言、七つ。

* * * * *

 





 淑女教育を始めて一月。


 まだ寒い季節で庭の見えるサロンで午後のティータイムを過ごしていた。


 晩餐はないものの、夜会では料理が出て食べたり飲んだりすることもある。その予行演習みたいなもので、ティータイム中もカーラさんの目が厳しく光っている。


 そんな息の吐けない中にその人物はひょっこりと姿を現した。




「やあ、お嬢さん」




 そう言いながら軽く右手を上げてサロンに入って来たのはリーニアス殿下だった。


 即座に席を立ち、貴族女性の礼であるカーテシーを取る。


 ドレスを少し摘んで左足を下げ、伸ばした背筋のまま、上半身を腰から深く折って出迎えた。




「ああ、そんなに畏まらないでくれ。さあ、顔を上げて」




 促され、足を戻しながら上半身をゆっくりと起こす。


 リーニアス殿下の斜め後ろにはチャリスさんもいた。


 二人ともお忍びなのか、この国ではありきたりなブラウンに髪を染めていた。殿下の服装も前に会った時に着ていたものと比べると質素で控えめというか、ちょっと大きな商会のお坊ちゃんか貴族の子息か判断に迷うといった感じだった。チャリスさんは更に一段グレードの落ちた服を着てる。


 リーニアス殿下はわたしの恰好を面白そうに目を細めて眺め、チャリスさんは目玉が落ちてしまうのではと思うほど見開いて目を丸くしている。


 挨拶の口上を述べようと口を開こうとして、忙しない足音が聞こえた。


 そして考える間もなくサロンの扉が勢い良く開かれた。




「リーニアス! 訪問する際は事前に連絡しろと何度言ったら分かる!」




 室内を見て瞬時に的を絞った伯爵がリーニアス殿下にツカツカと歩み寄る。


 楽しげに口元で弧を描く殿下の脇でチャリスさんが微妙な顔をした。それ見たことかと言いたげだが、そこには見慣れたものに対する気安さや安堵感のようなものが僅かに読み取れた。




「すまない、急にお前の顔が見たくなったんだ」


「何時もそう言うが、せめて先に遣いの者を寄越せ!」


「それではお前の驚く顔が見れなくてつまらないだろう」


「やはりそちらが本音か!」




 まるで子供の言い合いのように向かい合って話す二人は無防備だった。


 声を荒らげる伯爵も本気では怒っていないし、殿下もそうと分かっていて軽口を叩いてる。


 でも何時までもこのままという訳にはいかない。


 そっと伯爵に近付き、その腕に控えめに触れる。




「御歓談の最中に申し訳ございません。クロード様、殿下を立たせたままでは……」




 わたしが側に来ていたことに気付かなかったのか驚いた顔をして、しかしすぐに我に返ると伯爵は殿下にソファーを勧めた。最も身分の高い殿下が座らなければ、わたし達も着席することは許されない。


 席に着くとカーラさんが呼んだらしく、ベティさんが現れ、二人で紅茶の用意や茶菓子を継ぎ足し、部屋の端に下がる。


 目の前のソファーには殿下が一人で腰掛け、その後ろにチャリスさんが、殿下の向かい側に伯爵が座り、わたしは何故か当たり前のようにエスコートされてその横に座った。




「それで、私の顔を見て満足したか?」




 落ち着いた様子で伯爵が問いかけ、リーニアス殿下はニコリと笑う。




「ああ、でも今はそちらの御令嬢が気になってるんだ。紹介してくれないかい?」


「セラフィーナ・シヴァ=ソーク嬢だ。セナの妹で、体が弱かったので暫く知り合いの領地にて静養させていた。最近体調が良くなってきたのでな、此方へ呼び戻した」




 あ、もうココからその設定推していくんですね。




「そうか、あのセナ君の妹さんか。私はリーニアス・ロベルト=ツェルドルフ。気軽にリーニアスと呼んでくれ」


「は、はい、リーニアス殿下。殿下には大変お世話になったと兄より伺っております。先日はありがとうございました」


「いや何、ちょっとお茶をしたりギャラリーを見せたりしただけだ」




 この茶番何時まで続ける気だろうか。


 チャリスさんが変なものでも飲み込んでしまったような渋い顔してるんだが。


 それに気付いたリーニアス殿下は遠慮なく吹き出し、声を上げて笑う。




「あははは! チャリス、お前のそんな顔、久しぶりだ。前にその顔を見たのは三ヶ月くらい前だったかな?」


「いいえ、殿下。つい一月ほど前にも『開いたばかりの初々しい花の様子を見たい』などという理由で此方へ押しかけようとなさった時も、同じ顔になりました」


「そうだった、確かにあの時もお前はそんな顔をしていたね」


「分かっていらっしゃるのであれば少しは控えてください」




 殿下とチャリスさんの会話からして、チャリスさんの苦労人っぷりが窺えた。


 しかし殿下は「それは出来ない相談だ」とあっさり躱してしまう。


 何時もこんな感じなのだろうなと分かるやり取りである。


 そうしてこちらを見てニコリと笑った。




「それで、教育は順調かい? 




