五十話 日常

「なあ、そろそろいかないのか?」

「んんー……ええと、ああー……。……第一地区の最後の空白部分?」

「だいぶ忘れてたろ」

「ええと……えへへ?」


 今日もまた遥の部屋にいた。俺は地面に座り、ベッドの側面を背もたれの代わりに使っている。遥はベッドの上で体育座りをしながら本を読んでいた。いつものポジションということだ。


「はあ……。そんなにこれが面白いのか?」


 そういいながら月刊ムーを見せる。遥は魔法のことを調べているようだが、思ったよりも長い期間調べていた。工業地区に行ったのは一週間前のことだ。


「む。面白いに決まっているでしょ! 魔法に占いに未発見生物……わからないこといっぱいでとっても素敵だよ! 彼方君にはわからないの?」


 あらゆる学問に対しての厄介オタクになっている遥だが、オカルトに対しての好奇心は並みならぬ物のようだ。他の話題に比べても明らかに食いつきが良い。


「まあな……俺だって昔はチュパカブラの話に目を輝かしていたからわからなくはないけどなぁ……で、遥は今、何を呼んでいるんだ?」

「うん? 今は、群論の本だけど?」


 不思議そうに小首をかしげる。くっそ……かわいくしたら許されると思いやがって……。しかし、実際にかわいいのだから手に負えない。


「いや……群論ってなんだよ。それは本当に魔法に関係しているのか……?」

「ええー私は関係していると思って読んでいるけど?」


 そういいながら数学の専門書を見せてくる。俺には正直なところ、どう考えても魔法と関係するようには思えない。


「いや……オカルトはオカルトだし、科学は科学だろ……」

「んんー。どうなんだろね? 私は情報論を知るために今、群論をやっているけど?」

「情報論?」

「そ。情報論」


 そういうと麦わら帽子のつばを指でいじりながら遥は話し出した。


「結局のところは魔法は認識の集合体でしかないから、魔法はなにかしらの情報に還元することができるの。だからね。私に必要なのはその情報をどうやってうまく扱うかなのかなぁって思ってね」

「はあ……」


 あいかわらずよくわからないことを言っている。魔法が神秘と合理的観点から生まれた『こじつけ』なことは前に遥と話した通りだ。それを情報として定量的に遥は捉えようとしているらしい。それが俺にはどういう意味なのかよく分からなかった。


「もー。彼方くんも読んでみればいいのに……」

「いや、読んでもわかんねぇよ」

「そう? 彼方くんは私の知らないことをたくさん知っているし、わかるかもよ?」

「それで理解できるようなら俺の人生はもっと楽だったわ」

「ふーん……彼方くんも頭良いのに……」


 そんな専門書を突然読んで理解できるのならば、俺はもっと楽にテスト勉強もできただろう。遥を基準で話されても仕方がないのだ。


「まあ……いいや……結局、まだ行く気は無いんだな」

「んんー。そうなるねぇ」

「まったく……じゃあ俺もいけないだろ」


 遥と一緒に行くといった以上俺には待つしかない。正直月刊ヌーは何冊目かよくわからないし飽きてきているのだが仕方ない。

 そんな俺を遥はきょとんとした目で見ていた。


「……なんだよ」

「えっと、ちょっとびっくりしたなぁって……」

「何がだよ」

「だって今までだったら勝手に行ってたでしょ?」

「ああー……」


 言われたらそうかもしれない。それだけ俺は過去に変える手段を真剣に探していたのだ。ただ、だからといって今が不真面目になったわけではない。今だって雲をつかむような話だが魔法を調べているのだ。


