華、三輪。

 



 まあ伯爵についてはともかく、犯人は何故わざわざ胎児を絞殺したのだろう。


 母体から出てしまえば未熟な胎児は何もしなくても死ぬだろうに。


 手帳を開き、被害者の名が書かれたページを眺める。資料の内容を脳内で呼び起こし、警察の捜査方法なども思い出すと現代とは比べるべくもなく当てにならないやり方ばかりで溜め息が零れてしまった。


 一言で表すなら、杜撰ずさん


 物を動かしたり歩き回ったりと現場の状況保持もしない、簡単な状況調査だけで遺体もさっさと安置所に運んでしまう、聞き込みはそれなりに出来るようだが現場周辺のみ。大体においてまずは身内を容疑者として証拠もないのに引っ立てる。


 こんな状態では伯爵のような仕事を任される者がいるのも仕方がない。


 アルマン伯爵家は元々警察の中で強い地位に属する上位貴族であったのだが、悲惨な事件が後を絶たないことに胸を痛めた王族の女性がその家の三男に嫁ぎ、新たな爵位と共に警察の手に負えない事件の解決に重きを置く特殊な立場を作り出した。


 このアルマン伯爵家の当主が必ず継ぐセカンドネームの『ルベリウス』とは、家を興した際に当時の女王陛下から下賜されたルベライトという宝石の名から付けられている。宝石言葉は『広い心・貞節・思慮深さ』だ。そのような心構えで励むようにと願いを込めて下賜されたのかもしれない。


 わたしはその伯爵の下で働いているわけで、探偵の助手的な立場だと思う。


 元々推理モノや刑事モノのドラマが好きだった。血腥ちなまぐさい点を除けば、ここでの生活や仕事もそう悪いものではない。と、言うか本音では結構楽しくやっている。


 そうこうしているうちに揺れが次第に小さくなり、やがて治まると間を置いて扉が開いた。




「御到着致しました」




 御者の声に促されるようにわたしが先に馬車から降りる。


 元より人気のない地区だが早朝だけあって人の気配もない。


 物悲しく荒れ果てた教会を通りから見ているうちに伯爵も馬車から降りる。


 視線を戻せば行くぞと顎で示された。


 頷き、発見現場である教会の敷地へ足を踏み入れた。あまり広くはない敷地は草木が雑多に生い茂り、目隠しのように奥に佇む塗装の剥がれかけた教会を包んでいた。


 歩いて近付き、今にも外れてしまいそうな扉を開けて教会の中へ入れば、屋内は朽ちて所々穴の開いた天上から光が差し込んで薄明るい。正面の祭壇横に下ろされた大きな十字架に視線が向く。この世界の宗教では十字架は御印(みしるし)と呼ばれ、神が使徒に与えた聖なる印であり、宗教上でも重要なシンボルとして扱われると聞く。ちなみに十字架に誰かが磔にされたという話はない。


 木製の十字架にはくすんで黒く変色した血が付着しており、そこに遺体があったのだと分かる。




「ここが第一の被害者の発見場所です」


「……臭うな」


「十字架は警察が下したそうですが、遺体以外は恐らく発見時の状態のままでしょう」




 元の世界と違い、この世界は事件が起きてもなかなか片付けをする人々がいない。


 そのため事件現場というものはわりと血痕やら死臭やら、下手すると被害者の遺留品が残っていることもあるのだ。警察はそれらを重要とあまり考えてないのか大抵放置される。


 手袋に覆われた手で軽く口と鼻を押さえながら顔を顰める伯爵の視線は十字架に向けられている。独特な血の生臭さと何とも言えないえた刺激のある異臭に、わたしも鼻と口を手で覆う。風も満足に通らないこの場所では臭いがこもるのは仕方が無いとは言えど、あまり長居したくない現場だ。


 床や壁を検分している伯爵の様子を眺めていたが、ふと異臭に混じって何かの匂いを嗅ぎ取った。しかし、それが何か分からず顔から手を離して血が凝固してしまっている十字架に鼻を近づける。


「何をしている?」と伯爵が眉を顰めた。




「いえ、何か別の匂いがしたもので」


「……私には分からん」


「そうですか?」




 小首を傾げながら振り返るわたしに伯爵は「とりあえず、その臭いは覚えておけ」と言った。


 わたしは警察犬かと思いつつ濃い鉄と腐敗臭の中に微妙に混ざる香りを、もう一度スンと嗅ぎ取って頭に叩き込むと先に出た伯爵の後を追い足早に教会から出ることにした。


「鼻が曲がりそうだった」と現場に対してボヤく伯爵に苦笑しつつ馬車へと戻る。


 扉を開けようとした御者がわたしと伯爵に眉を下げ、そそくさと扉を開けて脇に避けるものだから伯爵とわたしは揃って顔を見合わせてしまう。短時間で済ませたのに少し臭いが付いてしまったらしい。


