道、十路。

 



 髪は黒いまま編み込んでピンで留め、先ほど洗濯に出したものと違い、近侍の服を身に纏う。白粉をはたかずにアイラインを軽く引いて、しかし目元に泣き黒子は付けず、これでセディナとセナの中間の人間が出来上がった。


 セディナしか知らない者が見れば他人の空似と思うが、セナを知る者から見ればどこか印象は変わっているもののセナだということが一目で分かる。そんな外見である。


 お金を持たされて「辻馬車を捕まえて行け」と言われていたので、ありがたく使わせてもらおう。


 荷物を入れた鞄を手に、今日は裏口から道へ出て敷地をグルっと迂回して大通りに出る。


 人の行き交う中を縫って歩き、道の端に停まっている馬車へ歩み寄ると気付いた御者が立ち上がる。その御者に声をかけて学院の名を告げて乗り込むと馬車が走り出した。


 ガタガタと揺れるそれは普段乗り慣れている伯爵家のものとは違い運転も荒く、生地の薄い椅子は道から拾った凹凸を直に伝えてくる。それでもスピードを落とさないので余計に振動は酷かった。屋根や壁はあるが貴族の使う馬車に比べると薄く粗雑な造りで隙間風も入る。


 それでも一般人の足として浸透しているのが辻馬車だ。




「着きましたよ」




 最後に強く揺れて停まった馬車の外からおざなりな声がかかる。


 外に出て支払いを済ませる。戻るまで待っていて欲しいと頼むと眉を顰められたが、揺れで優れない気分を飲み込み、御者の手に余分に金を握らせる。帰りは規定賃より幾らか弾むと告げれば御者は笑顔で了承した。


 現金なものだと思ったが、軽く頭を振って不満を追い出してから学院の門を潜る。


 門番はわたしがセディナの身分証を出しても疑問を感じなかったような。


 三度目ともなれば迷うこともなく、大勢の院生達に紛れて解剖学部へ早足で向かう。建物に足を踏み入れ、目的地の前で少し乱れていた息を整える。


 鞄から銀盆を出して軽く磨いた後に手紙とペーパーナイフ、返信用の便箋と封筒を載せて準備を整える。


 ゆっくり四度叩いた扉がややあって開かれた。




「こんにちは、突然すみません」




 ニコリと笑いかけると、教授は目尻を下げてわたしを見た。




「やあ、確か伯爵の近侍をしているセナ君だったね。……そうか、誰かに似ていると思ったが君だったのか」




 後半は独り言だったのだろう。教授が思い浮かべた人物はわたし自身でもある。





「突然の訪問、申し訳ございません。旦那様よりお手紙を届けに参りました」




 銀盆ごと白い封筒を丁寧に差し出すと、教授が受け取る。


 更に置いておいたペーパーナイフでその場で開封された。




「出来ればすぐにお返事をいただきたいとのことです。こちらに便箋と封筒も御用意しておりますので、お使いください」




 白い飾り気のない便箋と封筒を見た教授が体を少しズラす。




「良ければ中で待っていてもらえるかい?」


「畏まりました。失礼致します」




 招き入れてもらった部屋は以前より片付いていた。


 わたしにソファーを勧めた教授だったが丁重に遠慮すると「そうか、疲れたら座るように」と苦笑して自身の机へ戻ると手紙の封を切り、入っていた便箋に目を通す。その顔は最初、驚きに染まり、しかし段々と曇っていった。


 やがて浮かない表情で渡した便箋を引き寄せ、手紙の返事を書き出した。


 暖炉の薪が爆ぜる小さな音に耳を傾けつつ静かに終わるのを待つ。


 教授は時折手を止め、悩んだ様子でこめかみを揉みほぐし、微かな溜め息と共にペンを走らせるという動作を繰り返した。書き終えたのは約二時間後のことだった。立ちっ放しはつらいがというのも近侍の仕事の一つである。


