三十二話 魔法

「にしても、膜についてまだ続きがあるなんて……なんでリサさんは最初から教えてくれなかったんだよ……」

「ねー」


 文句を言いながら俺たちは第八地区の道を歩いていた。もちろん第九地区に向かうためだ。原因はリサさんの発言にある。

 昨日の誕生日パーティーの時に第九地区が話題に上がったのだが、それに対してリサさんが


『第九地区の膜? あーなんか合言葉が無いと入れないやつねー』


 と、ぽろっと言ったのだから大問題になったのだ。

 合言葉? 合言葉が必要なんてことは知らない。遥も知らなかった。俺たちの表情を見て、リサさんは一瞬だけ焦っているようにも見えた。

 俺がそれについて問い詰めると、まあ一応は話をしてくれた。どうやら第八地区の膜は真剣に調べるとメッセージのようなものが出るらしい。ついでに言えばチップが無いと読み解くことが出来ないそうだ。

 ……つまり今までの探索の仕方ではわからないところにあったと言うことだ。遥の助けが無いとわからない。

 ちなみに何を言えば合言葉として正しいのかはリサさんも知らないらしい。


「第九地区に何があるかなぁー。ねーねー」

「遥も行ったこと無いんだもんな」

「うん!」


 俺としても初めて探索できるところなのでかなり期待をしているのだが、遥はどうやら俺以上に期待しているようだった。

 生まれてから十三年間。同じ箱庭でぐるぐるとしてきたのだ。

 確かに期待しても仕方ないのかもしれない。


「でもなぁ……第九地区なぁ……」

「彼方くん?」

「……本当になんかあるのかぁ?」


 どうしても怪訝な表情をしてしまう。そりゃあそうだ。今までの探索で碌なことが分かったことが無い。また毒にも薬にもならないことがあるのではないのだろうか?


「彼方くんは第九地区に何もないと思っているの?」


 軽く首を曲げて、距離を詰めてくる。漆黒の髪と麦わら帽子が視界に割り込んできた。横目で彼女を見ながら答える。


「まあな。それになにかあったとしても役に立つかは別だしな」

「別?」

「そ」


 そうなのだ。もしも何か良い情報があったとしても、それが役に立つか……すなわち、滅亡の危機から救われるためのキーになるかはまた別の問題なのだ。

 たとえば、宇宙に飛び出すためのロケットの情報があったとする。ここで問題なのだが、このロケットを作成することはできるのだろうか?


 一時期は3Dプリンターでなんでも作ることができると思ってはいたが、限界が存在していることはもう薄々理解している。例としていうのならば塔の建材などが最も良い例だ。

 塔は建てられてからすでに何千年もの時間、液化の被害を受けているはずだ。なのになぜか建材は液化されず、今も姿を変えていない。もしも3Dプリンターで液化しない物体を生成できるのならば、すでに問題は解決しているのだ。

 きっと3Dプリンターには限界がある。

 前に膜を破壊しようとした時にも爆発物は生成できなかったのだ。


「なんか魔法みたいな都合の良いものがあったらいいんだけどな」

「『マホウ』? 『マホウ』ってなに?」

「あ。魔法も知らないのか。そうかそうか」


 科学でなんでもできる世界ならば魔法という概念が無くても頷けるな。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。どこかで聞いた言葉だが出典は忘れてしまった。


「魔法……ええと、不思議な力で空を飛んだり、人の心を読んだり、物を動かしたりだな……」

「それができたら魔法なの?」

「……他にもいろいろあるぞ。火を出したり、怪我を治癒したり……」

「ふーん。そんな感じなの?」

「……ごめん。ちょっと待って」


 しまった。魔法で起きる現象を説明しても意味がない気がする。しかも、その気になればどれも科学力で実現できる気がするぞ。俺が適当なことを言うと、それが彼女の常識になるんだ……。責任重大。落ち着け。


「そうだな……遥は神様をどう思っている?」

「神様?」

「そ。というか神様の概念、わかる?」

「バカにしないでよー。知ってるよ? なんかすごい人でしょ?」

「……そもそも人という認識が間違っている気がするのだが。というかこの世界……遥の宗教観はどうなっているんだ?」

「宗教?」

「そうだな。なんか信仰していたりしない?」

「別に」

「だよなー」


 やはり無宗教のようだった。まあ、もしも宗教があるのだとしたらこの状態の俺たちを救って欲しいんだけどな。

 ……いや? 今の俺たちは世界の終末に間違いないのだから、これから救済されるのだろうか? 神の国が降りてくるだろうか? ——お前が救われるわけがないだろ。


「じゃあ、その宗教に対しての知識も基準教育で得たもので終わりってことか」

「ん。そだねー」


 そうやって考えると、神様に対しての印象が『なんかすごい人』でも頷ける。基準教育はだいたい六歳児くらいの知能、知識、体力になるまで強制的に成長させる方法だ。そこから変わってないのなら、六歳児の神様に対する認識なんてそんなものだろう。


「そういえば海神教に対してはどう思った?」

「変な人たち。海を信じる人もいるんだなーって思った」

「……おーけー。理解した」


 彼女の雑な宗教観はだいたい理解した。そもそも『信仰』という言葉が彼女の中には無いのだろう。

 魔法。遡っていけば様々な話に分岐すると思うのだが、魔術は宗教と密接に関わってくるのだ。切っても切り離せないといっても過言ではない。正確には宗教というよりも『信仰』そのものだと思う。何かを信じて、怪しい儀式をし、不思議な力を得るというものはよくある話だ。

