三十四話 よりどころ

 そうやって昔話やら神話の話をしながら歩いていると、見覚えのあるドーム状の建物が見えてきた。——『図書館』だ。


「やっぱりここにもあるんだな」

「ねー」


 外観はいつもの図書館とほとんど違いはない。それでも、思わず生唾を飲み込んだ。ここには俺の全く知らない情報が山ほどある可能性があるのだ。


「……行くか」


 焦る気持ちを落ち着けて、冷静になるように努めながらドームへ向かう。また意味不明のどうでもいい情報しかないかもしれないのだ。


「遥は図書館に何があると思う?」

「ん? 何もないんじゃない?」


 遥に尋ねてみたのだがつれない返答だった。まあ、彼女からしてみたらどれも同じようなものかもしれないし期待もしていないのかもしれない。彼女の期待は初めて行くところに行ける期待だけだ。


「本当に何もないと思うか?」

「今までは何も無かったしそうじゃないかなぁ」

「俺は何かあると信じているのだが……」

「そうなの?」

「ああ」


 個人的には何か新しい情報が無いとかなり悲しい気持ちになるので、それが期待の要因になっているのは否めない。この世界に来てから二か月半の探索の成果が出て欲しいと願っているのだ。


「ふーん……だったら今日は彼方くんについてくね」

「え?」

「だって何かあるんでしょ?」

「いや、あると決まったわけでもないんだけどな……」


 いつも遥は読画をするためにふらっと消えていたのだ。今回はついてくるらしい。まあ、遥らしい単純で人を疑わない行動だ。


「ん……ついたね……ちょっと大きくない?」

「確かに」


 ふらふらと歩き、図書館の前にたどり着いたのだが様子が少しおかしい。明らかにいつもよりも大きい気がするのだ。映像記憶のような記憶力を持つ遥が言うのだから間違いない。


「まあ、とりあえず入ってみるか」

「うん!」


 元気に頷く遥と共にドームの前に立つ。自動ドアのため勝手にドアは開いた。そこで俺は中に入るのを躊躇してしまった。


「……彼方くん?」

「あ。ああ、なんかな……ちょっと覚悟がな……」

「覚悟? 変なの。そんなことは置いといて、中に入ろうよ!」

「うわっ、ちょっと……手を引っ張るな!」


 遥に手を引かれて中につんのめるようにして入る。ドアが開いた時点でわかってはいたが結局同様の施設のようだ。……ならば、青色の石は? ……あった。あれを確かめなければ。

 遥は物珍しそうにきょろきょろとしながら歩いている。俺には同じにしか見えないが彼女には初めてに感じる点があるのだろうか? そんな遥を尻目に俺は石へ向かった。


 いつもの石だ。間仕切りの中にぽつんと寂しそうに存在している。

 横にある長めのソファーがあった。このソファーに人が座ったのは何千年前のことだろうか? 埃さえも液化するこの世界では、つい昨日まで現役として使われていたようにしか見えない。

 それでも長い長い間。この石は俺を……人を待っていたはずなのだ。

 ソファーに腰をかける。上質な低反発の素材の物だった。まあ、ここに上質でないものは無いのだが。それに、このソファーと同じものは第七地区でも見た覚えがある。


 石は何も言わない。俺から話しかけないと何も返しては来ない。ただの道具だからだ。それは中にどれだけ情報があろうが変わらない。中に情報が全くなくても同様だ。

 俺は二か月半で何かを得ることが出来たのだろうか? わからないがきっと得ているものは多くは無い。ここで起死回生の一手を得られなければもう終わりかもしれない。

 今まで第九地区に膜があったのはある意味では救いだったのだ。『まだ探索できる余地はある』、『でも入れないのはしょうがないなぁー』、『まあ仕方ないね』……俺はこの言い訳をしているのが好きだったのだろう。


 ——弱虫。

 彼女の声が聞こえた。相変わらず手厳しい。お前だって俺を手放したくない弱虫だったろ。

 どうしても手放したくないくせにそれが認められなくて。そうやってできたのが俺の胸の傷だろ? 俺とお前の弱さの集大成なんだから自分だけ棚に上げるのは辞めて欲しい。まあ、こうやって悪態をついても彼女はここにはいないのだから意味は無いのだが。


