言、十三。

 



 しかしジンデル卿は酷く困ったような顔をした。




「そんな、何かの間違いですよ。私はユミエラ様達に香を買うよう迫られておりまして、断っても聞いてくださらず『使えば分かる』と急に香を焚かれたので慌てて部屋を出ようとしていたところなのですよ」




 よくもまあ、抜け抜けとそんなことが言えるものだ。


 ユミエラ様はまだ事態が呑み込めていないのかオロオロと混乱してる。


 何も知らない人間が見たら自身の悪事がバレて焦っている人にも見えただろう。


 そしてジンデル卿は確かに侮れない。どう考えても自分の立場が危うい状況で全く動じていない。先程わたしが発砲したことには驚いていたが、そこから伯爵が突入して来たというのにもう立て直している。


 状況証拠を見ればジンデル卿の言葉の真偽を判断するのは難しい。


 見方によってはわたし達がジンデル卿にお香を売り付けようとしてる風にも見えるし、そのために依存性のある香をわざと焚いたとも見え、口元にハンカチを押し当て席を立っているジンデル卿の言葉が真実に聞こえる。


 だが、この程度の言に騙されるほど伯爵も馬鹿ではない。




「そうか、では屋敷内を捜索させてもらっても問題はないな? 当然使用人の事情聴取も」


「問題はあります。何の証拠もなしに貴族の家を家探しなど許可出来ません」




 堂々と否定するジンデル卿に伯爵は「だ、そうだが」と振り返る。


 背後にいた茶髪のうちの一人が口を開いた。




「何、屋敷全体を荒らす必要はない。顧客名簿は卿の書斎の入り口から三番目の本棚の裏だ。そして『幸福フェリチタ』は地下のワインセラーの奥が隠し扉になっていて、そこにある。製造所は卿の領地の孤児院だそうだ」




 顔にかかっていた髪を掻き上げたその人物がニコリと微笑んだ。




「やあ、ジンデル卿。今日は月の綺麗な良い夜だね」




 そこにいたのはリーニアス殿下だった。


 もう一人の茶髪は言うまでもなくチャリスさんである。


 これには流石のジンデル卿も目を見開いて驚いた。




「殿下?! 何故此処に……?!」


「知り合いに頼んで招待状を借りたのさ。それよりも、先程挙げた場所は合っているかい? 私は悪戯好きでね。人が誰にも知られたくないと思っていることを探り当てるのが趣味なんだ」




 その背後で伯爵がぼそりと「相変わらず悪趣味な……」と呟いた。


 思わず吹き出しそうになったのを何とか堪えたが、この大事な場面でそういうコントは要らない。


 ジンデル卿はそれでも胸を張って「合っておりません。私はその、フェリ何とかというものを売ってなどおりません」と言い切った。




「それよりも殿下、此方の女性を何とかしてくださいませんか? 私に怪しい香を売り付けようとし、購入を断るとこのように銃を突き付けて来たのです! 屋敷を捜索をするとおっしゃられるのであれば、まずは私が香を売った側であることを証明していただきたい!」




 おお、今度はわたしに擦り付ける気か。


 恐らくわたし達が協力していると分かった上で言っているのだろう。


 ココにある状況だけならばわたしが逮捕されてもおかしくない。


 構えていた銃口を下げ、リーニアス殿下に視線を移す。




「リーニアス殿下、失礼ながらジンデル卿のジレの胸ポケットを調べていただけますでしょうか?」




 伯爵やわたしがこれを行ってはいけない。




「ああ、いいとも。卿、ちょっと失礼するよ」





 ジンデル卿に歩み寄った殿下がジレの胸ポケットに遠慮なく手を突っ込んだ。


 そうしてそこから二枚の金貨を取り出した。


 全員の視線がそれに注目したところでわたしは言う。




「その金貨は目印に一部削ったものでございます。よく御覧になっていただければ分かりますが」


「何?!」


「……確かに、これは分かり難いけれど削ってあるねえ」




 燭台の明かりの下に曝された金貨はパッと見は本物に見える。


 この金貨だけでなく、今日わたしが持っている硬貨は銅貨を除いて全て偽物だ。二週間前にリーニアス殿下が伯爵家を訪れた際にお願いしていたものがだった。銀貨にはこの国の国花である白百合が、金貨には女王陛下が描かれているのだが、その一部を削り落としてもらったのだ。


 明るい場所でよくよく見れば違和感くらいは覚えたかもしれない。


 しかしこの時代に明るい電灯はなく、蝋燭やランタンの明かりの下では多少削られた硬貨を見ても気付かないだろうと踏んで、この子供の悪戯みたいな硬貨を数枚鋳造してもらったのだ。