 馬車に乗り込み、気にした様子で伯爵が上着の袖を鼻に寄せる。




「人間もナマモノでしょうし、どんな物でも腐ったら強烈な臭いがしますからね」


「お前はどうしてそう生々しい言い方をするんだ」




 慰めのつもりで紡いだ言葉に憮然とした表情をされ、次の目的地を聞くために小窓を開けていた御者のさざめくような笑いが聞こえて来たのは言うまでもない。目的地を告げれば小窓が閉じて馬車が動き出す。


 車輪の音を余所に伯爵は未だ気になるのか袖口を弄っていたけれど、わたしと視線が合うとバツが悪そうに腕を組んで目を閉じてしまう。


 あまり良い意味ではないけれど、アルマン伯爵家は貴族内でも有名で一つ一つの行動が嫌でも目立ってしまうため、現当主の伯爵は己の発言や所作にとても気を遣う。


 常日頃はそうだとしても近侍のわたしの前では結構愚痴を零したり毒を吐いたりして、なのに時々こんな風に何かに失敗したような顔をされると逆にこっちが悪いことをした気分になる。


 別に笑ったり誰かに言いふらしたりなんかしないのに。


 苦笑を内心に留めながらぼんやりと流れて行く車窓を見送る。


 教会からそんなに離れていない川は着くのにそう時間はかからなかった。


 馬車を停めた御者が扉を開けて、やっぱりちょっと眉を顰める。


 あまりそんな表情をされると神経質な伯爵が余計気にしてしまいそうだ。




東の枝オストラーモは何時見ても余り気持ちの良い場所ではないな」




 雑草が伸びっ放しで水もお世辞にも綺麗とは言い難い。誰が捨てたのか分からぬゴミが散乱していた。


 王都には下水道が通っていて、大雑把だがゴミや汚れを漉し取ってから川へ汚水が流される。下水は当然だが普段使う水が流される。トイレの水もそうなので汚水の捨てられる川は臭い。出来れば上水道も完備してくれたらもっとありがたいのだが。


 こんな所に捨てられた双子の姉妹に同情ながら、死体が発見されたであろう場所を目視で探す。




「――……あちらが発見された場所のようですね」




 わたし達が立つ場所から少し川の中へ入った場所にある、雑草が倒れてやや開いた場所を指差して伯爵に振り返れば、先程よりも嫌そうな色を浮べたブルーグレーの瞳と視線がかち合った。


「あそこに行くのか」という心の言葉が聞こえてきそうである。


 草だらけでゴミも多く、オマケに臭い。


 伯爵の高そうな服で立ち入るのは色々と問題だろう。




「分かりました。わたしが見て参りますので伯爵は暫(しば)しこちらでお待ち下さい」


「頼んだ」




 わたしの申し出に即答する伯爵を思わず胡乱な瞳で見上げてしまったが、当の本人は気付かないフリをする。ふっと軽く溜め息を零して一人で川原へ下りた。


 踏み締めた草の、柔らかくも足に絡み付く嫌な感触に眉が寄る。胸元近くまである草原を前進して何とか現場まで辿り着く。川の水が少なくて良かった。あの臭い水に浸るのは御免ごめんこうむる。


 既に双子の死体はなくなっていても、何か証拠や遺留品といったものが残っているかもしれず、伸びてわたしの背丈近くまである草を細々と掻き分けながら地面に視線を落とす。


 どれほどそうしていただろうか。


 不意に先ほどの教会で嗅いだ嫌な臭いが僅かに鼻を突いた。


 辺りを見回し、草を退けてようやく見つかったのは女性のものらしき細い指。紅いマニキュアの塗られたそれの途中に指輪がはまっている。銀のリングで紅い宝石を中心にリング左右に透明な小さな宝石が散りばめられた美しい指輪だ。


 胸元からハンカチを取り出して包む。


 他にも遺留品がないか確認したが、それ以外は望めそうになかった。


 また草を退けて戻ると佇んで待っていた彼がわたしの顔を見て眦(まなじり)を上げた。


「どうかしましたか」と、問う前に歩み寄って来た伯爵が胸元から出したハンカチでわたしの左頬をそっと拭う。見ればハンカチに僅かにだが血が滲んでいた。




「何時の間にか草で切れたみたいですね。お手を煩わせてしまいました」


「いや、この程度のことは構わん。行かせた私が言うのも可笑しな話だが、お前はもう少し自身のことに気を付けろ。……嫁入り前の娘が顔に傷など残ったら貰い手がなくなるぞ」




 後半は声量を抑えているものの、まるでじゃじゃ馬娘を諭す父親みたいな言い方に思わず吹き出してしまう。ムッとした表情をするクセにわたしのこういった無礼を許してくれる辺り、彼は本当に心が広い。




