LA

Prologue

Prologue.1

 神々しく月の光が差し込む森の中、女は独り呟く。歩調は芳しくなく時折振り返っては後ろ髪引かれる思いに胸が痛む。それもそのはず。ここは女の故郷。永き時をここで過ごしてきた。思い出は余り多くないとはいえ、その故郷を離れようとしているのだから。


 近年魔物共の数が急激に増えつつあることが分かった。日に日に数を増す魔物。始末しては増え、また始末しては増え、この数の増え方は尋常ではないと感じるようになった。


 何者かが意図的に魔物を作り出している?


 心当たりはあった。しかし確信は持てなかった。そもそも魔物を作り出したとして一体何の得があろうというのか。命の危険が脅かされるだけで得られるものなど何もないだろうに。だが、もしそれを承知で行っている者がいるとしたら……?


「止めなければならない。再び世界に、災厄が訪れる前に」


    ◇


 透過装飾物ステンドグラス越しに差し込む光が、礼拝堂の内装を一際美しく魅せる。燦然さんぜんと輝くその光は、今日ここに集った十二名の王国騎士就任を祝福しているようにも見える。


「静粛に」


 騎士十二名の前に立つ壮年の男が声を上げる。身に纏った礼装から、彼が他の騎士達と一線を画す騎士であることが分かる。


「まもなくここに王妃陛下が参られる。王妃陛下は国王陛下が倒れてからというもの、国事を一身に浴び、こなされてきた多忙の身である。その多忙の身である中、諸君らの騎士就任の儀を執り行ってくれることとなった。決して粗相の無きよう各人厳正に努めて貰いたい」


 鎧の軋む音が一斉に響き、騎士達が敬礼を行う。


 王国騎士として認められる者たちはいずれも王国屈指の精鋭。稀に民上がりの者もいるが、多くは王族・貴族出身の、十二分に腕の立つ豪傑である。もちろん、腕が立ち、格式を理解しているだけでなく、王国に忠誠を誓う者でなければ王国騎士にはなれない。王国騎士とは、名実ともに最高位の騎士なのである。


 先の発言の後、呼吸音一つ聞こえぬほどに礼拝堂は静まり返っている。誰一人微動だにせぬ中、騎士達の前に立つ男が手を掲げ口を開いた。


「おいでになった。皆の者忠誠を見せよ。故国に対する信義を示せ」


 かろうじて聞こえるかといった小さな音が遠方から聞こえてくる。その音は礼拝堂へと近付いてきていることから、王妃陛下の靴音であると推測される。靴音が複数聞こえるのは付き従う侍女たちの者であろう。

 

 騎士達は先と同じように音を立てその場に跪く。取り仕切っていた男もまた外衣を払い、正面を譲るように離れ跪く。


 靴音は王族専用の入口付近で止まった。小さく声が聞こえた後、靴音は一つとなり礼拝堂へと再び近付いてくる。恐らく入口で待つよう侍女たちへ命じたのであろう。靴音は同様の規則性を保ったまま礼拝堂内へと進み、騎士達の正面、祭壇の前方にて鳴り止んだ。


「皆さん、顔を上げてください」


 泉のように美しく透き通った声が響き渡る。誰の心にもその深い優しさが響き渡ったであろう。だがその声は、この場の誰もが聞き知った王妃陛下のものではなかった。


「なっ……。ひっ、姫様!?」


 男の驚嘆する声と共に騎士達が顔を上げる。そこには見知った王妃陛下の姿はなく、正装ドレスに身を包んだ少女の姿があった。


「姫様、何故このような場所に。それもそのようなご恰好で」


 男が驚くのも無理はない。姫と呼ばれた少女は、煌びやかな正装ドレスを纏ってはいるが、腕や脚、首元など露出が多い。王族の服装らしいといえばその通りなのだが、正装ドレスが似合う歳はもう少し先といったところだろう。


「黙っていてごめんなさい、ジークムント騎士長。私からお母様にお願いしたの。騎士就任の儀を私に行わせてほしいって」


 少女は少しだけ罰が悪そうにジークムント騎士長に顔を向ける。ジークムントと呼ばれた男は、「確かにもう国事に携われるようなお歳ではあるが、このようなご恰好でなくとも……」だの、嫁入り前の娘を見るように嘆いている。