「っう……すう」


 息を整えて、石を睨むようにして見つめる。進まなきゃいけない。どうせそれが最善手なんだから。俺は俺の知っている中での最善手を選ぶことしかできないのだから。


「……っし。行くか」


 意を決した。

 早いか遅いかの違いなんだからさっさと確認してしまえばいい。いままでと同じ要領で石に意識を傾けていく。額の方から視野が広くなるような感覚がして、意識がリンクしていく。

 青色だ。

 どこまでも青い螺旋状の世界が見える。


「……っ!」


 そして変化は突然現れた。なめらかに広がっていた螺旋状の世界がモザイクのように画質が悪くなる。いや、拡大されていくのだ。

 今まで視界に見えていた均一な世界は、おびただしいほどの『何かの情報』で構成されていたことに気づく。その情報同士は何か相関関係のあるものでは無い。すべての情報が一緒くたに詰められているのだ。

 無意識にその一つを詳しく見ようと目を見開いた。特に意識をしていた行動では無かったのだがそれが問題だった。大量の情報が流れ込んでくる。それは人類の歴史そのものだった。

 ——鈍痛……激痛!


「がっ! あああああ! あ!」


 目の裏にこぶし大の石をねじ込まれたような痛みが走る。あまりの衝撃に手足がびくりと痙攣して体が弾かれた。ただ、そのおかげで意識が石から離れた。つまり現実に帰ってくることが出来たのだ。

 ゆっくりと呼吸を整える。息を吸って吐くだけの単純な行為。そして現状を少しずつ理解して肌が粟立ち始めた。

 ——これは……まさか本当に!?

 もう一度意識を傾けようとする。だが、先ほどの衝撃を思い出して二の足を踏んでしまった。それでもこれは間違いないだろう。


 これは原本だ。図書館の、人類の歴史の原本だ。いままで積み上げてきた人間の記憶そのものだ。


「彼方くん?」

「……遥。これは凄いぞ」

「……? いつもの図書館じゃないの?」


 さっきの声に反応したのだろう。ひょっこりと遥がやってきた。彼女の瞳は俺たちのいる空間を取り込んで、淡く青く光っていた。





「ねえねえ! 彼方くん! すごいよ! すごいよ!」

「……ああ」


 遥は横で語彙力を溶かして、すごいすごいbotとなっていた。もともと知的好奇心の塊の彼女にこんな大量の情報を与えたらそうなるに決まっている。

 俺たちはソファーに座って石を使っていた。

 どうやら二人同時にでも使用可能のようだ。石によって肥大化された意識の中にはふわふわと浮く俺と遥がいる。


「まあ……遥の情報処理速度もすごいと思うんだけどな」

「ん?」


 猛烈な速度で情報をかき集めている遥にドン引きしながら話をする。

 俺はいっぺんに情報を扱うと脳みそがオーバーフローするようなのだ。チップが無いのが原因だろう。なので、脳をいたわりながら一つずつ情報を精査していた。適度にトリミングして生成した青色の立方体を展開して情報を読み取る。

 それに対して遥は俺の十倍以上の速度でデータを処理していた。どこからか持ってきた立方体をあっという間に細かくバラバラにしていくのだ。それも同時に複数の立方体に対しておこなっている。



「ねえ! 2013年が彼方くんのいた頃だよね!」

「ん? そうだな」


 手に持っていた立方体を投げ捨てて遥が聞いてきた。なんだろうか?