 上げられた顔には疲れの色が濃く滲んでいる。




「大分待たせてすまない」


「いいえ、これもわたしの仕事ですから」


「それに君がまさかセディナ君だったとは驚いたよ。言われてみれば似ている所はあったが、全く気付かなかった。君は変装が上手なんだね」


「その件に関しましては大変な失礼を働き申し訳ございませんでした」


「いやいや、君は仕事をしたまでだ。見抜けなかった私もまだまだというだけの話さ」




 会話をしながらも封蝋のされた手紙を銀盆越しに受け取る。


 長居してはいけないような雰囲気だったため、手短に挨拶をして部屋を出た。




「……『賛同出来ん』か……」




 部屋を出る瞬間にポツリと聞こえた言葉に思わず振り返るも既に扉は閉ざされてしまい、呟きの意味を問うことは叶わなかった。


 気にはなったけれど手紙を早く持ち帰るべく銀盆と手紙、余った便箋や封筒も鞄に仕舞って歩き出す。


 学園を出て来た時に待っていてもらった辻馬車に乗り、屋敷近くまで戻る。


 揺れる馬車の中で、不意に先ほど教授が零した言葉は手紙に書かれていた一文なのではと気が付いた。


 むしろ一連の流れからして、それ以外考えられない。


 だとしたら何に賛同出来ないのか。


 これは勝手な憶測になるが、多分教授の行いについて何かしら手紙に書かれていたのではないだろうか。不審な点があるにも関わらず献体として遺体を引き取り、解剖したこととか。


 潔癖な面を持つ伯爵ならば例え医学のためであったとしても、その行為を良しとはしなさそうだ。


 わたし達も事件解決を理由に大なり小なり後ろ暗い行いをすることはあるが、もしかしたら伯爵の中ではわたしには分からない許容範囲がきっちり定義されているのかもしれない。


 そこまで考えて、外からかけられた声に馬車を降りる。


 先に告げた通り運賃を倍額払うと「また御贔屓に!」と笑顔を向けられたが、余程のことがない限りは使わないと内心で返事をして辻馬車を後にする。


 裏口へ回って屋敷に入り、手紙を片手に書斎へ行く。


 珍しくアンディが寝室の中ではなく外にいた。




「何かあったのですか?」


「さあ? 何か旦那様がピリピリしてる気がして、扉越しでも居心地悪いからこっちに出て来たんだ」


「? 屋敷を出る前は特に変わりはないようでしたが……」


「そっか。旦那様に用があるんだろ? 頑張れ」




 そう励まされて首を傾げつつ寝室へ入る。


 アンディの言うピリピリした空気とやらは分からなかった。


 書斎の見慣れた扉を叩いても、やはり普段と変わらない声が入室の許可を告げる。




「失礼します」




 入室すると珍しく伯爵はソファーにいた。


 肘置きに寄りかかり、気だるげにわたしへ顔を向ける。




「御苦労」




 そう言った伯爵の方が何倍も疲れている風だった。




「……紅茶をお持ちしましょうか?」




 テーブルには洋皮紙やらインク壺やらは並んでいるが、ティーセットの類いは見当たらない。


 わたしの問い掛けに緩く首を振り、目を伏せた。




「いや、そんな気分でもない。それより返事は受け取って来たか?」


「はい、こちらに」




 側へ寄り、銀盆越しに手紙を受け取ると伯爵はその場で封を切って手紙の文面に視線を滑らせる。


 そうして深く深く息を吐いた後に手紙を文字通り握り潰した。


 眉を顰めたまま目を閉じた硬い横顔は声をかけることもはばかられた。


 手袋に覆われた手が乱暴に銀灰色の前髪を掻き上げる。




「……やってられんな……」




 聞えた呟きにどう返して良いか分からず、わたしはただ呼ぶしかない。




「伯爵、一体何が……?」




 応えるように零れた溜め息は震えていた。こうも気落ちする姿は初めてである。


 原因を知りたくて握り締められた伯爵の手に触れたが更に強く握り潰された。




「…………お前には、見せられん」




 拒絶にも似た言葉に怒りがカッと湧き上がった。


 端正な顔を両手で鷲掴むとブルーグレーが見開かれたが知ったことではない。


 引き寄せ、伯爵の額に自分のそれを打ち付ければ鈍い音が部屋に響き渡る。




「っ、な……っ?!」




 痛みと驚愕の表情を浮かべた伯爵の額は赤い。


 多分、わたしの額も少なからず赤くなっているだろうが、石頭なので痛みはない。


 しかしそんなことはどうでも良いのだ。




「覚えてます?」




 がっちり固定した手に力を込める。


 呆けても美形な顔が妙に小憎こにくたらしく思えてきて、腹立たしさが増す。




「あの時、伯爵は言いましたよねえ? 他の人が思ってるほど自分は強くないって。だから助けてくれって、そう決めましたよね?」


「あ、ああ……」


「じゃあそれって何時なんですか? 今じゃないんですか? ……ふざけんな、人には散々言わせておいて自分のことはだんまりか!」




 わたしに言うほどのことでもない、なんて口にしてみろ。


 クビ覚悟で渾身の力でその横っ面に平手打ちを食らわしてやる。


 不穏な気配を感じ取ったらしい伯爵は数回口を開閉させた後に呟いた。




「…………すまん……」




 バツが悪そうに逸らされた視線に掴んでいた手を離し、わたしはフンと鼻を鳴らした。


 すると漸く我に返ったらしく数回瞬きをしながら額に手を当て「……痛いな」と漏らす。色白だから赤みがかなり目立っていた。良い気味だと目の前の赤い額に少しだけ溜飲が下がる。