「だって遥と約束したからなぁ」

「そっか、約束したもんね。うん! 約束したもんね!」


 そういいながら嬉しそうに口元を本で覆った。俺には何が嬉しいのかよくわからないが、まあ。嬉しそうな分には問題ないだろう。そうやって勝手に納得して雑誌に目を落とす。

 いつもの信ぴょう性のないオカルトが俺のことを待っていた。

 それからはしばらくの間、俺と遥は何も話さず本の続きを読んでいた。紙がすれる音と呼吸音が響く。

 世界に俺と彼女しかいないみたいだ。

 実は俺はこの時間があまり得意ではない。好きではあるのだがなんだかそわそわした気持ちになってしまう。遥はきっと気になっていないのだろうが。


「リサさんが」


 つい俺の口からでた言葉はそんなものだった。


「えっと……リサさんに会ったよ」

「そうなの?」

「ああ。最近、あの人、食事にも来てないだろ。でも海で会えたぞって話」

「ふうん……確かに私もあまりリサちゃんに会えてないかも……」


 どうやら遥もそんなに会えていないようだ。もとより生活リズムがめちゃくちゃな人なのでこういうことも珍しくはないのだろうが、前のことがあるから心配になる。

 あれからリサさんはしているのだろうか?


「なあ。遥。最近リサさん何かあったか?」

「うーん、どうだろ? 雨の日が増えたとか? ここ数日は晴れだけど」

「ああー確かに晴れだな……」


 俺がリサさんと話した次の日から雨は止んだ。これが何を示しているのかは俺にはわからない。それでも何かしらの吉報であることを望んでいた。


「いやいやそういうことじゃなくて……ええと……リサさん何か話していなかったか?」

「リサちゃんが……? 何か言ってたかなぁ」


 そういうと何かを思い出すかのように斜め上の方を見た。瞳が何度か光って色を変える。そしてから一言「特にないなぁ……」と言った。


「そ、っか……」


 俺は安堵にも落胆にも似た声を出した。

 何を期待していたのだろうか? リサさんの救いか、俺の救いかよくわからない。それでも現状維持という甘い蜜は俺の心を腐食させるのに十分なものだった。


「ああーでも工業地区のことは聞かれたかも?」

「工業地区?」

「そうそう」


 工業地区――この世界での空振りシリーズの第……何番目だ? 正直なところ空振りじゃなかったことの方が珍しい。大体何もわからずに終わる。

 ここもそんな骨折り損のくたびれ儲けの一つだ。別に何もなかったわけではないが普通の3Dプリンターでは生成できない大型のものを作成できるぐらいしかメリットは無い。ちなみに作成を依頼すると、残りはロボットが自動的に組み上げるので結構早く生成できるようだ。


「リサちゃんとしてはそんなに興味なさそうだったけどね」

「まあ、だろうな」


 あのリサさんが特別に興味を出していたらその方が反応に困る。あの人の無気力の原因がわかりつつあったがそれでも、それだからこそ興味津々のリサさんなんて思いつきもしなかった。

 遥を見る。

 いつものように麦わら帽子を被って、ちょこんと座っている。目は新しいものを探してキラキラと輝き、無垢な心をもってスポンジのように知識を吸っている。


 リサさんにもこんな時期があったのだろうか?

 司さんがいなくなってからの十年の間。ずっと一人で部屋で心を錆びつかせて、風化させていたのだ。それはもうきっとカラカラに乾くまで。

 リサさんが何かを手に入れられる日も来るのか? 暗く沈んだ泥のような感情も引きずりあげられて昇華されるのか?

 俺にはわからない。わかるわけがない。


「リサちゃんはなにかんがえているんだろうね? 今日もどこかに行ってたし」

「さあな……まあ、海には行ってないだろ」

「……なんで?」

「なんとなく」


 雨が降っていないのだから行っていない。そんな予想が俺の中にはあった。実際そうなのかはわからない。なにせリサさんは好きな時間に起きて、寝て、好きな時間に出かけるのだ。

 それはお散歩プロフェッショナルの遥でさえ数週間に一回捕まえられるレベルなのだ。まるで規則性が無い。普通の人間で、普通の体力しかない俺ではリサさんの行動は予想することしかできなかった。


「ねーねー。なんで海には行ってないと思うの?」

「いや、何となくだよ。勘」

「勘……便利な言葉だね……ずるい」


 非難めいた目を感じるが努めて無視をする。リサさんが海の前で傘をさしていた話はしない方が良いと思ったのだ。

 なんだか……リサさんのプライバシーにかかわる問題の気がする。実際にリサさんがアレをどのような問題に区別しているのかは当然知らないのだが。


 

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