「んー、じゃあここら辺だね!」


 そうやって言うと両手を空間に突き刺す。そこから葉脈状に亀裂が走り、縦横何十メートルの立方体が取り出された。そして遥はその巨大な立方体に腕を突っ込んで小さな立方体をもぎ取った。


「うわー……そんなことできるの? やり方かなんか知ってるの?」

「わっ! 雪! 満員電車! 人がいっぱい! なにこれなにこれ!」

「ええと、遥さん聞いてます?」

「すごい! すごい! 見たこと無いものがいっぱい!」

「ああ……返答は無理そうだな」


 俺も遥にならって腕を突っ込む。がりがりと何か嫌な音が頭の奥からしたが、それは無視をして手のひら大の立方体を切り取った。

 そこには俺の良く知っている世界が広がっていた。

 別に特筆すべきではない当たり前があった。悪意があった。どこまでもどんよりとしていて誰も救われない。ごみごみしていて窮屈な世界。不快なことをもっと不快なことで上書きして、常に頭痛が続く世界。

 懐かしい世界だった。

 俺の居場所だった。なんだか妙に感傷的な気持ちになってしまった。


「遥? なあ。遥?」

「え! これなんだろ! すごい!」

「遥」


 さっきの比ではない速度で立方体を崩す遥の肩を叩く。呼びかけても反応しないのだ。


「……ん? あ。彼方くん?」

「おう、俺だ」


 遥の周りには大小さまざまな青色の立方体が浮いていた。その立方体には俺のなじみのある光景が広がっていた。


「これが俺の世界なわけなんだけど……どう?」

「どうってのは?」

「ああーいや単純に感想を聞いている」

「感想……感想……」


 愛らしく小首をかしげながらふわふわと浮く。彼女に俺の世界の話を聞いても意味は無いのだが、聞いてみたくなってしまったのだ。


「うーん……うん! 楽しそうだと思う!」

「楽しそう、か」


 予測のできた返答だった。そもそも彼女に楽しい以外の尺度があるのだろうか? 答えがわかっていたのに聞いたのはただの自己満足だろう。


「そうだよな。楽しそうだよな……はは」

「んんー……でも、それだけじゃないかなぁ?」

「ん?」

「すっごいね……優しい? んー……あたたかかったよ!」

「あたた……かい?」

「うん!」


 予想外の言葉が返ってきた。あたたかい? あの世界が? 俺には残酷で醜いものにしか見えなかったのだが?


「沢山人がいてね! 助け合って、たまには喧嘩なんかもしているんだけど一緒に暮らしていてね。そんな人たちが何十億人もいるの! 何十億もだよ! すごくない!?」

「……まあ、そうだが」


 あいかわらず頭がお花畑のことを言っていやがる。本気で言っているのか? 彼女は悪意の存在を知らないのだ。むかつく。


「それ以上にいがみ合っている人の方が多いだろ。みんな喧嘩ばかりでさ。ほら、殺し合いだってある」


 つい彼女の言動にイラついてスナップ写真を一枚引き抜く。よくある居酒屋でおっさんが喧嘩している写真だ。片方が割れた酒瓶を持っていてかなり危ない。紛争地帯の血みどろの写真も引き抜くことが出来たのだが、それを見せるのは流石に良心がとがめた。


「んんーそうだねぇ。確かにあるみたいだね」

「だったらさ」

「でも優しい人がいることは変わらないでしょ?」

「……っ!」

「別に辛いこととか悲しいことがあったとしても、あたたかいことが帳消しになるわけではないもの。それが何十億もあるんだからすごいことだよ」


 遥の視線が俺を刺すように射貫く。その瞳には確かに優しい色を持っていた。あたたかい。この色はきっと俺の世界を反射して出来た色なのだ。彼女の瞳が嘘をついたことは無い。いつも目に見えるものを瞳にとりこんでそのまま映し出してきたのだ。

 注視する。

 その瞳の奥にもっとどす黒い色は無いのか? 悪意の片鱗でもいいから醜い色が無いのか?

 それでも彼女の瞳は優しい橙色だった。暖炉のような彼女の瞳を見ていると、なんだか自分の世界を貶していた自分が馬鹿みたいに思えてきた。


「……悪い。確かにそうかもな」

「うん! そうだよ! やさしい世界だったよ!」

「ああ」


 胸のつっかえが取れたような、拍子抜けをしたような気持ちになる。

 反射的に『きっとそういう世界の見方もあるのだろう』と彼女との間に一線を引こうとした。それでも悪意ばかりをよりどころにしていた自分に気づいてしまい、そんな自分を深く恥じることになった。

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