言、八つ。

* * * * *

 





 リーニアス殿下の襲来から二週間後。


 姿見の前でドレスを身に纏った少女を見ながら思う。


 恐らく生まれて十八年のわたしの人生の中で最も綺麗なのは今だ。


 わたしの場合、日焼けや体型、髪の傷みなんてあまり気にしていられなかったので、淑女教育が始まってからは毎晩メイド達にあれこれ言われながら日焼けによる炎症を鎮静して美白効果のある薬草風呂に入浴して、痛いくらいのマッサージをされ、傷んだ髪にも香油を塗り込まれた。


 お蔭で焼けていた肌は大分色が薄くなり、髪の傷みもなくなり、体が細くなった。


 近侍の服を着たら特に腰回りが細くなっていて仕方なくステイズと自分の腰の間に布を巻いて太さを調整するハメになった。女性用ステイズとマッサージの威力は恐るべし。


 そして今日は午前中の半分ほどで近侍の仕事をこなし、途中からはセラフィーナになるためにドレスだの化粧だのをするために客室に来ていた。


 客室にはベティさんとメイドが四人もいて、準備万端で待ち受けていたのだ。


 あれよあれよという間に近侍の服を脱がされて体を軽く拭かれ、美容効果のある香りの薄い香油を全身に擦り込まれ、ドロワーズを穿かされると柱を掴まされてステイズでがっつり腰を締め上げられる。


 それからショースを履いて紐で留め、ペティコートを穿く。


 一枚目は無地の白いもの、二枚目は前面はストンとしているが後面は大きくギャザーが入れられてふんわりとボリュームがあるもの、三枚目は淡い水色のもので白い糸の刺繍とレースが縫い付けられている。それらを一つずつ穿いては腰の紐を絞ってウエストを調整する。


 次はローブだ。三枚目のペティコートと同じ淡い水色で襟と袖に差し色に金糸でラインが入れられたそれを羽織る。バランスを整えたら肘までの袖にレースの付け袖を追加する。これで五分丈袖が七分丈になった。


 それからストマッカーだ。胸から腰までの長さのそれとローブに紐を通して付ける。ストマッカーは中央に金糸で縦線が入り、そこに等間隔で白いリボンがあしらわれていた。


 着替えが済んだら次は化粧と髪形だ。


 鏡台の前に座り、メイドが用意しておいた化粧道具で顔を作る。


 化粧水だか美容液だかは塗ったものの、白粉は断固拒否した。この世界でもこの時代の白粉は鉛を使っているので極力触れたくないし、わたしの黄色みのある肌を消さないためにも使用しない。


 代わりに厨房から拝借してきたとうもろこし粉を化粧用の刷毛で顔全体に薄く広げる。


 これは結構驚かれたが、元の世界でもコーンスターチは化粧品に使われることが多く、この世界ではコーンスターチがないのでとうもろこし粉で代用した。これをするだけでサラッとした肌は僅かに色味も白くなる。


 そしてアイラインとアイブロウは控えめに、目尻を下げるように描いてもらった。


 右目の下に付け泣き黒子を一つ。


 頬骨に頬紅をのせ、目尻にも少しばかりつけて、最後に青みがかったピンクの口紅を塗る。


 アイラインとアイブロウが下げられたお蔭でわたしの顔はおっとりした雰囲気が出ている。


 髪はベティさんやメイド達が話し合い、こめかみと耳後ろのサイド部分だけは残し、後は後頭部で纏め上げることにした。こめかみ部分の髪は毛先だけ緩く巻いて癖をつけた。


 最後に頭の上に羽根飾りのついた白いヘッドドレス。これはピンで髪に留める。


 そうして鏡の前に立ったのはセナに良く似た、けれどセナよりも温和で少し気弱そうなセラフィーナという双子の少女だった。右目の泣き黒子が良い感じに垂れた目元を強調してよく似た双子と言っても確かに通る。