「それにどうしても見ておきたかったの。もしかしたらこの中に、将来私の隣に立って、一緒に国を導いてくれる方がいるかもしれないと思って」


「急に何をおっしゃるのです、姫様!」


 先程までの威厳がまるで嘘のようにジークムント騎士長は狼狽うろたえている。騎士達も少しばかり動揺があるようである。一方そんなことを平然と言ってのけた姫は、驚いている騎士一人一人の仕草を見て自分も笑っていた。だが一人、一番後ろにいる騎士だけが微動だにせず跪いたままであった。姫はそれに気付きその騎士を不思議そうに眺めていたが、直後何かに気付くように驚きの表情を浮かべた。


「せ、静粛に! 静粛に!」


 咳払いを一つし、ジークムント騎士長が声を上げる。


「姫様、心にもないことをおっしゃるのはやめて下さい。ここに集った者達は文武に秀でた猛者なれど、国を背負って立つには未熟者ばかり。これから国事に携い多くの経験を経て騎士として名を馳せても、姫様とはご身分が違いまする。国王陛下の心労にも関わります故、どうか軽率な発言はお控え下さいませ」


「そこまで言わなくても……。ごめんなさい、ジークムント」


 先程の笑顔とは打って変わり心から反省していることが表情から伺える。実際ジークムント騎士長の言うことは正しい。なぜなら、これから王国騎士として就任することになるが、今はまだ未熟であることに変わりはない。将来のことなど誰にも分かりようがないが、現在を疎かにする者が将来そのような立場に立てるはずもない。だが大きな問題はそちらではない。問題なのは『身分』だ。


 この国では王族の下に、王族と所縁のあるものの直接政治には関わらない下級王族があり、その下に王族を支える貴族がある。そして貴族の下、最下層に民と総称される者達が城下街にて暮らしている。先にも述べたが王国騎士となれるのは生粋の精鋭であり、王族・貴族が主となっている。そういう者であれば、万に一つの可能性として、姫を娶り国を導く王となることも考えられるだろう。しかし此度、王国騎士となる者の中には王族でも貴族でもない者が一人混じっている。所謂、民と呼ばれる者だ。


 ジークムント騎士長は王国騎士となる者の経歴について、事前に調査を行った。その中で身分は民ではあるものの、捨て置くには惜しい人材として推薦されていた"彼"を見て納得してしまった。剣の才は申し分なく、民出身とは思えない教養も持ち合わせている。器用さは貴族顔負け。頭の回転も良く、何より"彼"を担当していた教官によると、「守ろうとする意志が群を抜いて高い」ということであった。


 ジークムント騎士長は"彼"の王国騎士推薦を受理した。そして"彼"は試練を乗り越え、十二人目の王国騎士として認められた。しかし如何に優れていようとも、民出身の者が姫を娶るなど、ましてや王となるなど断じて許せるものではない。先程の言葉は、云わば"彼"に余計な期待を抱かせぬよう釘を刺しておくためのものだ。


「いえ、私の方こそお言葉が過ぎました。この度の姫様への非礼、王妃陛下へご報告し我が身を罰して頂きとうございます。しかし今は国事の最中にて、何卒」


 ジークムント騎士長は膝を折り頭を下げる。一方姫は、そんなジークムント騎士長の姿に小さな溜息を吐き困惑していた。


「あなたがそう言うのでしたら止めはしませんが。私は別に何も……。それよりも今は、あなたが言うように優先すべきことがありますね」


 姫が騎士達に向き直る。頭を上げていた騎士達は姫が向き直るのに合わせ一斉に下を向いた。


「皆さん、そんなに畏まらないで下さい。頭を上げて、一人一人その顔を私に見せて下さいませんか」


 一人また一人と顔を上げ、姫はその顔を順番に見ていく。王族特有の自信に満ちた顔。日々の訓練で培った戦士としての顔。皆それぞれの顔を姫へと向ける。順番に見てきたところで、一番後ろの騎士だけが未だに顔を上げず跪いていることに気付いた。