 殿下の言葉にわたしは困ったように眉を下げてみせた。




「殿下、わたくしはセラフィーナでございます」


「ああ、失礼。二人はとても良く似ているから、ついね」


「兄とわたくしは双子ですから、仕方がありません。でも、兄と間違えられるのは少し悲しいです。わたくし、兄に間違われるほどガサツでしょうか?」




 頬に手を当てて、小さく息を吐く。


 すると殿下が立ち上がり、テーブルを迂回してわたしの側へやって来て、手を差し出される。




「まさか、君のような魅力的な女性にガサツなんて言葉は似合わないよ。兄のセナ君もガサツとは無縁そうだったけれどね」


「まあ、ありがとうございます。殿下にそう言っていただけるだけで自信が持てます」




 差し出された手にそっと指先を重ねて互いに見つめ合う。


 と、横から手袋に包まれた手が伸びてわたしの手をサッと殿下から奪う。


 そのブルーグレーが胡乱げに眇められていた。


 あ、これ結構怒ってる。チラと殿下を見上げれば視線を逸らされた。




「セラフィーナ、この国では貴族はみだりに異性に触れてはならない。そう教えたはずだが?」




 ……怖っ。淡々と話してるけど睨んでくる瞳の鋭さは猛禽類みたいだ。




「ええ、ですが殿下が差し出してくださった手を無視することなど誰が出来ましょう?」


「此処は公の場でもない。適当にあしらっておけ」


「ええ? クロード、それは流石に私も傷付くんだが」


「お前は黙っていろ、リーニアス」




 抗議の声を上げた殿下を伯爵が一刀両断する。


 逃げたくとも視線と手で制されてしまって――……




「それを言うのでしたら、今、クロード様とわたくしが手を繋いでいることも『みだりな触れ合い』ではございませんこと?」




 ピタリと伯爵が口を噤む。


 ちょっと待って、何でそこで黙るの?


 思わず重なっている手と伯爵の顔を交互に見て、そして周りへ視線を移す。


 リーニアス殿下は顔を背けているが肩を震わせて声もなく笑っているし、チャリスさんは渋い顔だし、カーラさんは感情の読めない綺麗な微笑みを口元に浮かべてるし、ベティさんは笑うのを堪えてる。




「……私は良いんだ。夜会でもパートナーになるし、お前の保護者でもある」


「……何か違うような気が致します」


「いいや、違わない。私はお前のパートナーなのだから触れられなければ問題だろう。まさか触れずにダンスを踊るつもりか? かなり無理があるぞ」


「そうでしょうか……?」




 釈然としない気持ちでいれば殿下が「もう堪え切れん!」とソファーに戻り、体をくの字に折って笑い出した。ほぼ横になるような恰好で笑い転げている。


 余程ツボに入ったらしく、息も絶え絶えに笑う殿下にチャリスさんが「煽るのはやめて差し上げて下さい」と呆れの混じった声で指摘したが、笑うこと自体は止めなかった。




「申し訳ございません。殿下はこうなると暫く笑いが治まらないのです」


「ああ、分かってる、放っておけ。構うと更に悪化するだけだ」




 スルリと伯爵の手が自然な動作でわたしの手から離れていく。


 それに多少残念な気持ちになりつつ、黙ってソファーに座り直す。


 目の前には絶賛大爆笑中の殿下とそれを残念な目で見るチャリスさん、横にはやや不機嫌な伯爵。


 まあ、いいか。どうせ伯爵に触れた回数なんて数えるのが馬鹿馬鹿しいくらいあるのだ。


 殿下が落ち着くまで紅茶を飲み、クッキーを齧る。


 そういえば伯爵の衣装で縫わなきゃいけないものがあるんだった。


 目に付く場所が解れていて、それもちょっと解れが酷くて、自分で縫うかお針子に頼むか微妙な感じのものだ。いっそのこと淑女教育中に刺繍とか繕い物とかも教わってしまおうか。休日にお針子のところへ行って修行してくるのもありかもしれない。