 自身の額から手を離した伯爵は、わたしの顔を見てふっと笑った。




「お前も少し赤いぞ」




 伸びて来た手が指先でわたしの額を撫で、微かに熱を持つそこに触れる。




「大丈夫です。石頭なので見た目ほど痛みはありません」


「それはズルくないか?」


「だって痛い思いをしないと伯爵は思い出してくださらないでしょう?」




 そうでもしない限り、理性的過ぎてお互いに心の内を曝せないから。


 思う所があったようで伯爵が苦く呻いた。




「だからと言って主人に頭突きをする使用人がいるか? 他にもやり様があるだろう、やり様が」


「そんなものわたしに求めないでください」




 ぴしゃりと断ったわたしに、伯爵は深い溜め息を零しながら乱れた自身の髪を後ろへ撫で付けた。


 さっきからこの人は溜め息ばかりだ。


 溜め息を吐くと幸せが逃げるっていうけど、もし本当ならきっと伯爵は一生分の幸せを溜め息で吐き出してるんじゃあないかって時々思う。絶対に本人には言わないが。




「とりあえず、紅茶はいかがですか? 気分が少しは晴れるかもしれませんよ」


「……そうだな」




 伯爵は額に手を当て、頭突きをされた場所を気にしながら机のベルを鳴らした。


 やって来たアンディに紅茶を頼む。少ししてサービスワゴンを押して戻って来る。


 それを受け取って紅茶を淹れると茶請けの菓子と共にローテーブルへ並べる。


 黙って手紙をわたしとは反対側に置き、カップに口をつけた伯爵は一口飲み、一瞬目を細め、そして何度かに分けて飲み干した。差し出されたカップを受け取り、もう一度注ぎ入れ、カップを渡す。


 その中身を半分ほど飲んだところで伯爵が細く息を零す。


 安堵や力を抜くといった風の息の吐き方だった。


 そうしてカップとソーサーをテーブルに置いて手紙を懐へ仕舞う。


 ……結局見せてはくれないのか。


 そんな心情が顔に出ていたのか端的に説明された。




「お前に手紙を見せないのは私の独断ではなく、教授の意向だ」


「わたしに見せるなと書いてあったんですか?」


「そうではないが、似たようなことは書いてある」




 なんだか余計気になるんですけど。


 でも義理堅い伯爵のことだから絶対に読ませてはくれないだろう。




「まあ、教授の気持ちは分からなくもない」




 軽く肩を竦める伯爵に思わず目を瞬かせる。




「見せていただけない理由は何故かお聞きしても?」




 ブルーグレーの瞳がひたとわたしを見据え、眩しげに細まった。


 何かを思い出しているように焦点が遠くへ向けられたが、それは一瞬のことで、すぐに瞼が落ちて瞳を隠すと形の良い唇に薄い笑みだけが残る。




「お前は人が好過ぎるからな」


「え、それはないです」




 伯爵を弄るし慇懃無礼だし、すぐに手も出るし、怒ると口悪くなるし。

 

 むしろ、わたしは結構性格が悪い方なんじゃないか?




「分からなくとも構わんだろう」


「いやいや、全然良くありませんよ。逆に気になるじゃないですか」




 意味が分からない。もっと分かりやすく説明して欲しい。


 しかし伯爵はこの話題を打ち切るように「なら忘れてしまえ」と言い、聞けず仕舞いになった。


 消化し切れない不満を溜め息にして吐き出す。わたしも溜め息増えたなあ。


 不意に瞼を押し上げたブルーグレーがこちらを向く。




警察えさをタイナーズ・ロークへやるだけでは釣れんからな、献体を募るよう教授へ頼んだ」




 ちょっと強引な話の戻し方にわたしも乗った。




「教授は何と?」


「可能な限り早く募るそうだ。後はもう時間の問題だろう」




 餌もいて、食い付くきっかけも作って、それに獲物が引っかかるのを待つだけだ。


 現代と違って確実な証拠を見付けるか、犯行現場を押さえない限り逮捕は難しい。犯人を立証する術が少ないというのは考えものだが、こうも鮮やかに犯人をあぶり出す策を手配されては感心する他ない。


 犯人を追いかけて走り回るなんて確かにこの人には似合わない。


 伯爵は、知力を尽くして捕まえる方が遥かによく似合う。


 ソファーに悠然と構える主人の姿を想像したら予想外に悪役染みていた。


 吹き出しそうになるのを耐え、わたしは「それは重畳ですね」と微笑んだ。





 

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