「心配ご無用ですよ。このような跳ねっ返りを欲しがる酔狂はいません」




 わたしの言葉に否定も肯定も出来ないと言いたげ顔をされる。


 それが余計に可笑しくて、笑いそうになるのを堪えつつ、ポケットからハンカチを取り出して見せる。中に包まれているのは先ほど見つけた指だ。




「これは?」


「今しがた現場近くで見つけました」


「指、か」




 ブルーグレーが一瞬宙を泳ぐ。




「ええ、指です。御覧にならないのですか?」


「……今更だがお前が女だという事実が信じられん」


「奇遇ですね。わたしも伯爵がこの仕事を今まで続けていられたことが不思議でなりません」




 伯爵は仕事上で何十、何百という死体を目にしていても慣れないらしい。


 だがわたしは死体に対してあまり抵抗はない。勿論、最初からそうではなかった。初めて見た時はショックが大きかったし、それから数日は思い出す度に鬱屈とした気持ちになった。


 しかし死んでしまえば人間だろうが動物だろうが生き物の死骸でしかないのだ。


 それが知り合いならまだしも見ず知らずの相手に何時までも泣いてやれるほど、わたしに情はなかったのだろう。薄情者と呼ばれようとも、非情と言われようとも、この仕事を続ける上で都合が良い。


 躊躇いながら、それでも意を決してわたしの手元に目を向ける伯爵の姿はどこか微笑ましく感じる。




「随分綺麗に切られているな」




 ハンカチに包まれた指を目にした瞬間、ブルーグレーの瞳から躊躇いの色が消え、真剣な眼差しで死体の一部を観察する。ほんの微かな情報も見逃さぬ鋭さだ。


 わたしからハンカチごと指を受け取って何かを確かめている。




「それに、かなり高価な指輪だ」




 細い指にはまったままの指輪を眺めながら呟かれた伯爵の言葉に問う。




「お幾らほどで?」


「お前の賃金の三月分でも足りるかどうか」




 それはお高い。お給金は年三回、四ヶ月分が纏めて支払われる。


 近侍が上級使用人なので屋敷に仕える者達の中でもそこそこ高給だろう。


 現代の金額に換算すると四ヶ月で二十八万ほど貰っているのだ。


 三ヶ月分なら二十一万。あまり売れない娼婦がそんな指輪を買えるのだろうか?




「この指、双子のどちらのものだと思いますか?」


「分からん。とりあえず安置所へ持っていって確かめるしかあるまい」


「……もう二月も経っていて状態が気になりますね」




 事件が解決するまで関連性のある遺体は安置所に置かれる。


 だが、いくら寒い時期で地下に置いてあっても死体は確実に腐敗する。




「言うな。……恐らく今お前が考えている状態だろう」


「臭いが取れなくなったらどうしましょうか」


「その時に泣くのはお前か従僕か、ランドリーメイドだろう」


「……言わないでください」




 近侍や従僕は主人の衣類の手入れや管理も行う。値の張る衣類や珍しい生地の汚れを落とす技術が必要で、ランドリーメイドに任せられないことも多く、その場合は近侍や従僕が洗って手入れする。


 腐敗臭と戦うのは心身共に疲れるので臭いがつかないことを祈るしかない。


 丁寧にハンカチを畳んで中身を隠し、それをコートのポケットへ仕舞う。


 馬車に乗り込もうとすれば御者の何とも言えない視線を感じて苦笑した。


 視線にはほんの少しの恐怖が混じっている。


 わたしや伯爵、警察達と違い御者は普通の人だから死体に恐れを抱くのは当たり前で、他人の死体の一部を平然と持ち歩くわたしに対して色々と思うところがあるのも無理はない。


 馬車に乗り込むと予定を変更して安置所へ馬を走らせる。


 早く死体の一部を安置所へ持っていかないと本当に腐敗臭が取れなくなりそうだ。


 数ヶ月前は花も恥らうお年頃な女子高生だったのに、香水どころか死臭を纏わせてるなんて、一体どんな女子高生なんだか。まあ、ここは現代じゃないからわたしも女子高生ではないけれども。


 仕事上致し方ない事柄だが何とかならないものか。


 吐きかけた溜め息を呑み込んで、伯爵へ問う。




「安置所へ行かれた後はいかが致しますか? 面会を終える頃には御昼食の時間かと思いますが」


「そうだな……。用事が済んだら一度屋敷に戻り臭いを落とす」


かしこまりました」




 やはりまだ気にしていたらしい。


 一応自分の襟元に鼻を寄せてみれば確かに嫌な臭いが微かにする。


 ……わたしも一度身綺麗にする必要がありそうだ。



 

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