いて彼は目の前が真っ赤になった。
一体どういうことかと頭の中で繰り返し考え、急いで弟の元へ向かったが、何時もと変わらず弟は扉越しに返事もしなかったため、彼はその日はすぐにスクールへと戻った。
そして義理の両親の周囲を探ってみるとあっさり事の真相は分かった。
継母は元々この家の財産目当てだったこと、父親に近付いたのも彼と弟に優しく接していたのもそのためで、父親と結婚した時には既に裏でこっそり補佐の男と関係を持っており、父親が亡くなった後はこれ幸いと理由をつけて結婚したのだ。
そうなると父親の死も怪しくなる。彼はそれについても調べた。
父親を蹴り殺した馬の世話をしていた者を突き止め、金を握らせて当時の話を聞き出した。
すると当日、馬に湿った悪い草を食べさせて具合を悪くさせた上で、父親に「どうにも馬が後ろ脚を気にしているのだがおかしな点が見当たらなくて困っている。不機嫌で動こうとしない。このままでは馬車を出せない」と相談を持ち掛けたという。
その者の言い分では大怪我はしても死ぬとは思わなかったらしい。
唆したのは継母だった。やらなければ父親にこの男に襲われかけたと言って仕事をクビにすると脅されてやったと正直に話した。その後、多額の金も受け取ったことも。
彼は義理の両親が家を空けている間に帰宅し、事情を説明するために弟の部屋へ向かった。
鍵がかかっていたが無理やり中へ押し入った。
そして、そこには誰もいなかった。
随分埃の溜まった、換気もされていない部屋だった。
家中どこを探しても弟らしき人影はなく、彼が使用人に聞くと、使用人は「もうここにはいない」のだと床に頭を擦りつけて泣いて彼に謝った。
彼には引きこもって返事すらしないほど塞ぎ込んでいると告げ、薬で深く眠らせた弟を真夜中に運び出し、なんと義理の両親は奴隷商に弟を売り払っていたのだ。
慌ててその奴隷商の元へ行ったが既に弟は買われており、買った相手のことは教えてもらえない。
しかも義理の両親は眠る弟に襤褸を纏わせ「盗みに入ってきた孤児で高価な品をダメにされたから、その補填分だけでも欲しい。警察に引き渡しても金が戻る訳ではないので買い取ってくれ」と犯罪者に仕立て上げていた。
その話を奴隷商から聞いた彼は己の愚かさに嘆き、義理の両親に絶望し、決意した。
……あいつらを殺そう、と。
彼は自分が使える大振りのナイフと睡眠薬、ワインを購入すると何食わぬ顔でスクールから帰って来て、義理の両親に「安いもので恥ずかしいけれど感謝を込めて買ったんだ」と睡眠薬を混入させたワインを渡した。
義理の両親が寝室でワインを飲み、薬が効いて深く眠ったのを確認して彼は寝室へ入る。
眠る二人の手足を縛り、猿轡を噛ませ、逃げたり人を呼んだりしないようにした。
そうして彼は義理の両親にナイフを振り翳した。
* * * * *
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