 たとえそれが箒に乗って、夜な夜なアンチキリストの象徴の山羊と乱交をするような内容でも彼女達は確かに魔女として恐れられていたのだ。


「あー……でもどうしようか……科学とも関係した言葉だしなぁ……困るなぁ」


 面倒なことに科学とも関わってくる。様々なことを知っている賢人をそのまま魔法使いのように崇めていたこともある。しかも宗教がその地域の知を独占して保有している場合も多くあった。

 そうなると宗教家として身を立てることは、ある意味学者としての地位でもあったのだ。そして宗教家であるのは当然、魔術とも縁が深くなる。


「いや、そもそもあれか? もっと緩いファンタジー的な? 魔力が凄いとかは? ダメかな? うーん」

「彼方くん?」


 かなり悩ましい。もっとふわっと、魔力ですごいことをして嬉しいね的な説明でも許される気がしてきた。実際、剣と魔法のRPGだとそういう認識になるだろう。うーん? とりあえずふわっと言ってみるか?


「あー。うん。よし。決まった。魔法って言うのは不思議なことの総称だ」

「不思議なこと……うん? うん。どうして不思議なことができるの?」

「そうだなぁ……色々あると思うがやっぱり神様が俺たちを祝福しているからだと思うな」

「神様? あのすごい人?」

「そうだ。そのすごい人だ」

「どうしてすごい人は私達を祝福するの? どうやって祝福するの?」

「んんー……やっぱり俺たちを愛してくれているから? ……? 神様が愛してくれているって考え方はキリスト的な考え方すぎるか……。ごめん、今の無し」

「……? キリスト的……?」


 遥が困惑しているがとりあえずは保留しておく。俺としては神様が愛しているから、救いがあるとかいう考え方は好きにはなれなかった。

 たぶんこう言うと『あなたは神からの無償の愛に気づいてないだけなのですよ』とか、『神に今までのことを懺悔して人生をやり直せば何度でも神の救済は訪れます』とか言われてしまうのだろうか?


 ……個人的な感想なのだが、たぶん神様は俺のことが好きじゃないと思う。神様が人間を土塊から神の御姿に似せて作ったとはいえ、俺は俺自身が神に似ているとは思えない。むしろ冒涜のようにすら感じる。

 きっと神様は俺を愛さない。ならば神様はいつ俺を助けてくれるのだろうか? 神様の愛も信じられないくせに俺は何を信じるのだろうか? 俺は何かを信じてこれたのだろうか?


 何度も言葉が浮かび消えていく。それは過去への後悔と謝罪だった。俺はもっと人を助けて、愛して愛されたはずだったのだ。それでも耳の奥に染みついた『お前のせいで』という声は今もがなり立てるように聞こえた。俺は彼らに謝り続けないといけない。

 ごめんなさい。なんで。許してください。救われたい。幸せになりたい。

 そうやってぐちゃぐちゃの思考の中で色を持って主張してくる言葉があった。よくわからない。だが、それが答えだと思った。 


「信仰だよ」

「信仰?」


 口から零れ落ちた言葉。信仰。思いつきで言った割には、胸にストンと落ちる答えだった。

 きっと人は何かを信じている。祈っている。その何かへの祈りが不思議なことを引き起こす。


「そうだな。信仰だよ。神様に対してだけじゃなくて、他の多くの……いろんなことにも共通していえると思う。祈って、強く願い、認知を歪ませることが魔法だ」

「どういうこと?」

「そうだなぁ……今日の朝ごはん何だった?」

「お味噌汁と鮭。というよりも彼方くんもちゃんと食べに来てよね!」

「悪い悪い……起きれなくて……まあ、俺のことは置いといて。もしもそれが実はサンドイッチを食べていたら?」

「……? 私はお味噌汁と鮭を食べたけど?」

「そうだな。今、遥は一般的な和食を食べたと信じている。だから和食なんだ。もしもサンドイッチを食べたのに和食だと思っているのならば、嘘のことを本当だと思っていることになる」

「ふーん……つまりは勘違いってこと?」

「……ん、まあ」


 勘違い。そういうと身も蓋も無いのだが……。とはいっても確かに勘違いで間違いないのだ。

 豊穣の神様を信仰させて、不作の時には祈りが足りなかったからだという。

 異教徒に対し、神罰の地上代行者として殺戮をおこなう。

 占いで誰にでも当てはまることを言って相手を信用させる。

 別に好きでもないのに愛を囁いて本気にさせる。

 どれも、古来からある魔法。全部勘違いだ。


「でも。勘違いをした人々にとって確かにそれは現実だし、本当に起きたことだ。だから魔法は魔法が解けるまで勘違いではない」

「……? 本当は無かったことなんでしょ?」

「まあな」

「変なの」


 俺も適当に言っているだけなので、『変なの』という意見には同意したい。それでも自分自身としてはかなり納得のいく答えだった。

 信仰こそが魔法。覚めるまでが魔法。太古の人々は魔法にいつも魅せられていたのだ。それが科学によって目を覚まされた。夢は夢として消えた。


「よーし……まあ、そんなくだらない話をしていたわけなのだが……ようやくついたな。第九地区前」

「うん! ついたねー。今日も膜が張ってるから入れないけど」


 そんな感じで道を歩き、膜のもとまでやってきた。前に来た時には何度もトライして何度も弾かれたんだよなぁ……。懐かしささえ感じるほどの久しぶりの再会だった。

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