「一番後ろのあなた、私にあなたの顔を見せて下さいませんか」


 先程の騎士だ。微動だにせず、一度も顔を上げず、跪いたままの。


「畏れ多くも、私の身分では姫様を見るに適わず。ご容赦を」


 伏したままその騎士は答える。言葉の内容から察するに、この騎士が"彼"、唯一の民なのであろう。


「忠義に厚いのは結構なことだが姫様を困らせるものではない」


 ジークムント騎士長は姫の隣に立ち最奥の騎士に声を掛ける。その騎士は一瞬だけ躊躇いがあったようだが、「はい」と短く返事をし、頭を上げた。


 声相応の青年。その瞳には、青年の心を映し出したかのような確固たる意志が秘められている。


「えっ……?」


 姫はその騎士の顔を見て言葉を漏らす。そして時を忘れたかのように茫然としていた。


「……姫様?」


 ジークムント騎士長が声を掛け姫は我に返る。


「あっ、ごめんなさい。少しぼーっとしてしまいました。ようやく全員の顔を見れて安心したせいかもしれません」


 少し申し訳なさそうに姫は笑う。ジークムント騎士長は姫の普段見ない様子が少し気掛かりだったようだが、これ以上口を挟むことで騎士就任の儀が遅れることを危惧し黙ることにした。


「改めまして」


 先程までの少女の顔とは一転し、未だ幼くも凛々しい王女の顔に変わる。


「ここに集いし十二名の騎士に、我がクルーエルア王国最高騎士『王国騎士』としての爵位を、私クルーエルア王国王女、ティアナ=アリアス=クルーエルアが授けます」


 その御言葉と共に一同携えていた剣を抜き、自身の膝前に置く。


「貴殿らが王国騎士に就任するその証明として、クルーエルア王国の紋が刻まれた騎士剣を授けます。この剣は、貴殿らが王国騎士であることの証明と共に、その誇りを我がクルーエルア王国に捧げたことを意味します」


 ジークムント騎士長が騎士剣を手に取りティアナ姫に渡す。ティアナ姫は騎士剣を手に取るが、予想していたより遥かに重く落としそうになる――が、それは想定していたかのようにジークムント騎士長が支える。ティアナ姫は内心安堵しつつ、元の表情に戻り言葉を続けた。


「貴殿らの未来に祝福を。クルーエルアに栄光あれ」


「クルーエルアに栄光あれ」


 ティアナ姫の言葉に騎士達が続ける。


 ここからは騎士剣の授受を行う。本来は王国最高位に位置する現クルーエルア王より賜るのだが、今回はティアナ姫が執り行う。ジークムント騎士長は涼しい顔を装っているが、内心ではティアナ姫が指を傷付けたりしないか気が気ではないようだ。騎士剣の授受の際、その決意と誇りを捧げ代わりに騎士剣を賜る。


「あなたの未来に祝福を」


 ティアナ姫が最初の騎士に騎士剣を手渡す。騎士は顔を上げ、ティアナ姫へ真っ直ぐに視線を向け口を開いた。


「有難き御言葉。我が身はこの国とティアナ姫のために」


 騎士は剣を手に取り、自らへ突き立てる仕草をした後に鞘へ納める。そして今度は地に横たえていた自身の剣を取りティアナ姫へと捧げる。ティアナ姫はその剣を取りジークムント騎士長へ手渡し、ジークムント騎士長はその剣を、事前に用意している鞘へと納める。


 これが騎士剣の授受の一連の流れである。騎士にとって剣は己の半身であり誇りである。その半身を国へと捧げる行為は、国への忠誠を意味する。


「感謝致します。我が命、我が剣、必ずやこの国の繁栄に尽くすと誓います」


 十一人目の騎士の騎士剣の授受が終わる。ここまで何事もなく事は運んだ。ジークムント騎士長が危惧していた、ティアナ姫が怪我をしないかという不安も杞憂で済むかもしれない。だが問題は次だ。十二人目の騎士にして民出身のあの騎士である。


 実際、問題なのはこの騎士ではないのかもしれない。この騎士の顔を見た時の姫の態度、それはジークムント騎士長にとって今までに見たことのないものだった。何故そんなことになったのかは分からない。今はそのことを気にしている場合ではないのかもしれないが、抜身の剣を扱っていることもある。用心に越したことはない。


 ティアナ姫はジークムント騎士長より剣を預かり、十二人目の騎士に向き合う。そして一言、全ての騎士達に告げてきた言葉を告げた。


「あなたの未来に祝福を」


 言葉を掛けられた騎士は顔を上げ、ティアナ姫を真っ直ぐに見据え答えた。


「――――」


「えっ……?」


 騎士剣がティアナ姫の手を離れ、地面に落下し鋭い音を鳴らす。他の騎士達は異変に気付き、その視線はティアナ姫へと向けられる。ジークムント騎士長も慌て、ティアナ姫へ声を掛けようとした。しかし言葉が出てこなかった。


 ティアナ姫は泣いていた。


"彼"を真っ直ぐに見詰めたまま。

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