「……付け黒子、凄いですね」




 当初は予定になかったそれを勧めたのはベティさんだ。


 黒子があるだけで印象が変わると言われ、変装だしまあいいかと軽い気持ちで付けたが、化粧をした顔に付けた黒子はグッとわたしの顔を無防備そうな少女へ変えてくれた。




「そうでしょうとも。付け黒子は昔からある化粧の一つですからね、それだけで全然印象が変わるでしょう? うちの旦那も時々付け黒子をして見せると喜ぶんですよ」


「そうなんですか……」




 その情報はあまり要らないけれど、でも付け黒子が秘めた可能性は実感した。


 姿見の前で全身を確認していれば客室の扉が四度叩かれる。




「はい、どうぞ」




 入室を促せば扉が開き、伯爵が姿を現した。




「そろそろ出る時間、だ――……」




 顔を上げながら中へ入ってきた伯爵の動きが扉を開けたままという中途半端な状態で止まる。


 ブルーグレーを丸くしてわたしを呆然と眺めた。


 何時も引き結ばれている唇も今は少し開いている。




「如何(いかが)でしょう、クロード様。どこかおかしな所はございますか?」




 くるりとその場で回ってみせる。


 そうしてやっと我に返った伯爵は後ろ手に扉を閉めて歩み寄って来た。




「……ない。よく、似合っている」




 生まれて初めて何かを見た子供のように伯爵がまじまじとわたしを見る。


 そんな伯爵の子供っぽい表情をわたしも間近でしげしげと眺める。


 それにベティさんがコホンと一つ咳をし、自然と近付いていた互いの顔を引き離した。


 来たばかりだというのに伯爵は背を向けて扉へ向かう。




「馬車の用意はさせてある。私はついては行けないが、気を抜くなよ」




 背中越しにそう言い、扉を開けて客室を出て行った。


 一瞬、廊下に取り残されて困った顔をしていたアンディさんと目が合った。ほんの一瞬だったのに、わたしへウィンクする辺りは軟派な彼らしい。


 扉が閉まった後にそれを目撃していたベティさんが「全く、誰に似たんだか」と呆れていた。


 むしろ父親も兄弟も真面目過ぎて正反対な性格が出来上がったようにも見える。


 アンディさんのことは兎も角、上から外出時に着る防寒用のローブを羽織った。何枚も生地を重ねているドレスの下半身は暖かいが、上半身の首回りや腕などは出ているため、こういったものがなければ二月の寒さは厳しい。

 

 客室を出て一階に下り、玄関へ向かうと既に侍女として来てくれるカーラさんが待機していた。


 ドレスを纏ったわたしの全身をサッと確認すると満足そうに微笑む。




「それでは行って参ります」




 振り返って見送りについて来たベティさんへ言えば、彼女は笑顔で「行ってらっしゃいませ」と送り出してくれる。その気持ちの良い笑顔に強張りそうな顔が自然と笑顔になった。


 初めて貴族の女性のお茶会に、それも一人で出席するのだ。


 正直に言えば最初からハードルが高過ぎやしないかとも思ったが、向こうはわたしが異国出身だと聞いた上で数人だけの小さな茶会に誘ってきた。まだ作法に不安がある身としてはありがたい。


 それが例え『幸福フェリチタ』を手に入れるためだったとしても。


 これも見聞を広げる良い機会だと考えれば悪くない。


 屋敷を出て、馬車に乗り込み、カーラさんも乗って扉が閉められた。少しの間を置いて馬車がゆっくりと動き出し、車輪が回る音と共に小さな揺れを感じる。


 流石に伯爵は見送りなんてしてくれないだろうとカーテンをズラして見上げた屋敷の、伯爵の自室がある方向に見慣れた人影が一つあった。窓硝子越しにほんの僅かな時間だがブルーグレーと視線が絡む。





「あ……」




 出て来ることはなかったが、二階から見送ってくれていたのだ。


 何かを言う間もなく車窓は流れてしまう。


 斜め向かい側に座っていたカーラさんが小首を傾げる。




「どうかなさいましたか?」


「いえ、何でもないわ。最近寒さが少し和らいできたから、もう雪は降らないのかしら?」


「そうですね、二月も半ばを過ぎたので滅多に降ることもないでしょう。三月は季節の上では春です。きっと、これからはあっという間に暖かくなりますよ」




 誤魔化すように適当に振った話題にカーラさんは特に疑問も感じなかったらしい。


 内心でホッとしながらも屋敷の方向が気になった。


 出たばかりだというのに帰りたいと思ってしまう心にフタをする。


 これからわたしが向かうのは貴族のお茶会。言うなれば女の戦場だ。他に気を取られている余裕なんてない。集中しろ。思い込め。わたしはセラフィーナ・シヴァ=ソーク。セナの双子の妹である。






* * * * *






 セナの乗った馬車が屋敷から離れていく。


 刹那の合間に絡んだ瞳は不安そうだったが大丈夫だろうか。


 淑女教育の姿勢矯正とダンスレッスン、そしてステイズで痩せたと本人が言っていたが、淡い空色のドレスを着た姿はそれまでのセナのイメージとは全くかけ離れていた。


 元々小柄な体は痩せて更に華奢になったように思う。


 粉をはたいてほんのり色味を明るくした肌は柔らかく優しい黄色みを帯び、普段は気の強さが滲む瞳も目尻と眉を化粧で下げることで温和そうな印象になり、右目の泣き黒子が初々しい少女の顔を少しだけ大人に近付ける。頬と目尻に紅を差し、更に口紅で血色を良く見せる化粧の仕方は色白が美人とされるこの国でどのように受け取られるかは不明だが、クロードは好感が持てた。