 ふと視線を感じて顔を上げれば伯爵のブルーグレーと目が合う。




「随分と楽しそうだが、また良からぬことでも考えているのではあるまいな?」




 伯爵の言葉にテーブルへカップとソーサーを戻す。




「心外ですわ。わたくし、ただ刺繍や繕い物も覚えたいと思っておりましただけなのに……。クロード様の衣類の解れを繕うのはわたくしの大事な役目ですもの」




 正確に言うと近侍の仕事だが。




「……お前、私をからかっているだろう」




 目尻に朱の走った伯爵が眉を顰めて言う。


 狙って言ったが大いに照れてくれたらしい。




「からかってなどおりません。本当のことですもの」


「全く、相変わらず性質の悪い……。それで、リーニアスは何故此処へ来た? 私の状況については逐一報告しているはずだが?」




 そう、伯爵が定期的に手紙を書く相手がいる。


 それは女王陛下と殿下の二人だ。この二人から届く手紙は多く、そして伯爵も律儀に返事を送っているので、ずっと前から名前だけは知っていた。


 ただ王族の名前に国の名が入らないとは思ってもいなかったので気付かなかったのだ。


 元の世界でも考えてみればそうなのだけれど、あちらで読んだファンタジーものだと大抵、王族には国の名が入っている。だからそういうものだとばかり思っていた。 


 笑い転げていたリーニアス殿下が音もなく起き上がる。


 先ほどまで涙が滲むほど笑っていたのが嘘のように穏やかな表情だった。




「それとは別だ。ほら、これを渡そうと思って今日は来た」




 リーニアス殿下が軽く手を振るとチャリスさんが取り出した手紙を示し、カーラさんが銀盆で受け取り、伯爵へ差し出す。……危ない、癖で立ち上がりそうになった。


 それは一通の手紙で、封を切った伯爵が中から取り出したのは洒落たカードだ。


 カードの表面に目を落とした後、わたしへ差し出される。


 受け取り、見てみると、それは茶会の招待状だった。送り主は女性の名で、宛名はわたし――……セラフィーナ・シヴァ=ソークである。だがこの送り主の名に覚えはない。




「ウィットフォード卿の夫人だ。卿は愛妻家でな、日に日にやつれていく妻を怪しんで調べたところ、どうやら夫人は『幸福フェリチタ』に依存してしまっているようなのだ。しかも売人から新しい顧客を紹介すれば薬を売ってやると迫られているようなのだ」


「なるほど。忠臣からその相談を受けていたお前は、これ幸いと今回の件にウィットフォード卿を引き込んだ訳か。顔の広い卿ならばジンデル卿とも面識があるだろう。夫人がそうならば尚更だな」


「そうだ。卿に頼んで『アルマン卿の元にいる異国出身の貴族の娘は社交に不慣れで、まだ誰も知り合いがいないので、良ければ夫人の茶会に招いてやって欲しい。女性同士の方が悩みも話しやすいだろう』と夫人に囁いてもらったのさ。そして夫人は新しい顧客として紹介出来る人間を見つけたと招待状を書いた」


「それがこれか。私を連れて紹介しても向こうは警戒するだろう。餌に食いつかせるには仕掛けが見えては意味がない。何も知らない者を間に挟めば気付き難くなる。……夫人には事情は説明していないな?」


「勿論、夫人には何も伝えないよう言い含めておいたよ。『幸福フェリチタ』が手に入らなくなるのを恐れて売人に話されては此方としても困るのでね。ウィットフォード卿には信用の置ける修道院を紹介したので、この件が解決し次第夫人を入れて、体から薬が抜けて禁断症状が消えるまで待つことにするそうだ」


「その情報は必要ないが、まあ、そうする他にないだろう」




 伯爵がこうして誰かと対等に話してる姿は初めて見た。


 殆どは使用人や警察所属の者などだったし、社交シーズンでも夜会や晩餐会での従者は侍従三兄弟の誰かがついて行き、わたしは必ず留守番となっていた。


 貴族の夜会や晩餐会でわたしは目立ってしまう。それに礼儀作法も完璧とは言い難い。


 カードの表面にはセラフィーナの事情を聞いたこと、小さな茶会を開くので良ければ参加しないかという誘いの文言、そして二週間後の日付と恐らく屋敷の住所だろう開催場所が記されている。


 会話が途切れたタイミングでカードを伯爵へ返した。




「それで、セラフィーナ嬢の予定は空いてるかい?」




 茶化すような殿下の言葉にわたしは笑みを返す。




「ええ、喜んで夫人のお茶会に参加させていただきます」


「では私の方からウィットフォード卿に返事を伝えておこう。どうせ城に戻れば顔を合わせるからね」




 器用にウィンクしてみせた殿下はカップの中身を飲み干すと立ち上がった。


 帰る気になったらしい。立ち上がって見送りに出ようとしたが手で制される。


 伯爵と従兄弟同士で少し話をしたいからと言われ、その場でカーテシーをして見送ることになった。その殿下は来た時と同じくチャリスさんを連れ、伯爵と共にあっさりと部屋を出て行った。


 ソファーに座り直すとドッと疲れが押し寄せて来る。


 この間会った時に感じた優しくて紳士的な美青年というのは幻想である。


 ベティさんが新しい紅茶を用意するために部屋を出て行き、カーラさんは弱まり始めていた暖炉に薪をべる。


 行儀が悪いけれど目を閉じてソファーに背に身を預ける。

 

 殿下の中身は多分、かなり面倒臭くて、わたしよりも捻くれた人だ。


 でも伯爵を大事に思ってるのは伝わって来た。


 わたしが伯爵に害意を持っていないことを、恐らくだが向こうも理解した。


 そして何故だか気に入られてしまったようだとも分かった。


 ふあ、と出かけた欠伸を噛み殺してソファーから身を起こす。


 伯爵が戻ってきたらウィットフォード卿とその夫人について聞かなければ。


 厄介そうな相手に気に入られたことについては、今は考えないでおこう。





 

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