ゆーれいさん

逢川ヒロ

プロローグ

 開いた窓から、鳥のさえずりが聞こえてくる。

 それに混じって、車の行き交う音が聞こえてくる。

 これが東京の朝、これが東京の日常。

「ふぁ……眠ぃ」

 腕を伸ばして、風になびくカーテンを一気に開ける。

 少し離れたところに見えるビル群。そこに反射する朝日に目を細める。

 散らかる部屋を抜け、冷蔵庫の元へ向かう。隙間の目立つ中から、天然水のペットボトルを取り出す。 

 上京したての頃は、車の音も、ビルに反射する朝日も、何もかもがうるさくて、新鮮で、そして何より楽しかった。

 それでも人間慣れるもので、一ヶ月もすれば、それはいつもの風景、ただの日常になる。

 そうして慣れると、田舎とあまり変わらない風景だと気付いた。窓の先が森からビル群に変わっただけ。獣の足音が車に変わっただけ。

 結局何も変わっていない。そう思ってた――訳なのだが。

「あー! まーた洋服脱ぎっぱなしじゃん。えー! 何この食べかけ、もったいない!」

「あーはいはい、スイマセンねやりっぱなしで」

「謝ればいい問題じゃないの。さ、早く洗濯機に突っ込んできて」

「それぐらいやってくれたって……何でもないです」

「素直でよろしい。それじゃ、私は朝ご飯でも作ってるから。…………そーだ、このゴミもどうにかしないと」

 この家に来てから一ヶ月。周りの風景も音も道も慣れたが、これだけはまだ慣れていない。

 彼女は自分の恋人でも、家族でも無い。引っ越した時に出会った赤の他人だ。

 そして彼女は――人間ではない。なんらかの理由で成仏できない自縛霊だ。

 そんな彼女が、今は何故か身の回りのことをやってくれている。

 ただただ散らかる部屋で、一人で寂しく暮らすよりかはマシだが、いつまで経ってもこの状況には慣れない。

 手に抱えた洗濯物を放り込む。以前回した時、彼女に怒られ、それから一切を任せている。未だに何がダメだったのかが分からない。


 部屋に戻ると、ちょうど台所で朝食を作っているところだった。

 家事系は大体彼女がやってくれる。一度だけ、さすがに申し訳なく思って手伝ってみたのだが、悲惨な結果で終わった。それ以来、ゴミ出しと皿洗いと洗濯物干し、あとは雑用全般が仕事だ。

「あ、ゆーくん皿出して」

「はいよ、これでいいの?」

「ん、ありがと。そこにこれを乗っけて……完成!」

 皿には、綺麗な目玉焼きが乗っかっている。綺麗な、ちゃんとした目玉焼き。

「見てみて! ようやく綺麗に作れたよ!」

「あ、今日こそはうまそうじゃん」

「むー、確かに昨日とか一昨日のはアレだったけどさ」

 アレに関しては思い出したくない。目玉焼きというか、もはや別の何かだった気すらする。

 冷蔵庫から醤油と塩と納豆を取り出す。三日連続で目玉焼きと納豆だったが、明日からはまた別のメニューになりそうだ。

「それでゆきさん、明日からは何作るんですか?」

「んー、フレンチトースト?」

 変に失敗しなければいいのだが……。


「それでゆーくん、最近大学はどうなの?」

 ネバネバ。

「別に、面倒な課題がいくつかあるだけだけど」

 ネバネバ。

「ふーん。……学校、楽しい?」

 ネバネバネバネバ。

「まぁ、一応」

 ネバネバネバネバ。

「東京慣れた?」

「だいぶ慣れた、かな。とりあえず新宿までは出れる……ハズ」

 納豆を混ぜながらの会話。いつも通りの朝。

 いつの間にか鳥の声は聞こえなくなって、車の音と、彼女の声だけが聞こえた。


「それじゃ、行ってくるから」

 時計を見て、リュックを背負う。

「ん、行ってらっしゃい」

 彼女に見送られ、家を出る。

 廊下を抜け、階段を下り、駐輪場にある自転車に跨る。

「さて、行くか」

 澄み渡る青空の下、軽快に自転車を進めていった。

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