 ちなみに出来上がったものが送られて来た時に同封された手紙に「これは使用出来ないので終わったら返却するように」と綴られていて少し申し訳ない気持ちになったのはココだけの秘密だ。


 本来、硬貨の偽造は法に触れるのだけれど、これは削っただけだ。


 この国には硬貨の偽造や再鋳造、使用を禁ずる法はあるけれど、傷付けてはならないという法はない。


 今回はそこを利用させてもらった。


 ただし殿下の反応からすると新たな法として出てきそうなので今回限りになるだろう。




「それはわたくしがとある方にお願いして特別に削っていただいたものですの」




 だからジンデル卿が持っているのは不自然だ。




「つまり、それを持っているということはセラフィーナから何らかの支払いを受けたということだ。そして彼女が購入したのはそこに置かれている香だ。そうなると貴殿の主張はおかしいな? 香を売り付けようとした彼女達は貴殿に金だけを渡したことになる」


「それは奇妙な話だ。売り付ける側が商品を渡さず、逆に金を支払うなんてね」


「ならばこう考えるのが自然だろう。セラフィーナ達は購入者であり、香を売ったのはジンデル卿。金を受け取り、依存性の高い香を焚くことで更に購入させようと目論んでいた」


「なるほど! 卿がハンカチ片手に席を立っていたのは自分まで煙を吸って依存したくなかったから、ということかな? そもそも怪しい香の正体を知っていて、自分も吸うことになる状況でこの香を焚き続けるなんてこともないだろうからね」




 伯爵と殿下は言葉を紡いでいくにつれてジンデル卿の顔色が悪くなっていく。


 そう、全てはとっくにの昔に知られているんだよ。


 伯爵が手を叩くとアンディさんが指笛を鋭く三度吹いた。


 また廊下が騒がしくなり、複数の警官と珍しく服のよれていない刑事さんが姿を現す。




「卿が香を販売していた証拠が出た」




 伯爵の言葉に刑事さんが頷き返す。




「捜索開始!」




 刑事さんの号令に合わせて警官達が慌ただしく動き出した。


 部屋にも入って来て、証拠のお香を回収し、ジンデル卿の両脇に立って腕を掴むと連行していく。


 卿が暴れながら「手を離せ無礼者! これはアルマン卿が仕組んだ罠であり、私ははめられたのだ!!」と騒いだが警官達は動揺もせず淡々と連れて行った。


 ユミエラ様は未だ状況に追い付けていないのか、理解したくないのか呆然とソファーに座り込んだままで、ジンデル卿が連れて行かれるのと交代してウィットフォード侯爵が部屋に入って来る。


 そして殿下と伯爵に頭を下げるとユミエラ様を外へ連れ出して行った。




「セラフィーナ、無事か?」




 ウィットフォード夫妻が出て行くと伯爵が歩み寄って来る。


 手に触れられ、握っていた銃から指を外される。


 忙しなく視線が全身に向けられたのでわたしは苦笑が漏れた。




「そんなに心配なさらなくとも、どこも怪我はありませんよ」


「そうか。だが様子が――……もしや香を吸ってしまったのか?」


「ええ、少し。そのせいで多少気は昂っておりますが問題はございません」


「いや、そうとは限らないだろう。兎に角座れ」




 肩を軽く押さえられてソファーに座る。


 すると伯爵がわたしの手首に指を当てたり、顔に触れて瞳を覗いたりと医者顔負けの動きをするものだから、わたしはただされるがままになっていた。


 学院で医学も学んだと以前に言っていたので不思議はないが、心配し過ぎじゃあないか?


 それに顔が近い。思わず視線を逸らすと伯爵がわたしの手を握る。




「本当に大丈夫なのか? 吐き気や気分の悪さは――……」




 そこまで伯爵が言うと「ぶふっ」と盛大に吹き出す音がした。


 見ればリーニアス殿下が腹を抱え、体を折って笑いの渦に落ちてしまっていた。


 その後ろで刑事さんまで笑いを堪えているのが見え、チャリスさんが溜め息を吐く。




「殿下、お笑いになることはないのでは?」




 チャリスさんの指摘に殿下が振り返る。




「何故? 見ただろう、あの過保護っぷり! 冷徹とまでいわれた我が従兄弟が、一人の女性にああも気を許し、心配している! しかも当の女性は過保護に困惑!! これが笑わずにいられようか? そんなものは無理だ!!」




 わははは、と美しい顔に似合わない豪快な笑い声を上げてこちらを指差される。


 部屋の前を通り抜けようとしていた警官が数人「何だ?」という顔でこちらを覗いたけれど、刑事さんが何でもないと手を振ればすぐに仕事へ戻って行く。


 あ、伯爵が物凄く嫌そうな顔してる。何時もより眉間の皺が三割増しだ。


 無言で立ち上がった伯爵が笑っている殿下の方へ向かう。


 それに気付いた殿下は笑いを滲ませながらチャリスさんの後ろへ回り、盾にされたチャリスさんが非常に困ったような、そして少し迷惑そうな顔で殿下を見て、伯爵へ頭を下げる。