 白粉を塗ったり瀉血しゃけつをしたりして生み出した肌は確かに白くなる。


 だがクロードから見れば不健康で美しいとは言えない。


 その点で言えばセナの化粧は健康的で自然な肌色は素直に良いと感じた。


 きちんと女性らしい恰好をすれば美しいのだ。


 思わず見惚れてしまうくらいにはドレスも似合っていた。


 きっと茶会では色んな意味で目立つだろう。




「旦那様はセナを娶られるおつもりで?」




 側に控えていたアルジャーノンが不意に口を開く。


 働き者だが寡黙なサリス家の末っ子がこうして主人に何かを尋ねるのは珍しい。


 そっと抑えられた囁き声には賛同も非難の色も感じられず、ただ思いついたことを問い掛けただけのような平坦な声音だった。


 馬車の消えた方角へ視線を向けたまま、クロードはそれに返事をする。




「分からない。そうなればと願うことはあるが、私が望めばセナあれの気持ちに関係なく周囲が動いてしまうだろう。望まない婚姻はどちらも不幸にするだけだ」


「ですが、旦那様の結婚相手としてセナは申し分ないでしょう。国内のどの貴族とも繋がりがなく、天涯孤独で、他に行く当てもなく、しかし身分は他国の貴族の子なので貴族同士の結婚の言い訳が立ちます。ある程度は護身術も使え身を守れます。旦那様の仕事への理解もあります。裏切られる心配もございません」


「……何時になく饒舌だな」




 こんなに長く言葉を紡ぐアルジャーノンの声は久しぶりに聞いた。


 窓から視線を動かし、クロードは側に控える従僕を見遣った。




「……不敬を承知で申し上げます。僕は幼い頃から小姓として旦那様にお仕えしてきました。時には僕の失敗を助け、一緒に笑い合って育った貴方は、僕にとっては大切な主人であり兄同然です。だからこそ貴方に幸せになって欲しい」




 父親譲りの柔らかな茶色の瞳が真っ直ぐに見返してくる。




「随分前に、リーニアスにも似たようなことを言われたな……」




 従兄弟であり、この国の第一王子であるリーニアスも、クロードが爵位を受け継いだ日によく似た言葉を口にした。


 お前は私の兄弟みたいなもので、お前の幸せな姿を見ないと安心出来ない。


 やや大きな当主の指輪をはめたクロードの手を握り、リーニアスは不安そうな顔で言った。


 クロードはそれに対して「大丈夫だ」と答えた。今にして思えば、それは自分自身に言い聞かせるものであったと分かるし、リーニアスが困ったように眉を下げた理由も理解出来る。




「……確かに私はセナを好いている。それが伝わるよう努力はしているつもりだが、今はまだ明確に口にすることは許されない」




 何時からだろうか。セナを目で追うようになったのは。


 つい最近の気もするが、もっと前からそうだった気もする。


 ハッキリと言葉に出せば互いの関係も簡単に変わるだろう。それで良い方向へ進むならばいくらでも口にしたって構わない。そう出来れば、どれだけ自分の心も軽くなることか。


 しかしセナにも大きなしがらみがあることが分かり、クロード自身も己の気持ちを公にするには時期が悪い。最低でも後二年は現状を維持しなければならないのだ。




「何より、私はセナの気持ちを優先する。間違っても先走るなよ」


「……畏まりました」




 クロードの顔を見たアルジャーノンは、それ以上この話題に言及しなかった。


 先走るなと言ったその横顔は酷く苦々しげなものだったから。


 書斎へ戻るために動き出したクロードにアルジャーノンが付き従う。


 短い距離を歩きながら、ふと黒に近い瞳が不安そうに揺れたことを思い出す。


 ……あれほど誰かに触れたいと思ったことはない。


 胸の内に感じる恋情の強さに音もなく息を吐く。


 後二年もこの想いを秘しておく自信などどこにもないが、それでもやるしかないのだと言い聞かせて改めて前を向く。


 今は自分のことよりも仕事のために諸々の手配をしなければならない。


 それまでの思考を頭の片隅に追いやり、クロードは書斎に繋がる扉を開けたのだった。





 

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