「申し訳ありません、アルマン卿」


「貴方が謝罪する必要はない。悪いのはそこにいるリーニアスだ」


「すまない、悪かった。謝るよ。お前は見た目に反して実は情の厚い男だということは知っているさ。ただ、今みたいに分かりやすく心配するのが珍しくて、つい」


「いい加減笑うのをやめろ」




 微塵も反省していなさそうな態度で謝罪する殿下に伯爵が不愉快そうに顔を顰める。


 それでも怒鳴らないのは二人の親しさ故か。


 伯爵は小さく息を吐くと仕切り直しだと言わんばかりに軽く首を振った。




「もういい。……それより先ほど言っていた書斎の本棚の裏とワインセラーは事実か?」




 その問いかけに殿下は笑う。




「ああ、勿論。調査が長引く中で呑気のんきに手をこまねいていた訳じゃあない。信頼の置けるぶかを色んな場所に送り込んでね、ジンデル卿が怪しいと思った時点で手の者に周囲を探らせていたんだ。まあ、書斎もワインセラーも入ったばかりの使用人が立ち入れる場所じゃないから隠し部屋の報告が来たのは数日前の話さ」




「書斎は此方だよ」と我が物顔で歩き出す殿下に少し背筋がゾッとした。


 他人の家の間取りを把握してるなんて普通はない。


 恐らく部下の報告の中で知ったのだろう。


 わたしもついて行きたかったが伯爵に手で制されたので仕方なく部屋で待つ。


 警官達に指示を出したり報告を聞いたりしている刑事さんがふとわたしを見て近寄って来た。


 ソファーに座っていることもあって大柄な刑事さんに歩み寄られるとちょっと威圧感が凄いのだが、相手にそういうつもりがないことも知っているため、黙って視線を向けた。


 片膝をついてくれたため、首が痛くなるほど見上げる必要がなくなる。




「坊主も大変だな」




 声量を抑えて言われた言葉に、ああ気付いてるのかと肩の力を抜く。




「坊主ではございません。わたくしはセラフィーナですわ」


「そりゃあ失礼、お嬢さん」




 わはは、と相変わらず豪快に刑事さんは笑う。


 そこには欠片も動揺がない。




「何時から気付かれておりましたの?」


「あー、最初っからだな。男にしては華奢過ぎるし、体格もそうだが、旦那がお前さんには過保護だったからピンと来た。他の侍従とは扱いが明らかに違う。まあ、一番は必要以上に触れ合わないように旦那が気を遣ってる感じだったのがなあ」


「つまりはクロード様のせいですわね?」


「ありゃあ無意識だ。お貴族様ってえのは特にの振る舞い方ってのをガキの頃から教え込まれてて、お前さんを完全に男扱いするのは難しいだろうよ。……だから怒ってやるなよ?」




 そういうものか、と考えて頷いた。


 所詮二ヵ月付け焼刃のお嬢様なわたしでは無意識に淑女らしく振舞うことは出来ない。


 けれど生まれた時からずっとそのように教育されていれば、無意識でも行動に出てしまうこともあるだろう。気付かれた相手が刑事さんなので怒るつもりもなかった。


 立ち上がった刑事さんはまるで挨拶は済んだとでもいう顔でわたしから離れると、また警官へ指示を出し、途中で呼ばれて部屋を出て行った。


 扉が閉められると部屋にはわたし一人だけになる。


 これでわたしの今回の役目は終わった。


 小さく息を吐いたが、微かに香の匂いを感じて眉を顰めてしまう。


 開け放たれた窓に歩み寄り、月明りに照らされた庭をぼんやりと眺める。


 香のせいかまだ神経が少し昂っていて落ち着かない。本当ならば殿下と伯爵について行って書斎だのワインセラーだのを見たかったのだけれど、この状態では気分がハイになり過ぎて暴走してしまいそうな予感がしたのだ。


 季節は春に入り始めたと言ってもまだ空気は肌寒く、それが高揚した体を撫でて心地好い。


 空気を吸い込み、そして吐き出し、もう一度吸い込んでと深呼吸を繰り返すと鼻の奥に残っていた香の甘ったるさが消え、常よりも早く脈打つ鼓動がゆっくりと本来の早さに戻って行くような気がする。


 ……まさかその場で焚き出すとは思わなかったなあ。


 わたしはカーラさんがやって来るまでの短い時間を窓辺に寄って過ごすことにした。


 



 

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